本日もエエかっこを言えばデスクワーク、川西市の中央図書館であれこれと調べてみようと思います。阪急電車に乗る前に梅田をウロウロすると、おお!旭屋の本店があったところがすっかり更地になっています( ↑ の写真)。別段義理がある訳ではないけど、馴染んだ店だし、早く再開してね。
御堂筋を挟んで、ちょうど向かいにある阪急系列の本屋に寄った後、陸橋に向かえば、新築なった大阪駅。けれどもこのような写真は今までも何度も撮っていますね。
宝塚線の電車が動き出した後、念のためにと調べるとアリャリャ、川西市の図書館は館内整理のためとかで休んでいます。なんやかんや言うて、初めてネットが具体的に役に立ったなあ。「ヌヌヌ、これは池田でたこ焼きを食えとの天命である。」と即決したのですが、豊中辺りで寝てしまい、目が醒めたら雲雀丘花屋敷。「ヌヌ、これは釣鐘山に登れとの天啓である。」ということで、久しぶりに釣鐘山に登りました。
途中、慈光会の講堂に立ち寄りました。以上のような経緯で来たのですから、土産も何も無く手ぶらです。ところが、温かく迎え入れてくださり、茶を出していただき、辞する時には手土産までいただいてしまいました。ありがとうございました。
写真は取り忘れましたが、懺悔坂を登り、白亜の空堂の辺りまで来ると、木々を渡る風の音と、空堂の風鐸の音が合わさって素晴らしい音楽を奏でています。これが妙音というものなのかも知れません。寒さを忘れて聞き入っていると心も浄化されていくようです。空堂は今は無人なのですが、何か思念というか、そのようなものがはっきりと存在するように思われます。
三角点
先週に訪ねた豊能町高山方面の明田尾山の写真を撮ろうと思ったのですが、すっかりと雪雲に隠されてしまっています。
下りは感謝坂からです。写真では少し遠くに見えますが、実際には近いのは、軍馬・軍犬・軍用伝書鳩の慰霊のために建立された馬頭観音像です。ここからだと後ろを向いておられます。
今にして、初めて気づいたのですが、宝塚市のマンホールは「すみれ」の意匠なのですね。
川西能勢口付近に降りてくると、能勢電車の記念碑。1981年に廃止された川西能勢口~川西池田線を記念するために設けられたものです。
そろそろ、閉館を意識しなければならない時刻となっています。真っ直ぐに池田文庫を目指します。しらふで入るのは本当に久しぶりです。前に書いた記事では言い忘れたのですが、ここの石灯籠のコレクション、もともとは宝塚ファミリーランド内にあったものを移したものです。今回は写真を取り忘れました。庭の梅が少し咲いて迎えてくれます。
閉館まで1時間ほどの勉強ですので、今日は『川辺郡誌』だけを書庫から出してもらいました。前回の宿題を果たすためです。
けれども、伊丹廃寺についての藤原不比等と行基のエピソードはどこにも載っていませんでした。どこかで記憶違いをしているみたいです。伊丹廃寺=龍蓮寺については以下の記述がありましたので、引用しておきます。
龍蓮寺跡
北村の西方字鋳物師村にあり。元此地は「鋳物師千軒伽藍よそにや無いぞえ龍蓮寺」などいへる俚謡ありし程の所にて多くの鋳佛師もありて非常に殷賑を極め、鋳佛梵鐘を始め、鍋、釜、鉄瓶、犂先等の器具類を盛んに製出し、未だに伊丹の犂先とて其名を留むること當時の盛を追想すべきなり。
龍蓮寺は鋳物師村隆盛の時七堂伽藍の巨刹たりしも是亦天正七年兵火に罹りて烏有に歸す。後ち屡次其寺跡に耕作を試むるも収穫を見る能はざるより今は雑木生へる一荒地となり果つ。周回一丈三四尺の大礎石六七基土中に殘存す。龍蓮寺は書に寺領八百餘町を有すとあるも信じ難し。
また同誌に荒木村重が川西市の栄根の産であることも記されていました。これなどは全く知らなかったことです。成る程距離的に池田氏に出仕してもおかしくないですね。
図書館を出て、何とたこ焼きに行きそびれるという異常事態が生じました。出てすぐの道を左折したことが原因で、考え事をしながら歩いたのでしょうね。考えていたことは「駅の近くの和菓子屋で売っている、かりんとう饅てうまいんやろか」「とよすのあられの季節ものの意匠はそろそろ春やろか」等々(爆)。気が付いたら池田駅でした。まあそろそろたこ焼きは閉まる時間。今日はもうあきらめよう。結局「するめの天麩羅」に落ち着きました。これは3週連続です。やはり熱燗が身にしみますねえ。
御堂筋を挟んで、ちょうど向かいにある阪急系列の本屋に寄った後、陸橋に向かえば、新築なった大阪駅。けれどもこのような写真は今までも何度も撮っていますね。
宝塚線の電車が動き出した後、念のためにと調べるとアリャリャ、川西市の図書館は館内整理のためとかで休んでいます。なんやかんや言うて、初めてネットが具体的に役に立ったなあ。「ヌヌヌ、これは池田でたこ焼きを食えとの天命である。」と即決したのですが、豊中辺りで寝てしまい、目が醒めたら雲雀丘花屋敷。「ヌヌ、これは釣鐘山に登れとの天啓である。」ということで、久しぶりに釣鐘山に登りました。
途中、慈光会の講堂に立ち寄りました。以上のような経緯で来たのですから、土産も何も無く手ぶらです。ところが、温かく迎え入れてくださり、茶を出していただき、辞する時には手土産までいただいてしまいました。ありがとうございました。
写真は取り忘れましたが、懺悔坂を登り、白亜の空堂の辺りまで来ると、木々を渡る風の音と、空堂の風鐸の音が合わさって素晴らしい音楽を奏でています。これが妙音というものなのかも知れません。寒さを忘れて聞き入っていると心も浄化されていくようです。空堂は今は無人なのですが、何か思念というか、そのようなものがはっきりと存在するように思われます。
三角点
先週に訪ねた豊能町高山方面の明田尾山の写真を撮ろうと思ったのですが、すっかりと雪雲に隠されてしまっています。
下りは感謝坂からです。写真では少し遠くに見えますが、実際には近いのは、軍馬・軍犬・軍用伝書鳩の慰霊のために建立された馬頭観音像です。ここからだと後ろを向いておられます。
今にして、初めて気づいたのですが、宝塚市のマンホールは「すみれ」の意匠なのですね。
川西能勢口付近に降りてくると、能勢電車の記念碑。1981年に廃止された川西能勢口~川西池田線を記念するために設けられたものです。
そろそろ、閉館を意識しなければならない時刻となっています。真っ直ぐに池田文庫を目指します。しらふで入るのは本当に久しぶりです。前に書いた記事では言い忘れたのですが、ここの石灯籠のコレクション、もともとは宝塚ファミリーランド内にあったものを移したものです。今回は写真を取り忘れました。庭の梅が少し咲いて迎えてくれます。
閉館まで1時間ほどの勉強ですので、今日は『川辺郡誌』だけを書庫から出してもらいました。前回の宿題を果たすためです。
けれども、伊丹廃寺についての藤原不比等と行基のエピソードはどこにも載っていませんでした。どこかで記憶違いをしているみたいです。伊丹廃寺=龍蓮寺については以下の記述がありましたので、引用しておきます。
龍蓮寺跡
北村の西方字鋳物師村にあり。元此地は「鋳物師千軒伽藍よそにや無いぞえ龍蓮寺」などいへる俚謡ありし程の所にて多くの鋳佛師もありて非常に殷賑を極め、鋳佛梵鐘を始め、鍋、釜、鉄瓶、犂先等の器具類を盛んに製出し、未だに伊丹の犂先とて其名を留むること當時の盛を追想すべきなり。
龍蓮寺は鋳物師村隆盛の時七堂伽藍の巨刹たりしも是亦天正七年兵火に罹りて烏有に歸す。後ち屡次其寺跡に耕作を試むるも収穫を見る能はざるより今は雑木生へる一荒地となり果つ。周回一丈三四尺の大礎石六七基土中に殘存す。龍蓮寺は書に寺領八百餘町を有すとあるも信じ難し。
また同誌に荒木村重が川西市の栄根の産であることも記されていました。これなどは全く知らなかったことです。成る程距離的に池田氏に出仕してもおかしくないですね。
図書館を出て、何とたこ焼きに行きそびれるという異常事態が生じました。出てすぐの道を左折したことが原因で、考え事をしながら歩いたのでしょうね。考えていたことは「駅の近くの和菓子屋で売っている、かりんとう饅てうまいんやろか」「とよすのあられの季節ものの意匠はそろそろ春やろか」等々(爆)。気が付いたら池田駅でした。まあそろそろたこ焼きは閉まる時間。今日はもうあきらめよう。結局「するめの天麩羅」に落ち着きました。これは3週連続です。やはり熱燗が身にしみますねえ。
先日ある人が鯖街道のレジュメをされていたのを見せて頂く機会がありましたが、こと鯖街道のルートなどの誤解や間違いばかりに目が行く様になってきました。ただ市誌や町誌などもこれまた疑って掛からないといけないなあと思っています。なにせ我が師と仰ぐ山村さんに、あそこに書いてありますやん、というと、あれは何々文書を根拠に書いてるやろう、疑ってかかれという返事が返ってくる昨今なんです。
あ、これ川辺郡誌の話でなく一般論ですので…。廃寺といえば5月には山村さんに周山廃寺や朝日寺の話をしてもらいます。
先日初めて蹴上方面の旧東海道を歩く機会がありましたが、国道沿いにきれいに展示された車石と車輪などを見ました。
今回も釣鐘山で心の洗濯が出来たことでしょう。
梅田の旭屋は、未だ更地のままなのですか。一体改築に何年掛かっているのでしょう。ただ、最近は大型本屋が多いので、余程大きくしないと再開しても危ういのではないですか。かつて、阪急前のバラック街に店舗のあった頃は独壇場だったのでしょうけど。
気候が好くなっても、相変わらず勉強熱心なguさんには感服頻りです。宝塚の市章は、やはりスミレですか。京都の四条辺りのマンホールは、舞妓や大文字の図柄が見られます。
母校のある園部町では、改修した歩道のマンホールには何故か星座が彫られています。町と何の関係があるのか、皆目検討が付きませんが・・・。
それにしましても「感謝坂」とは殊勝な名称ではないですか。動物達の慰霊の馬頭観音も珍しいと思うのでですが。別邸guにも、猫の観音像を予定されているのでしょうか。
それもそうとして、龍勝寺ですか。かつては鋳物師集落として栄えて大火で滅びたとか。一時は荒地となったとの由ですが、今は人家が密集しているのでしょうか。ただ、たこ焼きに間に合わず残念でした。
それでも第2次好物が待っていて何よりでした。今朝は室内で20℃と異常な暖かさでした。熱燗から冷麦酒への切替え時です。
図書館は自治体によって大分違いますね。宝塚市などは年に何回か蔵書の大放出をやり、小生もその恩恵に与っているのですが、折角だから置いといたらいいのにという書籍までこちらに回ってくるのは「?」と思うこともあります。池田文庫が大事に保管していて小生も時々楽しませてもらっている茂木草介の「けったいな人々」等は宝塚市だったらとっくに無くなっているだろうと思います。
豪族のステイタスシンボルが前方後円墳から造寺造仏に変化していく過程で随分と多くの寺が建立され、やがては廃されていったようですね。周山廃寺なども弓削氏が絡んでいるのでしょうか?5月が楽しみですね。
東海道、一度三条から大津までを企画しようかなどと師匠とも話し合っています。
伊丹廃寺周辺、何せ前は自衛隊の駐屯地ですから、人家はまばらです。このところ尼崎や豊中も含めて、織田信長の伊丹城攻めのときにたくさんの寺社が焼かれていることに気が付きました。高槻や箕面方面では高山右近の悪行が目立ちます。先だっては織田信長の畿内進出で滅んだ大和の国人の城跡にも行きました。だんだんと最後まで抵抗した波多野氏や宇津氏の気持ちが分かるようになってきています(笑)。
そう、たこ焼きはかつて無い失敗でした。まあその後はまめに通っています。
本屋の件ですが、こんな記事を読んだことを思い出しました。数年ぶりにボストンへ行き、行きつけの本屋を目指したが既に無くなっていて、ボストンの本屋は全滅だったそうです。AmazonなどはまさにIT技術が革命をもたらしているというのが実感出来ますね。立ち読みの出来る本屋もない田舎に住んでいるとこの便利さは計り知れないメリットがありますね。私は最近は古本の購入に古本屋のサービスも重宝しています。
既存の大手本屋ネット販売サイトを開いていますが、Amazonという全くの新興勢力の足許にも及ばないですし、ましてや電子書籍の時代に突入しようとしていることに既存の本屋さんは何の手も打てていません。これが今進んでいる革命の時代だということを認識しないとこれから生き残れないということでしょう。これは本屋だけでなく、個人のいきかたにも関連するという危機感やチャンス感とも相通ずるものがあると思っています。
三条~大津歩き、良いですね~(^_^)
小生はネットでした。買い物をしたことは殆ど無いのですが、人のブログ等を読んでいる時に、楽天やアマゾンの宣伝に自分が検索したものが出ていることに不気味さを感じます。
周山廃寺、石田茂作さんの発掘だったのですね。どのような話が聞けるのか楽しみですね。
宝塚市のマンホールの「すみれ」の意匠、やはりですね。
私も図書館が大好きです。当市も分館を含めて6館ありますが私は5分でいける中央図書館に。大体2週間に5冊ずつ借りてきます。な~にgunkanatagoさんのような難しい本はよう読みません。花や旅や歳時記にクラフト、たまに随筆くらいかな。文藝春秋はずい分長く家で買い続けています。今週借りたのは「桜のいのち庭のこころ」佐野藤右衛門さんの本で、なかなかの内容です。
今、京都新聞に連載中の「京の山寺、山城跡を行く」今回は愛宕山の”雲心寺跡”でした。忘れてなかなか切り抜きが出来ないのです。
するめの天ぷらも美味しいですね。先日はありがとうございました。
宝塚のすみれの歌、よく聞いて育ちましたから懐かしいです。なんと中学校に音楽学校の生徒が年に一度公演に来ていました。欠食児童への慰問みたいなものでしょうか。おかげで歌劇そのものは未だに見ずじまい(笑)。
徘徊、あと一月は休眠です。再開しましたら、よろしくお願いします。
これ切り抜いといて下さいませんか~m(. .)m
私は新聞をとってなくてすべてオンラインでやってますので、、、
我が甥っ子がこの雲心寺跡を探訪したのですが、このお寺はかのペンション愛宕道から行くウジウジ谷の名の由来とも言われていますし、興味があります。
25年度の西鯖講座ではこの横の松尾峠も歩く予定です。光厳天皇さんが常照皇寺へと来られた時に越えられた峠です。
mfujinoさん、雲心寺跡の切りぬきOkですよ^^
すでに取ってあります。