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本日は、京大医学部の学生と大阪徘徊であります。「どこがいい?どこでも案内したるでー。」という問いに、「大阪城!」と即決です。大阪城はいずれ「大阪城隅から隅まで」と題してシリーズ化しようと考えておりますので、その下見の下見にいいかも知れません。まあ、そういう大層なことを考えているから足も遠のくのだということで、小生も本当に久しぶりです。
医学部ということで、適塾から出発だ。先人の意気を感じねばなりません。適塾は大阪大学医学部の前身、このすぐ近くにあった懐徳堂は文学部の前身、大阪大学は東大や京大とは成立が異なります。そういえば最近は大阪外国語大学と一緒になりましたね。
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横から
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応接間
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ヅーフハルマ部屋
当時の蘭和辞典、生徒達は調べものがあると、この部屋に来て辞書を引きました。また、アルバイトとしてこの辞書の写しを作るということもやっていたそうです。
この辞書を写すという現代の学生はまずやらないこと、勉強にもなるし、写したものは高く売れるし、一石二鳥の効果がありました。真に優秀な学生を育てたいのなら、学内からコピー機というものを撤去すべきですね。あっ、今はPCからでも何ぼでもコピーできるか(慨嘆)。
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学生たちの大部屋と柱の傷
適塾の塾生には各々畳一畳が割り当てられ、そこが寝起きの場であると同時に勉学の場でした。福澤諭吉も大村益次郎も大鳥圭介も橋本左内も高松凌雲も、その他日本の地方医療を造った多くの人たちが此処で刻苦勉励しました。さあ、思いきり空気を吸うとけよー。ちょっと汗くさいけど。
適塾からは栴檀の木橋を渡って中央公会堂へ。公会堂の赤煉瓦に「がん」の文字が見えます。「おー、癌学会か何かやっとるで、タイムリーやな。」等と言っていたら、近づいてみると「がんばろう東北」の「がん」でした。何かチャリティイベントをやっているらしく満員です。地下の洋食屋で昼飯を食おうと思ったのですが、もうずーーーーーっと列です。瞬時に諦めて岩本榮之助さんの銅像にご挨拶をして公会堂を出ます。
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東洋陶磁美術館の隣、バラの小径を抜けてバラ園、ぼちぼちと咲き始めています(5月初旬の徘徊です)。そのまま中之島の東端まで行き、天神橋から八軒家浜へ。天満でようよう昼飯にありつきました。
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天満からは大阪城の大手門へ。現在の大阪城は太閤さんの城の上にもの凄い量の土盛りをして徳川氏が建てたもの。大きな石垣も何も全て徳川氏が諸国大名にお手伝い普請をさせたものということは意外に知られていません。太閤さんの城は地下に眠るのですが、その下には石山本願寺が眠っている。まさに因果は巡る世界。
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博物館を兼ねた天守閣、その最上階はまさに鈴なりの人、列も「ずっー」を百メートルぐらい伸ばさねばなりません。ということで本日はあかんと即決。同行者は登ったことがないということでしたから気の毒でしたが、いずれ彦根城や丸岡城を案内したるということで未練を捨ててもらいます。小生も大坂夏の陣図屏風を見たかったのですが、思いきり雨が降って天守閣に登っても何も見えへんでーという日にまた来よう。そういう時でも天守閣の裏手に廻れば誰もいません。
大阪城を出て、難波宮跡へ。こちらは人影がボチボチ程度で、芝生に人だけでなくワンコも寝っ転がって伸び伸びとしています。こういうときはワンコはいいですね。ニャンコを散歩に連れ出すというのは根性が要ります。
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大村益次郎遭難碑、京都で刺客に襲われた大村益次郎は大阪で足を切断する手術を受けました。この辺りは日本の近代医学発祥の地であります。病院址もあるけど今は全て墓の中。碑の建立者の名を眺めているだけで歴史が勉強できます。
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そろそろ腹が減ってきたので地下鉄で新世界に向かいました。歩いても知れているのですが、途中の空堀の商店街あたりで何か食うてしまいそうでしたから。さてさて通天閣は本日も盛況、愛でたいことです。
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串カツの後は、飛田の方角の喫茶店。梅田や難波では古き良き喫茶店というものは壊滅状態です。飛田や九条には趣のある店がチラホラと残っています。よし、ついでに大阪のディープサウスを御案内しようということで、飛田遊郭を30メートルだけ歩きます。遣り手婆さん、女人連れでも声をかけてくるのですね。どのようにしろということでしょうね。医学部学生さん、ちょっと人生観が変わったかな?品行方正で知られる小生(爆)なのに、ちょっと間違ったかなあと反省(笑)。
京大生を無事洛陽城に帰還させた後は悪友と合流するために十三に向かいました。こういうダブルヘッダーは初めてです。新世界の串カツと十三の居酒屋、麗しい組み合わせです。悪友たちは駅前で待っていてくれましたが、焼き肉+十三屋(行きたかった居酒屋)で思いきり飲んだでーということで既に出来上がっていました(泣)。
医学部ということで、適塾から出発だ。先人の意気を感じねばなりません。適塾は大阪大学医学部の前身、このすぐ近くにあった懐徳堂は文学部の前身、大阪大学は東大や京大とは成立が異なります。そういえば最近は大阪外国語大学と一緒になりましたね。
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横から
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応接間
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ヅーフハルマ部屋
当時の蘭和辞典、生徒達は調べものがあると、この部屋に来て辞書を引きました。また、アルバイトとしてこの辞書の写しを作るということもやっていたそうです。
この辞書を写すという現代の学生はまずやらないこと、勉強にもなるし、写したものは高く売れるし、一石二鳥の効果がありました。真に優秀な学生を育てたいのなら、学内からコピー機というものを撤去すべきですね。あっ、今はPCからでも何ぼでもコピーできるか(慨嘆)。
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学生たちの大部屋と柱の傷
適塾の塾生には各々畳一畳が割り当てられ、そこが寝起きの場であると同時に勉学の場でした。福澤諭吉も大村益次郎も大鳥圭介も橋本左内も高松凌雲も、その他日本の地方医療を造った多くの人たちが此処で刻苦勉励しました。さあ、思いきり空気を吸うとけよー。ちょっと汗くさいけど。
適塾からは栴檀の木橋を渡って中央公会堂へ。公会堂の赤煉瓦に「がん」の文字が見えます。「おー、癌学会か何かやっとるで、タイムリーやな。」等と言っていたら、近づいてみると「がんばろう東北」の「がん」でした。何かチャリティイベントをやっているらしく満員です。地下の洋食屋で昼飯を食おうと思ったのですが、もうずーーーーーっと列です。瞬時に諦めて岩本榮之助さんの銅像にご挨拶をして公会堂を出ます。
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東洋陶磁美術館の隣、バラの小径を抜けてバラ園、ぼちぼちと咲き始めています(5月初旬の徘徊です)。そのまま中之島の東端まで行き、天神橋から八軒家浜へ。天満でようよう昼飯にありつきました。
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天満からは大阪城の大手門へ。現在の大阪城は太閤さんの城の上にもの凄い量の土盛りをして徳川氏が建てたもの。大きな石垣も何も全て徳川氏が諸国大名にお手伝い普請をさせたものということは意外に知られていません。太閤さんの城は地下に眠るのですが、その下には石山本願寺が眠っている。まさに因果は巡る世界。
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博物館を兼ねた天守閣、その最上階はまさに鈴なりの人、列も「ずっー」を百メートルぐらい伸ばさねばなりません。ということで本日はあかんと即決。同行者は登ったことがないということでしたから気の毒でしたが、いずれ彦根城や丸岡城を案内したるということで未練を捨ててもらいます。小生も大坂夏の陣図屏風を見たかったのですが、思いきり雨が降って天守閣に登っても何も見えへんでーという日にまた来よう。そういう時でも天守閣の裏手に廻れば誰もいません。
大阪城を出て、難波宮跡へ。こちらは人影がボチボチ程度で、芝生に人だけでなくワンコも寝っ転がって伸び伸びとしています。こういうときはワンコはいいですね。ニャンコを散歩に連れ出すというのは根性が要ります。
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大村益次郎遭難碑、京都で刺客に襲われた大村益次郎は大阪で足を切断する手術を受けました。この辺りは日本の近代医学発祥の地であります。病院址もあるけど今は全て墓の中。碑の建立者の名を眺めているだけで歴史が勉強できます。
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そろそろ腹が減ってきたので地下鉄で新世界に向かいました。歩いても知れているのですが、途中の空堀の商店街あたりで何か食うてしまいそうでしたから。さてさて通天閣は本日も盛況、愛でたいことです。
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串カツの後は、飛田の方角の喫茶店。梅田や難波では古き良き喫茶店というものは壊滅状態です。飛田や九条には趣のある店がチラホラと残っています。よし、ついでに大阪のディープサウスを御案内しようということで、飛田遊郭を30メートルだけ歩きます。遣り手婆さん、女人連れでも声をかけてくるのですね。どのようにしろということでしょうね。医学部学生さん、ちょっと人生観が変わったかな?品行方正で知られる小生(爆)なのに、ちょっと間違ったかなあと反省(笑)。
京大生を無事洛陽城に帰還させた後は悪友と合流するために十三に向かいました。こういうダブルヘッダーは初めてです。新世界の串カツと十三の居酒屋、麗しい組み合わせです。悪友たちは駅前で待っていてくれましたが、焼き肉+十三屋(行きたかった居酒屋)で思いきり飲んだでーということで既に出来上がっていました(泣)。
それより適塾の方が面白そうにも思えますが。昔の学者で、英語の辞書の覚えたページは食べたとかの逸話を聞きます。広辞苑を全部覚えた(と言う)作家もおります。医学部は最難関と思いますが、医者にはどうして極端な格差があるのでしょう。物凄い薮もおりますが、何故国家試験を通ったのか不思議です。
今回の同伴者は女性ですか。最後の方で認識しました。飛田遊郭を訪問した彼女は人生観が変わったのではないですか。これこそ生きた教育ですネ。素通りが残念でした。最後は適材適所に収まられて何よりでした。
おっしゃる通りで、医師の国家試験は素人目に見ると難しいと思うのですが、法科大学院を出ても弁護士になれる人は少ないのですが、医学部を出たら殆どの人が医者になりますから、実は国家試験は簡単なのかも知れませんね。
小生も「列ぶ」と「待つ」は全くしませんよ。万博は列ばなければならない有名なパビリオンにはついに入りませんでした。コートジボアール館とかOECD館とか、そんなとこばかり入っていました。
今回は「大阪城隅から隅まで」の序論の序論として読ませて頂きました。私は司馬遼太郎の「城塞」の最初が迷い橋から大手門へと主人公が向かう描写があり、この橋の近くに我が職場がありましたのですごく親近感をもって読んだ思い出があります。そのついでにに太閤さんの下水跡が残っているそうですね。これは私も是非みたいのですが丹波に帰ってしまい実現していまへん。大阪城を語るには、上町台地の地形から始まり、家康ならずとも空堀も含めて外堀から攻めてその壮大さや夏の陣を語るのは如何ですか?そうすれば地下に眠る秀吉城さんも浮かばれるかも、なんて。
隅から隅までご存じのお釈迦様へのコメントお許しの程をm(. .)m そんなん知っとるわいと怒らんといて下さい。
余談になりますが、本願寺について触れられましたが、私は山科の本願寺跡にちょっと気が向いております。美山で蓮如さんの話に及ぶ時には山科本願寺や吉崎御坊の知識がないと喋られへん。
飛田と聞いたら阿倍野へ行きたくなってしもうた。新しい明治屋へ(^_^)
太閤さんが地下からムクムク頭をもたげる大阪になって欲しいなあ~と思っています。
適塾がああいう形で残っていて、公開されているというのは素晴らしいと思います。あの辺り一帯はなかなかに風情が残るところなのですが、何にしても横堀川の上の阪神高速を何とかしないといけないだろうと思います。
飛田は、ちょっとヤバイですよ。30メートルが限度です。わが身一つならば、どうということは無いのですが。女衒ですという顔をして歩けばいいのかも知れません。
中央公会堂の地下、岩本資料室を小生は岩本大明神と呼んで、お参りしています。案内するときはいつも同行者にも拝ませていますよ(笑)。