写真は、池田市の新町にある西光寺です。江戸時代のスモントリ猪名川政右衛門の墓があるこの寺の門前が篠山街道と能勢街道の分岐点になっています。国道176号線から173号線が分岐するところから能勢方面も篠山方面も猪名川に沿って北上するのですが、門前の道標によれば篠山方面へは呉服橋を渡って川西へ行けという感じに受け取れます。
川西市側で猪名川右岸を北上する道は確かに篠山街道なのですが、池田市側猪名川左岸を北上する道が能勢街道とすると川を挟んで二つの街道が並行する形になります。今少し調べてから申し述べるべきかも知れませんが、まあ昼間から酒を飲んでの徘徊ということで大目に見ていただいて先に進みます。呉服橋を西に真っ直ぐ、すなわち176号線を宝塚方面に向かえば中山寺への巡礼道ということになります。呉服橋は昔は巡礼橋と言われていたそうです。
西光寺門前の分岐から篠山街道、巡礼道への道は古い道が猪名川までの数十メートルだけ残されていて、その分岐にあるのが有名な「吾妻」といううどん屋です。
創業元治元年(1864)というこの店、幕末のややこしいときに創業したのですが、現在は旧店舗を復元した上にマンションが乗っているという形になっています。今は昔、「ざるそば」を食える店と言えば、この近所には吾妻しかなく、舟形の塗り物にそばが盛られているというものでしたが、今は「ささめうどん」が店の名物になっています。四半世紀も前になるでしょうか、「きつねうどん」を注文すると店の老おかみが「しのだぁ」と厨房に注文を伝えたものですが、「しのだ=きつね」が通じるうどん屋も少なくなりました。近年評判になりつつある加古川の「かつめし」、最も有名な加古川市寺家町の朝日食堂の張り紙に「しのだ」の文字を見つけたときは驚喜したものです。
閑話休題、この吾妻の店内は創業当時とはいかぬでしょうが、少なくとも大正年間ごろのうどん屋の様子を良く残しているのではないでしょうか。初期のテレビドラマ、花登筐原作、小山明子主演の「道頓堀」では、この店の構えがそのままセットに使われました。今回もついでに冷やかしていきたいところですが、このところは昼前から2時ぐらいまでは常時満席状態ですから、また夕方にということにいたしましょう。
さて、落語「池田のしし買い」では(そういえばここは落語ミュージアムの裏手になりますが)、大阪のアホが池田まで能勢街道を猪の肉を買いに来る話ですが、ここは逆に大阪方面に向かって歩き始めます。眼を東に転じて西光寺門前を出発すること5歩、いきなり「緑一」の吉田酒造と相成ります。
吉田酒造の「緑一」はこの近くにある「呉春」と水が同じなのでしょうか。少し辛口の呉春といった感じですが、小生の如き酒飲みの小者はともかく老若男女、大酒飲みと名を冠して良い人は全て緑一に軍配を上げます。けれども別に両者に喧嘩をしてもらおうというのではなく、どちらにも栄えてもらいたいので、「好みの問題、どちらもウマイ!」ということにいたします。ここでは、買うこともできますが、この日は玄関で「こんにちわー。」と大阪のアホよろしく声をかけるのですが、どうも留守でした。
「ええもん!さっき飲んできたもん!」ということで、実は「緑一」を飲んでウロウロしているのです。緑一を飲ませる店としては猪名川沿いの料亭「魚清」があるのですが、実はもう一軒見つけてあるのです。但し「内緒にしといとくなはれ。(酔っぱらいが腰を落ち着けたらうっとおしいから)」という店の人との約束もありますので、ここではまあ近所でということにしておきます。
吉田酒造の前から大通りに出て阪急池田文庫方面に向かうとちょっとした坂道があります。坂の上にはうまい餅屋があり、丁稚羊羹などという懐かしいものも売っています。この近辺に「星の宮」や「あわん堂」といった何か不思議な名を持つ小祠が並びます。
星の宮はこのあたりに数多く残る織女「漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)」にちなむお宮さんで、もともとは漢織を祀る伊居太神社の御旅所とされるのですが、額などを見ると道教的な雰囲気もあります。呉服神社や伊居太神社、二人が糸を染めたとされる染殿の井やこの星の宮、二人が上陸した唐船ヶ淵や衣掛の松、謡曲「呉服」の世界に繋がる伝承がこの辺りには多く残っています。あわん堂は村の薬師堂でしょうか。ここを出ると池田の歴史民俗資料館の裏手で竪穴の石室が剥き出しになった「五月ヶ丘古墳」を見ることが出来ます。
ここから井口堂までの間、何もないと思うために多くの人は水月公園などを話題にするのですが、別にどうということもない詰まらぬ公園です。実は尊鉢厄神釈迦院という素晴らしく清浄な空気の漂うお寺があります。知られざる名刹と言っていいでしょう。京都あたりの観光寺院のよどんだ空気に比すれば正しく仏のおわす寺であります。近所には石田三成の軍旗を埋めたとかいう寺もあるのですが、ご報告はまたいずれのこととします。
また、前回の豊中徘徊に於いては大峰信仰の底に隠れてしまった如き愛宕信仰が池田では健在です。第一、五月山の頂上にはちゃんと愛宕神社があり、池田の夏の祭である「ガンガラ火」はこのお宮さんの祭ですから。写真は、能勢街道に面した愛宕神社です。
井口堂も近くなったところに能勢街道と有馬街道の分岐点があります。ニシンジョといわれる地名の由来は今一解りませんが、京都府内の同一の字名では「西所」とありますから、丁度この地も集落の西の端で街道の分岐に当たるためにそういわれたのかも知れません。地蔵堂の左に道標がありますが、全く読めません。
井口堂の道標を過ぎれば、すぐに石橋の駅ですが、石橋商店街はその看板にはっきりと「能勢街道」と記しています。
本来、この商店街を抜けてさらに豊中方面へということになるのですが、商店街からチラリと見えた阪急石橋駅のことで重要なことを思い出しました。いつも電車で通過するときにホームの中にビアスタンドらしきものがあるのです。まだ、京阪三条駅が地上にあったころに宇治線の乗り場近くにあったアサヒビアスタンドとロゴが似ているのです。ちょうど喉も渇いたし、今日はここで歩くのはおしまい、ビールを飲むゾーと駅構内に入ったら実は「スタンダード」という喫茶店でした。こういうときは「フン!」とか「ヘン!」とかを口に出していった方がいいですね。ということでこのまま電車に乗って十三あたりまでということになるのでした。
(09年6月記)
川西市側で猪名川右岸を北上する道は確かに篠山街道なのですが、池田市側猪名川左岸を北上する道が能勢街道とすると川を挟んで二つの街道が並行する形になります。今少し調べてから申し述べるべきかも知れませんが、まあ昼間から酒を飲んでの徘徊ということで大目に見ていただいて先に進みます。呉服橋を西に真っ直ぐ、すなわち176号線を宝塚方面に向かえば中山寺への巡礼道ということになります。呉服橋は昔は巡礼橋と言われていたそうです。
西光寺門前の分岐から篠山街道、巡礼道への道は古い道が猪名川までの数十メートルだけ残されていて、その分岐にあるのが有名な「吾妻」といううどん屋です。
創業元治元年(1864)というこの店、幕末のややこしいときに創業したのですが、現在は旧店舗を復元した上にマンションが乗っているという形になっています。今は昔、「ざるそば」を食える店と言えば、この近所には吾妻しかなく、舟形の塗り物にそばが盛られているというものでしたが、今は「ささめうどん」が店の名物になっています。四半世紀も前になるでしょうか、「きつねうどん」を注文すると店の老おかみが「しのだぁ」と厨房に注文を伝えたものですが、「しのだ=きつね」が通じるうどん屋も少なくなりました。近年評判になりつつある加古川の「かつめし」、最も有名な加古川市寺家町の朝日食堂の張り紙に「しのだ」の文字を見つけたときは驚喜したものです。
閑話休題、この吾妻の店内は創業当時とはいかぬでしょうが、少なくとも大正年間ごろのうどん屋の様子を良く残しているのではないでしょうか。初期のテレビドラマ、花登筐原作、小山明子主演の「道頓堀」では、この店の構えがそのままセットに使われました。今回もついでに冷やかしていきたいところですが、このところは昼前から2時ぐらいまでは常時満席状態ですから、また夕方にということにいたしましょう。
さて、落語「池田のしし買い」では(そういえばここは落語ミュージアムの裏手になりますが)、大阪のアホが池田まで能勢街道を猪の肉を買いに来る話ですが、ここは逆に大阪方面に向かって歩き始めます。眼を東に転じて西光寺門前を出発すること5歩、いきなり「緑一」の吉田酒造と相成ります。
吉田酒造の「緑一」はこの近くにある「呉春」と水が同じなのでしょうか。少し辛口の呉春といった感じですが、小生の如き酒飲みの小者はともかく老若男女、大酒飲みと名を冠して良い人は全て緑一に軍配を上げます。けれども別に両者に喧嘩をしてもらおうというのではなく、どちらにも栄えてもらいたいので、「好みの問題、どちらもウマイ!」ということにいたします。ここでは、買うこともできますが、この日は玄関で「こんにちわー。」と大阪のアホよろしく声をかけるのですが、どうも留守でした。
「ええもん!さっき飲んできたもん!」ということで、実は「緑一」を飲んでウロウロしているのです。緑一を飲ませる店としては猪名川沿いの料亭「魚清」があるのですが、実はもう一軒見つけてあるのです。但し「内緒にしといとくなはれ。(酔っぱらいが腰を落ち着けたらうっとおしいから)」という店の人との約束もありますので、ここではまあ近所でということにしておきます。
吉田酒造の前から大通りに出て阪急池田文庫方面に向かうとちょっとした坂道があります。坂の上にはうまい餅屋があり、丁稚羊羹などという懐かしいものも売っています。この近辺に「星の宮」や「あわん堂」といった何か不思議な名を持つ小祠が並びます。
星の宮はこのあたりに数多く残る織女「漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)」にちなむお宮さんで、もともとは漢織を祀る伊居太神社の御旅所とされるのですが、額などを見ると道教的な雰囲気もあります。呉服神社や伊居太神社、二人が糸を染めたとされる染殿の井やこの星の宮、二人が上陸した唐船ヶ淵や衣掛の松、謡曲「呉服」の世界に繋がる伝承がこの辺りには多く残っています。あわん堂は村の薬師堂でしょうか。ここを出ると池田の歴史民俗資料館の裏手で竪穴の石室が剥き出しになった「五月ヶ丘古墳」を見ることが出来ます。
ここから井口堂までの間、何もないと思うために多くの人は水月公園などを話題にするのですが、別にどうということもない詰まらぬ公園です。実は尊鉢厄神釈迦院という素晴らしく清浄な空気の漂うお寺があります。知られざる名刹と言っていいでしょう。京都あたりの観光寺院のよどんだ空気に比すれば正しく仏のおわす寺であります。近所には石田三成の軍旗を埋めたとかいう寺もあるのですが、ご報告はまたいずれのこととします。
また、前回の豊中徘徊に於いては大峰信仰の底に隠れてしまった如き愛宕信仰が池田では健在です。第一、五月山の頂上にはちゃんと愛宕神社があり、池田の夏の祭である「ガンガラ火」はこのお宮さんの祭ですから。写真は、能勢街道に面した愛宕神社です。
井口堂も近くなったところに能勢街道と有馬街道の分岐点があります。ニシンジョといわれる地名の由来は今一解りませんが、京都府内の同一の字名では「西所」とありますから、丁度この地も集落の西の端で街道の分岐に当たるためにそういわれたのかも知れません。地蔵堂の左に道標がありますが、全く読めません。
井口堂の道標を過ぎれば、すぐに石橋の駅ですが、石橋商店街はその看板にはっきりと「能勢街道」と記しています。
本来、この商店街を抜けてさらに豊中方面へということになるのですが、商店街からチラリと見えた阪急石橋駅のことで重要なことを思い出しました。いつも電車で通過するときにホームの中にビアスタンドらしきものがあるのです。まだ、京阪三条駅が地上にあったころに宇治線の乗り場近くにあったアサヒビアスタンドとロゴが似ているのです。ちょうど喉も渇いたし、今日はここで歩くのはおしまい、ビールを飲むゾーと駅構内に入ったら実は「スタンダード」という喫茶店でした。こういうときは「フン!」とか「ヘン!」とかを口に出していった方がいいですね。ということでこのまま電車に乗って十三あたりまでということになるのでした。
(09年6月記)
また、ご報告いたしますが猪名川町の多田銀銅山、随分と整備がされていました。それよりも何よりも道の駅「いながわ」の繁昌ぶりに驚きました。そばの館なるところは繁昌しすぎてだいぶと味が落ちているような気もしましたが、お時間がありましたら一度お越しいただいたらと思います。
猪名川の水があの美味しい緑一や呉春を生んだのでしょうか?
ところで道草さまのコメントが気になり本文へのコメントが進めません。まあ折角遠方よりお越し頂くわけですから、晴れ男を過大に表現してみたり、雨が降るとダメですよ、まあ来年を楽しみにして下さい、と予防線を張ったりしておりました。結果的には両方とも外れたわけですからここは潔くごもっともと認めておきましょう。それに加うるにマダム道草さまが8時10分を過ぎないとダメですよと言われその通りになった訳ですから完全に脱帽であります。しかしお客様に花を持たせる我がホスピタリティのテクニック部分もなかなか進歩したものだわいと内心喜んでおります。お客様に主役を演じて貰うという目標に一歩近づいたと( ^_')(でもこんなことお客様の前で書くようではまだまだでございます\(. .) )
ホタルは御覧になることが出来て本当に良かったですね。小生もF様によいスポットを教えていただきました。
ネコどもは小屋にいるのは、精神的にはまだノラですが、そこそこ品があって置き餌が出来るから助かります。自宅におる奴などはあったらあるだけ食べてしまうので、到底小屋には入れられません。これからの夏を乗り切るために小屋の側面に穴を開けたり、なんやかやと作業が続き、敷地の草も隣の方が善意で刈って下さっています。
池田は、道草様やF様のご都合がよければ一度ご案内したいと思っている街です。何か緑一を飲んだ後で呉春を飲む旅になりそうですが…。
一昨夜は、明石川の蛍F氏のご案内で鑑賞して参りました。強雨なら蛍は絶対に飛ばないから中止するか、どうしても行くのなら氏の方正なる品行で晴れさせて見せる、との心強いご宣託を信じて参りました。しかし、雨は予報に違わず強く降り、しかも蛍は我れ関せず状態で点滅しておりました。二重の外れにも関わらず(お陰様で)、久々の古里の蛍の幻想を満喫したことでした。予報士(予言士?)の実力を目の当たりに拝見しますと共に、それにも増して、F氏の篤きご厚意に甘え放(咄)しでした。
翌日は「せせらぎ」で昼食を摂り、徘徊猫殿ご一同に挨拶もして参りました。思わず雑草に脚(葦が生えてる?)を取られそうになり、慌てた所為で写真を撮ることも忘れひいては雑草を取ることも失念致しました。初めて知ったのですが、猫は毎回の必要分しか食事を摂らないのですねぇ。改めて我が身を反省し、且つ学習し得た有意義なひと時ではありました。
今年は鮎が不漁との予報ですが、F予報士の実力を知ったことでもありますし、予報の外れることを期待(確信)して待ちます。