Salsa する?

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不良と呼ばれ、beforeーafter

2011-12-31 08:17:49 | gumrie

先日、頂き物の蛤(ハマグリ)のお吸い物を食べながらテレビで見てた
蛤は、定番のお吸い物や、焼き蛤、そして、平安時代から「貝合わせ」と言って
蛤の貝殻で神経衰弱のような遊びを楽しむ道具にもなっていたそうだ
そんなパートナーのそんなうんちくを聞きながら見ていたテレビ番組は、「劇的ビフォーアフター」
最近は、イケメンタレントと元不良仲間の活躍が人気で3回ほどシリーズ化

初回はイケメンタレントの実家で、彼の母親が一人で住んでいる家
それを彼の友人達(不良仲間としてつるみ、彼の母親を困らせた学友)
と一緒に低予算でリフォームするという設定
いわゆるイケメンタレントと友人達が、「立派に大人に成長しました」という美談
そして、それを見た視聴者から是非とも彼らにリフォームを依頼したいと云う申し出があり
第2弾、そして今回の幼稚園から是非、彼らにお願いしたいと云う、感動の連鎖依頼の3回目の放映だった
彼らの意見を反映した遊び心のあふれたリフォームで、依頼者の幼稚園の園児達からお礼の絵などをもらい、
匠(設計者)と彼らは感激し涙ぐんでる映像になっていた
私は「ふーーん」と横目で見ながら、お吸い物の蛤の貝柱を穿り出していた
その時、珍しく我がパートナーが『このお兄ちゃん達、凄く純な目をしてるね』と言った
確かに彼らは本当にキレイな目で、子供のような素直な感情が伝わり、
視聴者は、グレて不良だった子達が一人の社会人として独立してる事を素直に賞賛する構成
若気の至りの頃と現在とのギャップが大きければ大きい程『よく頑張った!えらい!』
みたいな流れになり、努力して頑張った美談となる
多分、テレビ的には視聴者もいい話やな~よくやった!となっていた

でも、私は、「グレてるところから立ち直る」話には、昔からあまり感動しない
というか、いつも不思議に思ってしまう
グレて迷惑をかける事は、根っからの邪悪な心ではなく、実はグレることで何かをアピールする代償行為、
甘えの幼稚な行為としか見えないのだ・・・
私自身、子供の頃、望んだ環境に置かれていない事に、毎日嘆いた日々もあった
でもグレて不良になろうとは思わなかった
一般に、甘える余裕もなく大人の選択をしなければならない子は、
早く自立するための努力をする
グレてる時間も余裕もなく黙々と大人になる準備をしている
だが、残念ながら、大人の気持ちを持つが故、多大な努力を人に言ったりしない・・・
周りからは、その切ない努力が伝わらず評価されなかったり、
あるいは、「子供らしくない」なんて言われてたりする
甘えからグレて、そして立ち直る過程と、甘える事も出来ず大人になる切ない過程との、
評価のギャップに微妙な違和感を感じながら、その思いをパートナーにぶつけると、
「それはね、つらい思いの時点で、自分の延長線上にグレて不良に“なる”or“ならない”
という選択肢があったから割に合わない感情があるのだろう」と
パートナーはかなり複雑怪奇な生活環境で育った人だが、彼の延長線上には、
そもそも、グレて不良に“なる”or“ならない”の選択肢はなかったらしい
それは自分の人生とは別世界(グレた世界)の出来事の話なので、
単純に 『キレイな目をした心優しいお兄ちゃん達』と感じたと言う
そうかぁ、私は実は、パートナーより、グレる感情に近い立ち位置にいたのかなぁと
自分の根っこを垣間見た気がした
そして、うんちく好きのパートナーは
「グレるの語源は、蛤(ハマグリ)の逆、グリハマが訛ったんだよ
貝合わせで上手く殻が合わない事で、チグハグで予定通りにいかない事なんだ
親が望む子の姿から外れる様子で、良ではないから不良。もともと悪ではないんだよ」とね


そうかぁ、よく『昔は悪かった』と言っている人がいけど、
きっと本質的な悪じゃないから、自戒じゃなくて自慢話?なのかなぁ・・・
と、色んな意味で深く考えた夜でした
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