![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b6/b5c97ba7b2798b67cc459783b96a674a.jpg)
写真は近江富士と呼ばれる三上山(みかみやま)です(春に撮った写真にはロクなものがありませんので、ハッキリクッキリの秋に撮ったものを使用します)。実は、現地に行くまでは知らなかったのですが(下調べなど殆どしませんので)、この山にも男山(おやま)と女山(めやま)があります。雄山と雌山や妹山(いもやま)・背山などという表現も含めるとこのようなペアの形式になっている山は無数にあるのではないでしょうか。島でも例えば瀬戸内海には男木島と女木島がありますね。妹山背山(いもやませやま)では、万葉集で詠われている紀伊のものが有名ですが、現地に行ってみても、どれが妹山でどれが背山なのか今ひとつ判りません。紀和国境では神代の渡し場が面白いですね。右足は紀伊の国、左足は大和の国などと遊べます。
閑話休題。多くの山では、高い方が男山、低い方が女山となっていますので、まあ所謂頂上は男山のピークということになりますから、男山の方は結構道が整備されていて登山客も多く、女山の方は道もなく登る者も殆どいないということが多いようです。「紀道にこそ妹山ありといへ玉くしげ二上山も妹こそありけれ」、紀伊の国にだけ妹山があるのではない、こちらにもちゃんとあるわいと詠まれた大和の二上山(にじょうざん・ふたかみやま)などは、女山のピーク付近も整備されている珍しい例ですが、ちょっと公園化されすぎていて、馬の背と呼ばれる鞍部では、カップラーメンなども売っています。この山、遙か彼方から見ると古代への想いを掻き立てるシルエットなのですが、登ってみるとガックリというところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/77/8cea2d9c8918a96151e34608eec8e4e3.jpg)
三上山、手前は御上神社の森。油日岳と同じような伝承を持つ。
三上山についての詳しい報告はまた別にいたしますが、この山の女山もやはり登る者は少なく、南斜面にはむき出しになり、少し崩れた古墳の石槨が何か恐ろしげな雰囲気を醸し出しています。またそのピークは荒れ果てた墓場のミニチュアのように小さな石が並べられているだけです。低い山なので男山山頂への分岐から5分で女山のピークなのですが、本当に誰もいません。有名な大ムカデの子孫なりとも見てみたいと思うのですが、男山は人が多すぎるので大ムカデも隠れているとしたらこちらであると思います。機会が有ればさらに女山の探索を続けようと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6e/5b34a336a50f2e859957d13039ffd846.jpg)
三上山山頂
さて、大昔のことですが、ちょっと遠出をして磐梯山に登ったときのことです。当時は未だ重い荷物を背負ってピークを目指すという純情さもあり、-今は10ℓ以上のリュックは絶対に担がない-猫魔八方尾根からの道がやたらにしんどくて、「やれやれ頂上ぢゃ。」とピークに達すると辺りで幼稚園児程度の子供がたくさん走り回っていて、フニャーとなったのを覚えています。キヤノンのオートボーイというカメラを持った若夫婦(頂上まで頑張った子供の写真が撮りたかった)が「カメラが動かないんです。」と何故にか我々のところに相談に来て、調べてみると電池が入っていない、友人が即興で「オートボーイ、電池無ければただの箱。」という句を作ったのですが、その友人はキヤノンの社員、そんなことを言わずに電池が無くても写るようにしてやれと思ったことです。
まあとにかく、山頂がごった返している。そこで、ということで人の行かぬ雌山を目指したのですが、これは本当に命がけでした。これという道は無く、ガレ場が続きます。登る途中で石が落ちると遙か下の方までズッーと落ちていきます。「ここで下に落ちたら、もうバラバラやな。」と言いながら岩にしがみつくと、その岩がグラッと揺れるときがある。小生は、ここで「後悔」という言葉を初めて知ったような気がします。もし、今もあのままの状態が続いているとしたら、何人もの人が滑落して死んでいることでしょう。
その夜は、裏磐梯のキャンプ場でテントを張ったのですが、そのキャンプ場のオーナー、「雌山に登ってきたでぇ。」と言うと滅茶苦茶に感動してくれました。そして何と「今日はもうテントを張らずにコテージに泊まりなさい。ごほうびに何泊でもただでコテージを貸してあげる。」と言ってくれたのです。まあ当時は雌山に登るアホはそれぐらい貴重だったのですね。飯の時なども会う人ごとに「この人は雌山にも登ってきたのだ。」と話していましたから。
何泊でも、と言ってくれたのですが残念ながら一泊でそのキャンプ場から退散しました。小生は健康的な登山者ではありません。どんなところでも夜更かしをするし、起きるのは朝の10時ぐらいです。旅館に泊まれば逐われるようにそこを出ます。ところが、このキャンプ場、朝の6時になると、もの凄い大音量で「白虎隊」の歌を流すのです。しかも延々と。それが周りの岡に反響して、やまびこ状態、「白虎隊の歌て、輪唱やったんや!」というところ。たった1日の早朝の大音量に「降参!」と白旗を掲げ、退散した次第であります。
なかなかに行く機会もありませんが、あの雌山は今はどうなっているのでしょう。キャンプ場のオーナーは、まあこの世の人ではないでしょう(勝手に決めてる)。今ならば、「宮さん宮さん」の歌で対抗できるのに。
閑話休題。多くの山では、高い方が男山、低い方が女山となっていますので、まあ所謂頂上は男山のピークということになりますから、男山の方は結構道が整備されていて登山客も多く、女山の方は道もなく登る者も殆どいないということが多いようです。「紀道にこそ妹山ありといへ玉くしげ二上山も妹こそありけれ」、紀伊の国にだけ妹山があるのではない、こちらにもちゃんとあるわいと詠まれた大和の二上山(にじょうざん・ふたかみやま)などは、女山のピーク付近も整備されている珍しい例ですが、ちょっと公園化されすぎていて、馬の背と呼ばれる鞍部では、カップラーメンなども売っています。この山、遙か彼方から見ると古代への想いを掻き立てるシルエットなのですが、登ってみるとガックリというところです。
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三上山、手前は御上神社の森。油日岳と同じような伝承を持つ。
三上山についての詳しい報告はまた別にいたしますが、この山の女山もやはり登る者は少なく、南斜面にはむき出しになり、少し崩れた古墳の石槨が何か恐ろしげな雰囲気を醸し出しています。またそのピークは荒れ果てた墓場のミニチュアのように小さな石が並べられているだけです。低い山なので男山山頂への分岐から5分で女山のピークなのですが、本当に誰もいません。有名な大ムカデの子孫なりとも見てみたいと思うのですが、男山は人が多すぎるので大ムカデも隠れているとしたらこちらであると思います。機会が有ればさらに女山の探索を続けようと思います。
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三上山山頂
さて、大昔のことですが、ちょっと遠出をして磐梯山に登ったときのことです。当時は未だ重い荷物を背負ってピークを目指すという純情さもあり、-今は10ℓ以上のリュックは絶対に担がない-猫魔八方尾根からの道がやたらにしんどくて、「やれやれ頂上ぢゃ。」とピークに達すると辺りで幼稚園児程度の子供がたくさん走り回っていて、フニャーとなったのを覚えています。キヤノンのオートボーイというカメラを持った若夫婦(頂上まで頑張った子供の写真が撮りたかった)が「カメラが動かないんです。」と何故にか我々のところに相談に来て、調べてみると電池が入っていない、友人が即興で「オートボーイ、電池無ければただの箱。」という句を作ったのですが、その友人はキヤノンの社員、そんなことを言わずに電池が無くても写るようにしてやれと思ったことです。
まあとにかく、山頂がごった返している。そこで、ということで人の行かぬ雌山を目指したのですが、これは本当に命がけでした。これという道は無く、ガレ場が続きます。登る途中で石が落ちると遙か下の方までズッーと落ちていきます。「ここで下に落ちたら、もうバラバラやな。」と言いながら岩にしがみつくと、その岩がグラッと揺れるときがある。小生は、ここで「後悔」という言葉を初めて知ったような気がします。もし、今もあのままの状態が続いているとしたら、何人もの人が滑落して死んでいることでしょう。
その夜は、裏磐梯のキャンプ場でテントを張ったのですが、そのキャンプ場のオーナー、「雌山に登ってきたでぇ。」と言うと滅茶苦茶に感動してくれました。そして何と「今日はもうテントを張らずにコテージに泊まりなさい。ごほうびに何泊でもただでコテージを貸してあげる。」と言ってくれたのです。まあ当時は雌山に登るアホはそれぐらい貴重だったのですね。飯の時なども会う人ごとに「この人は雌山にも登ってきたのだ。」と話していましたから。
何泊でも、と言ってくれたのですが残念ながら一泊でそのキャンプ場から退散しました。小生は健康的な登山者ではありません。どんなところでも夜更かしをするし、起きるのは朝の10時ぐらいです。旅館に泊まれば逐われるようにそこを出ます。ところが、このキャンプ場、朝の6時になると、もの凄い大音量で「白虎隊」の歌を流すのです。しかも延々と。それが周りの岡に反響して、やまびこ状態、「白虎隊の歌て、輪唱やったんや!」というところ。たった1日の早朝の大音量に「降参!」と白旗を掲げ、退散した次第であります。
なかなかに行く機会もありませんが、あの雌山は今はどうなっているのでしょう。キャンプ場のオーナーは、まあこの世の人ではないでしょう(勝手に決めてる)。今ならば、「宮さん宮さん」の歌で対抗できるのに。
徘徊堂さんは、磐梯山の女山(猫魔と言うのですか?凄い名前ですねぇ)を制服されて、大絶賛を受けられたとか。きっと、それまでに挑戦した人で、無事に生きて還った者は皆無だったのでしょう。その魔女の魔の手足から見事に生還された徘徊堂さんは、稀有の存在だったのではないですか。今では、山頂に記念碑が建っている筈です。もう一度、登られたら如何でしょうか。
苦労の末に辿り着いた所に幼稚園児が遊んでいて驚かれたのは、男山(本山?)の方ですか。我々が必死で(少なくとも1名は)長老山の頂上にも、ブルドザーが止まっていましたが。
私は以前に難しい地名で、女山と書いて“ぞやま”と読む所がありましたが、どんな謂れがあるのでしょうか。それにしても、今回は酒精の話は出て来ませんでしたネ。
丘陵地帯の出臍みたいな山でしたが遙か明石大橋が望めゆったりとした眺めを楽しみました。訪れたのは春で、同級生の奥さん、レンゲの田圃にさしていた日傘をぽーんと投げて、これ絵になるのよね、なんて言って写真をとってられたのを思い出しましたが、のどかなハイキングでございました。
関東は筑波山の男体山・女体山、でも我々にとっては二上山の雄岳・雌岳ですよね。そうだ葛城は二上山ですが近江は三上山か、この三は何なのかしら。
立山は雄山ですが、雌山はないようですね。立山信仰は女人禁制じゃなかったですよね?どうなのかしら?女人禁制といえば大峯山、そこで女性は稲村岳に登られるそうですが、洞川温泉にいたら稲村ケ岳から女性の大パーティが下山してこられました。登山ブーム時代の男山女山かしら。
八幡の男山、いわれてみたらペアの山の名を聞きませんね。これは、全く知らないだけかも知れませんから、一度現地調査してみます。
清酒「長老」、遂に飲みました。濃厚です。新潟あたりで有名な酒を好む人ならば「あかん」というかも知れませんが、感じとしては「おとうちゃんの酒」というところでしょうか。
二上山は二神山で、三上山は御神山だと思います。野洲駅前に温泉も出来ていますから、みんなで一度登りましょうか?
やっと連休が終わり、久々に静かな日常に戻りました。
三上山のムカデ退治は、観光バスで名神を通るたびにガイドさんから聞かされていますが、いい加減に聞いているものだから、今だかってきっちりを覚えていません。
その三上山に男山と女山があるのでしたか、それは初めて知りました。
幼児は身が軽い上にどうのこうのと余計なことを考えないからかな。いや違うかも、(今の女の子は○○君でないと手を繋がないらしいけれど)山登りでも男の子が汗水たらして手を引いたのでしょう。すでにこの辺りから女性上位の兆しが?しかし今の男性はそれを秘かに望んでいられるのかもね??
八幡の男山は昔はお正月たんびに。磐梯山は行きたい思いながらまだです。日光の男体山は戦場ヶ原まで行きましたが登山はしていませんです。男女と云うと依然興味がでてきました^^
御上神社の花のお守りは、きっとささ舟様のお気に入りになると思います。
幼児の身軽さは山に行く者としてうらやましいです。