本日は、当初の予定を変更して、前回の記事にmfujino様にいただいたコメントにあった「島らっきょう」を食いに行きます。
「沖縄料理」=「豚肉」というイメージを持っていた小生は、基本的には豚肉を食いませんので沖縄料理に近づいたこともありませんでした。当然「島らっきょう」についても全く知りませんでした。世の中、本当に知らんことだらけです。
それで、ちょっと調べると「島らっきょう」の天ぷらを始めとして、非常に「うまそー、にあいそー。」、このところ食い意地だけのブログのようになっておりますが、気にせずに出かけます。キーワードは「平尾」です。
さて、何で最初が「肥後橋」やねん?と言われると、それはちょっとしたミス(笑)であります。山でも街でも迷っている。四ツ橋筋に沿った肥後橋商店街は「大阪一短い商店街」を標榜しています。うん、確かに短いし、店が殆ど無い。南に商店街を出たところが「頼山陽生誕地」です。パパの春水がこの辺りで塾を開いていたとのことです。
今や庶民の憩い場となっている「うつぼ公園」、この辺り一帯には海産物問屋が軒を連ねていました。公園は川の跡でもあります。北前船が運んできた蝦夷地の産物も、この付近の永代浜で陸揚げされました。なにわ橋筋の東側に「永代橋・門樋橋跡の碑」、西側には大きなクスノキを祀る「うつぼ楠永神社」があります。
うつぼ公園
永代橋・門樋橋跡の碑
うつぼ楠永神社
さてさて、寄り道はここまで。大正区に向かいます。肥後橋からはバスで30分余、体感温度は40度もあろうかという本日、網の目のように走っているバスは助かります。といっても普段は殆ど利用しないけど。
「平尾」のバス停で降りて、50メートルほど東に進むと「サンクス平尾」の商店街、「リトル沖縄」と言われているところです。この辺りは戦災に遭わなかったということで、懐かしい町並も残っています。
本日は商店街の中は閉まっている店が多く、言いきることはできませんが、目指す沖縄料理の店は、商店街の中よりも寧ろ周辺部にあるようです。
威力偵察を敢行した結果、本日開けている沖縄料理の店は3軒、うち2軒は外から様子がうかがえます。残念ながら満席という感じで、外からは様子が分からない店に入りました。先客が何名か居て沖縄そばを食べていましたが、席が空いています。ラッキー
「いらっしゃい。何しましょ。」 「ビール!」 「キリン?」 「ン、キリン。」
ビールが出てきました。
「島らっきょうてある?」 「ないよ!」 「?・・・季節とちやうの?」
「あんなもん、いつだってあるよ。」 「メニューにはないということ?」
「そお(断定)。」
ガーン、何たる不幸!きっと「島らっきょうのフルコース」があると思っていたのに。けれども切り替えが早いことだけが取り柄の小生なので、定番のゴーヤチャンプルーを頼みました。そやつを食っていると、「家のやけど。」と言って「島らっきょう」を少し出してくれました。何か今日も人の情けで生きているなあ(詠嘆)。味は普通の「らっきょう」の味でした。
では、あとの2軒に挑戦すればいいのですが、本日は目論んでいることもあるので、平尾とはここでおさらば、木津川に向かいます。また、宿題が残りました。「あいつはイヤシイから来週も来るでー。」という声も。
暑い暑い道を歩いていると、ホントにアホかいなという掲示、ちゃんと仕事をせー。
辿り着いたのは「千本松渡船場」です。木津川の河口から2番目にある渡船場になります。これで3/8ヶ所め。水はやはりババチイのですが、海に近いこともあってか風は爽やかです。自転車に子供を乗せてきた若いお母さん、自分も汗だらけなのに、子供を団扇であおいでやっています。慈母観音とはよく言ったものだ。ガキンチョよ、大きくなったら思いきり孝行するねんで。「子を扇ぐ母に涼しく川の風[羅休]」。
渡船場の上に千本松大橋
流石に河口部だけあって、川幅が広いので船に乗っている時間は1分30秒と、今までの渡船場の3倍です。西成区側に渡り終えて大正区側を振り返ります。
西成区に辿り着いたのはいいのですが、「ここは何処や?」。まあ、東に東に進めば、いずれ南海電車にぶち当たるはずです。途中の地名は「千本」、懐かしい感じの商店街が続きます。
千本商店街
ふちあたった南海電車の駅は「岸里玉出」でした。ナルホド、ナルホド、ということは神風連としては、住吉さんにお参りしていかねばならぬ距離です。「ここから住吉さんに行って、帰りは…。」と目論見通りにコトが進みます。前にお参りしたときは天下茶屋から歩いてきましたから、何年経っても同じようなことをしているということですね。
住吉大社
大阪湾沿いには、神功皇后にゆかりの御社が多くありますが、ここはその中心地、実は最初の予定では播磨の高砂神社に行くつもりだったので、縁を感じずにはいられません。住吉さんは謡曲「高砂」の終着点ですね。
さすがにさすが、灯籠一つ取っても「わあー」というのがいっぱい並んでいます。細かく見て行くには今日は暑い。
安政5年灯籠
高床式倉庫は、神功皇后の時代を偲ばせてくれます。瓦葺きはいただけませんが。この辺りは大伴氏の領地でもありました。
鳥たちがのんびりと休憩しているのは、このお社が良いお社だからでしょう。「猫にえさをやらないでください」という看板だけが余分でした。そういえば、一寸法師は住吉明神の申し子ですね。御伽草子の一寸法師はトンデモナイ悪党ですが、まあ小さな命は慈しまねばなりません。
神宮寺跡
しゃて、帰りは阪堺電車。カンの良い方はもう何を考えているのかお解りですね。このチンチン電車、京都の嵐電と同じように料金を一律に200円としたところ、売り上げが大いに伸びたそうです。沿線の景色も何かホンワカした感じです。松虫の名も懐かしく思っているうちに早くも終点です。
天王寺に到着すると、早速にキューズモール内の「明治屋」を探しました。この大型商業施設(昔小生が通った「明けごころ」を出す居酒屋はこやつに粉砕されました)に入った上は、定休日は他の店とも合わさねばならないだろう。ということは、日曜日も営業、、、ヒヒヒ、ヒヒヒ。日本一の居酒屋といわれる店に、未だ一度も入ったことがないというのは情けない話です。その情けなさを返上するぞー。
結果、明治屋は他の店が開店していても悠然と、そして決然と休んでいました。あっぱれであります。
切り替え早く、明治屋の前の「茶虎」で飲みました。たこ焼きもあれば、串カツもあるというなかなかの店です。これで「うどん」があれば完璧です。客あしらいもなかなか丁寧で、これからは度々来そうな予感がする店でありました。
「沖縄料理」=「豚肉」というイメージを持っていた小生は、基本的には豚肉を食いませんので沖縄料理に近づいたこともありませんでした。当然「島らっきょう」についても全く知りませんでした。世の中、本当に知らんことだらけです。
それで、ちょっと調べると「島らっきょう」の天ぷらを始めとして、非常に「うまそー、にあいそー。」、このところ食い意地だけのブログのようになっておりますが、気にせずに出かけます。キーワードは「平尾」です。
さて、何で最初が「肥後橋」やねん?と言われると、それはちょっとしたミス(笑)であります。山でも街でも迷っている。四ツ橋筋に沿った肥後橋商店街は「大阪一短い商店街」を標榜しています。うん、確かに短いし、店が殆ど無い。南に商店街を出たところが「頼山陽生誕地」です。パパの春水がこの辺りで塾を開いていたとのことです。
今や庶民の憩い場となっている「うつぼ公園」、この辺り一帯には海産物問屋が軒を連ねていました。公園は川の跡でもあります。北前船が運んできた蝦夷地の産物も、この付近の永代浜で陸揚げされました。なにわ橋筋の東側に「永代橋・門樋橋跡の碑」、西側には大きなクスノキを祀る「うつぼ楠永神社」があります。
うつぼ公園
永代橋・門樋橋跡の碑
うつぼ楠永神社
さてさて、寄り道はここまで。大正区に向かいます。肥後橋からはバスで30分余、体感温度は40度もあろうかという本日、網の目のように走っているバスは助かります。といっても普段は殆ど利用しないけど。
「平尾」のバス停で降りて、50メートルほど東に進むと「サンクス平尾」の商店街、「リトル沖縄」と言われているところです。この辺りは戦災に遭わなかったということで、懐かしい町並も残っています。
本日は商店街の中は閉まっている店が多く、言いきることはできませんが、目指す沖縄料理の店は、商店街の中よりも寧ろ周辺部にあるようです。
威力偵察を敢行した結果、本日開けている沖縄料理の店は3軒、うち2軒は外から様子がうかがえます。残念ながら満席という感じで、外からは様子が分からない店に入りました。先客が何名か居て沖縄そばを食べていましたが、席が空いています。ラッキー
「いらっしゃい。何しましょ。」 「ビール!」 「キリン?」 「ン、キリン。」
ビールが出てきました。
「島らっきょうてある?」 「ないよ!」 「?・・・季節とちやうの?」
「あんなもん、いつだってあるよ。」 「メニューにはないということ?」
「そお(断定)。」
ガーン、何たる不幸!きっと「島らっきょうのフルコース」があると思っていたのに。けれども切り替えが早いことだけが取り柄の小生なので、定番のゴーヤチャンプルーを頼みました。そやつを食っていると、「家のやけど。」と言って「島らっきょう」を少し出してくれました。何か今日も人の情けで生きているなあ(詠嘆)。味は普通の「らっきょう」の味でした。
では、あとの2軒に挑戦すればいいのですが、本日は目論んでいることもあるので、平尾とはここでおさらば、木津川に向かいます。また、宿題が残りました。「あいつはイヤシイから来週も来るでー。」という声も。
暑い暑い道を歩いていると、ホントにアホかいなという掲示、ちゃんと仕事をせー。
辿り着いたのは「千本松渡船場」です。木津川の河口から2番目にある渡船場になります。これで3/8ヶ所め。水はやはりババチイのですが、海に近いこともあってか風は爽やかです。自転車に子供を乗せてきた若いお母さん、自分も汗だらけなのに、子供を団扇であおいでやっています。慈母観音とはよく言ったものだ。ガキンチョよ、大きくなったら思いきり孝行するねんで。「子を扇ぐ母に涼しく川の風[羅休]」。
渡船場の上に千本松大橋
流石に河口部だけあって、川幅が広いので船に乗っている時間は1分30秒と、今までの渡船場の3倍です。西成区側に渡り終えて大正区側を振り返ります。
西成区に辿り着いたのはいいのですが、「ここは何処や?」。まあ、東に東に進めば、いずれ南海電車にぶち当たるはずです。途中の地名は「千本」、懐かしい感じの商店街が続きます。
千本商店街
ふちあたった南海電車の駅は「岸里玉出」でした。ナルホド、ナルホド、ということは神風連としては、住吉さんにお参りしていかねばならぬ距離です。「ここから住吉さんに行って、帰りは…。」と目論見通りにコトが進みます。前にお参りしたときは天下茶屋から歩いてきましたから、何年経っても同じようなことをしているということですね。
住吉大社
大阪湾沿いには、神功皇后にゆかりの御社が多くありますが、ここはその中心地、実は最初の予定では播磨の高砂神社に行くつもりだったので、縁を感じずにはいられません。住吉さんは謡曲「高砂」の終着点ですね。
さすがにさすが、灯籠一つ取っても「わあー」というのがいっぱい並んでいます。細かく見て行くには今日は暑い。
安政5年灯籠
高床式倉庫は、神功皇后の時代を偲ばせてくれます。瓦葺きはいただけませんが。この辺りは大伴氏の領地でもありました。
鳥たちがのんびりと休憩しているのは、このお社が良いお社だからでしょう。「猫にえさをやらないでください」という看板だけが余分でした。そういえば、一寸法師は住吉明神の申し子ですね。御伽草子の一寸法師はトンデモナイ悪党ですが、まあ小さな命は慈しまねばなりません。
神宮寺跡
しゃて、帰りは阪堺電車。カンの良い方はもう何を考えているのかお解りですね。このチンチン電車、京都の嵐電と同じように料金を一律に200円としたところ、売り上げが大いに伸びたそうです。沿線の景色も何かホンワカした感じです。松虫の名も懐かしく思っているうちに早くも終点です。
天王寺に到着すると、早速にキューズモール内の「明治屋」を探しました。この大型商業施設(昔小生が通った「明けごころ」を出す居酒屋はこやつに粉砕されました)に入った上は、定休日は他の店とも合わさねばならないだろう。ということは、日曜日も営業、、、ヒヒヒ、ヒヒヒ。日本一の居酒屋といわれる店に、未だ一度も入ったことがないというのは情けない話です。その情けなさを返上するぞー。
結果、明治屋は他の店が開店していても悠然と、そして決然と休んでいました。あっぱれであります。
切り替え早く、明治屋の前の「茶虎」で飲みました。たこ焼きもあれば、串カツもあるというなかなかの店です。これで「うどん」があれば完璧です。客あしらいもなかなか丁寧で、これからは度々来そうな予感がする店でありました。
「島らっきょう」は八百屋で売っています。この平尾の商店街の中の八百屋で時々買いました。食堂で食したのではありませぬ。説明が不十分ですみませんでした。で、その食べ方ですが、まだ少し土のついているのを買って写真の様な形に切ります。それをビニール袋に入れて少し塩をして2時間程冷蔵庫に入れておきます。さて冷えたビールが用意できましたらそのらっきょうを皿に盛り、カツオ節を振りかけ醤油味で頂きます。要は生で食べる訳であります。これはビールに合いまっせ。
食い意地だけのブログだそうですのでもう一つ呑み屋の話をしておきましょう。京都駅の八条口側の地下にある近鉄商店街の一番奥に「薩摩」(さつまだったかしら)という鹿児島焼酎がいっぱいの見せで教えて貰いました。ここでもメニューに載っていたと思います。この店には思い出がありまして、大阪から西院まで畳んだ自転車を持って阪急で行き、高雄~京北~日吉と自転車で走り、山陰線で京都駅に着き、折りたたみの自転車を担いで行ったものです。呑んだ後大阪まで自転車担いで電車でかえるのは割としんどいもんだわいと思ったことが思い出されます。
一度森伊蔵を呑んでみたくなったので注文すると、「お兄さん、今日は金に糸目をつけないのね。でも森伊蔵よりこっちの方が安く味は負けない」と薦めてくれたりします。ここも酒のあては少し高い様に思いますが、我がお気に入りの店であります。
ちなみにこの店は親戚の法事で坊さんと呑んでいて、あそこがいいぞと教えて貰ったものです。何しろ義理の兄貴が自分はあまり酒が飲めないので上手いことまるめこまれて私がその坊さんのお相手役を仰せつかった時の話です。美味い酒の店は禅宗の坊主に教えて貰うのがいいのかもしれません。
明治屋といい島らっきょう(そうあちこちで売っているものではありません。京都で捜してみて下さい。そして発見したらその店を教えて下さいませ)といい、まあ逃した魚は大きいことでしょう、なんて書いている私も相当あまのじゃくではあります。
靫公園は知人の会社へ訪問する時に、何度か通り抜けた記憶があります。傍に有名なパン屋があって、土産に買って帰ったことを思い出しました。一時はホームレスの最大拠点と聞いていましたが、その頃は綺麗になっていました。平尾なる名称は初めて耳にしますけど、沖縄出身者が多いのですか。
それにしても、島らっきょ(この名称も初耳です)を置いていない沖縄料理店があるとは。それにしても(!)自家用を提供してもらえるとは、やはり徘徊堂さんの人徳でしょう。それとも、余りにもの落胆振りを見て同情されたとか。どちらにしても、目的のモノに有り付けて何よりでした。やはり、天麩羅でないと島らっきょの持ち味は出ませんか。
それにしても(3度目ですか)凍結の看板がそのまま生きているとは、さすがに大らかな大阪です。大ら阪満点です。
それに渡船場で子供を団扇で仰ぐ母親の姿は、やはり大阪ならでは・・・でもないですか。しかし、微笑ましい眺めではあります。「子を仰ぐ母に川風お裾分け」(道草)。
それにしても(また出ました)岸里は懐かしい所です。南海岸里駅前に会社の寮があって、かつて本社(難波)勤務になった年に1年間入寮しました。終戦直後に建ったボロ建物で、毎朝始発の電車の轟音で目が醒めました。遅く寝た(都合で)翌朝でも、嫌も応も無く起こされたものです。最終電車は白粉の匂い満杯で、車中は息も出来ないほどでした(ちゃんと空気は吸いましたが)。当時は難波で沈没していましたから、天下茶屋で下りたことがなく、思えば狭い行動範囲ではありました。
住吉戎の混雑は何度か目の当たりにしましたけど、大社への参詣の経験は無しで終わりました(今からでも行けますが)。一寸法師に縁があるのですか。阪堺線は私も仕事で、帝塚山へはたまに行きました。何処かで乗り換えたのでしょう。住吉かも?
徘徊の最終最大目標の明治屋が休みで残念でしたけど、直ぐに代替を見付けて目的は200%達成され何よりでした。さすがに大阪はフトコロが深い様です。大阪の南の雰囲気溢れる徘徊録を、本日も楽しませて頂きました。横道へ外れましたことは深謝です。
島らっきょう、そういう食い方をするのですね。酢漬けだったから普通のらっきょうと同じだったのかというところです。mfujino様が買われたという八百屋もだいたい分かりますよ(笑)。その時は、八百屋で買うということには全く気が付きませんでした。ゴーヤは大きいのが置いてあるなあと見ていましたけれども。京都で置いているところはないか、これからは八百屋も要注意です。和菓子屋の大将が、大汗かきながら高知産アイスクリン(詳細不明)を引っかいてコーンに乗せているなど、他にも色々とおもしろいところがある商店街でした。
明治屋は、本当に笑いました。日本一はこうでなくてはいけませんね。茶虎のたこ焼き、岩塩マヨネーズ、イカモノですがお勧めです。
平尾近辺は、リトル沖縄と呼ばれているように沖縄出身の人が多いようです。入った沖縄料理店でも小生以外の人は全て沖縄出身の人でした。高校野球の糸満高校の活躍を楽しみにする会話が弾んでいましたが、本日負けてしまいましたね。
道草様も「島らっきょう」を初めて聞かれたということで少し安心しました。これはmfujino様がご自身は意識されていなくても「食通」なのであって、決して小生が無知だったのではないという証明をいただいたようなものです。これは是非とも「島らっきょうを生で食べる会」をやらねばいけませんね。
一寸法師は老夫婦(何と媼は40歳)が住吉さんに願をかけて生まれた子です。昔はアラフォーはもうお婆さんだったのですね。この話をするとその年代の女性は大抵ショックを受けます。
カンカン照りの日に、早速島らっきょうを探しに・・・なんていじらしい(失礼しました)のでしょうか。それに先回乗り残された渡し船にも
乗られ、
>明治屋の前の「茶虎」で飲みました。たこ焼きもあれば、串カツもあるというなかなかの店で
喉よろしく次なる予感もピリピリと来て、良かったですね。
きのう突然に沖縄の知人がお墓参りに帰ってきて家に寄ってくれました。ラッキー!島らっきょう、島らっきょうと相手の話も上の空で、らっきょうのことを聞くことばかり考えていました。
やっとこさ、聞き出しましたが、自分達の母の代までは家で漬けたらしいですが、今は地元の方でさえスーパーで買うとのこと。やはり天ぷらが一番で、あとは生にお味噌をつけて食べると美味しいが、たまらなくニオイが強くて翌日、その翌日までデートはダメとのことでした。
皆さまの食通には降参です。私が漬けたものなど恥ずかしくて・・・。
京都で、何とか売っているところはないか探していますが、今のところは見つけられていません。
阿倍野の変わりようにはビックリです。茶虎は何時でも御案内しますよ。日曜日に空けている普通の店ですけど。
ささ舟様の、辛ーいらっきょう、みんな楽しみにしていますよ。