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槍のような日差しが襲ってくる毎日。
年々その威力は増し、肌に痛いほど突き刺さる暑さ。
こんなに暑いのに、街路樹に水を撒く夜の給水車も来ない。
植え込みの花や植物もぐったりしているくらい。
ワタシの住んでいるマンションも木々で囲われ、それなりの景観を保っている。
その隅に景観にそぐわないアロエが植えてある。
誰にも気付かれず、愛でる人もいないアロエ。
偶然、うちの左大臣があまりにも生き生きとしたアロエに気付き驚いた。
なにを隠そう。そのアロエも持ち主は私達だったからだ。
私達は日常の風景の中、自分達の植えたアロエをすっかり忘れていた。
そのアロエは2年前のマンション大規模修繕工事の際、やっかい払いされたもの。
確かワタシが3カ月程前に見た時は、葉肉も薄くみすぼらしい色をしていた。
その時に「ここの土は良さそうに見えないなぁ・・日陰だし枯れるかもしれない」と
ぼんやり思っていたのだ。
でも別段なにもしなかった。
そのアロエが元気で見違えるくらいになっている。
それはある少女の心が関係していた。
◆アロエに水をあげる少女◆
いつものように車を駐車場に入れた時、
ご近所のおばさまとお孫ちゃんがアロエの傍にいた。
「こんにちは♪」と挨拶して目が止まった。
小学校3年生の女の子が500mlのペットボトルの水をアロエにあげていた。
思わず「どうしたんですか?」と訊いた。
おばさまは「この子がこのアロエが可哀想だっていうの。
だから毎日ペットボトルにお水を入れてアロエにあげに来てるのよ~」
ワタシは黙ってしまった。
それはワタシが捨てたアロエです。とは言えなかった。
少女の「このアロエは可哀想だ」という心がワタシの何かに刺さった。
ワタシはそのままスゴスゴと帰ったのだった。
そしてやっかい払いされたアロエは生き生きとし出した。
◆大人の都合 大人の感情◆
家に帰っても「このアロエが可哀想だ」という言葉に胸がチクチクと痛かった。
少女は一言も話さず、景観とそぐわないアロエに毎日お水をあげ、
ただそばにずーと座っている。
この少女はピカピカの心を持って生まれた子どもなんだと思う。
私達の勝手な都合と感情でみすぼらしいまま佇むアロエを思い出すと、
自分の心根の一部を見たような気がした。
いつの間かワタシも身勝手な大人の仲間入りしていたらしい。
今、遅まきながら私も毎日アロエに水をあげに行っている。
そして一言二言アロエに話しかけて帰って来る。
たかだかアロエの話だが、持っている心根は絶対隠す事は出来ない。
本当に人のいちばん大事な魂の部分だからね。。。
◆見ざる、言わざる、聞かざる◆
この少女のようにピカピカの心を持つ子は、とても目立つ。
目立つがために、規制されたり疎まれたりする。
今も昔も感受性が強く個性的だったり、人と違うことをする事を
素晴らしい個性だと受け入れる素地がない。
のびのびと伸ばせる個性が見捨てられ、放置されるがままなのだ。
家族がしっかり受け止める以外、方法はない。
子供の場合は志の高い先生に出会わない限り、やっかい払いされる。
だから先生という職業をする存在がキライになる。
見ざる、言わざる、聞かざるは一番やってはいけない事。
そして一番卑怯な事なのだ。
ワタシは一人の先生のお陰で心を閉じずに済んだ。
運が良かったのだと思う。
でも、これは運がいいと云う言葉で括ってはいけない事なのだ。
◆アンパンマンの作者やなせたかし氏◆
子どもは いつも先生。
もうなくなってしまった
純粋な心を
大人に教えてくれる。
子どもがどんな大人になるかは、大人社会に責任がある。
*今週の出来事*
まだ月曜日なのでありません^^;
今日、久々に横浜のクラブに踊りに行きます♪
追伸
一風変わったサルサの先生に「踊りに心がある」と2回言われました。
一番嬉しい言葉を貰えました。
とても垢ぬけたステップ習得しましたぞ!
ON1のシャインの時に使って、リーダーを驚かせようと企んでます。
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