今頃、正月のことをいうと鬼が笑う(ちょっと違うか)かも知れませんが、この大晦日と元日は、雪が積もったうれしさに庭を駆け回ろうと思いました。けれどもよく考えると駆け回るほどの庭はないので、車で山奥を駆け回りました。12月31日は高槻の山奥から亀岡に抜け、嵯峨越畑と神吉周辺。1日は、小野郷から細野周辺ですが、平均時速は40㎞ほどのトロトロ走りです。
それでも、ちょっと油断してスピードをあげてカーブを曲がったりすると「オオッ!」と車の尻が振れてピピッと警報音が鳴ります。「ヒェー」と車を立て直した直後から冷や汗が流れる感じと共に「自分は一体何をしているのだろう」という疑問も浮かんできます。
初詣は小野郷の岩戸落葉神社、最も好ましいお社の一つです。本来は別の処にあった神様が二坐、今は仲良く鎮座されています。後ろに大きな岩を背負っておられますから、もともとはこの磐倉に対する信仰の場であったのだろうと思われます。
境内にある「日下部五郎右衛門翁」の碑、確かにこの近隣に大きな民家の日下部家があり、その周辺にも同姓の方が住んでおられますが、この五郎右衛門翁の事跡は何も分かりません。どなたかご教示いただければ幸甚です。
派出所の横から南側、供御飯峠方面です。本日などは、この峠に人蹤は全く無いことでしょう。普段でも殆どありませんから。
ここで、ふと足元を見ると、「あれぇ、こんなところにあったのか。」と小野郷村道路元標です。何度も来ていて、全く気がつきませんでした。
その後、細野から弓槻峠、栃本に出て八幡宮にお参りをしました。通過してすぐに雪のための倒木があり、弓槻峠は通行止めになりました。
今から思うと、あれだけの雪を見る機会は少ないのであるから、中川の八幡宮や真弓、神吉の日吉神社などにもお参りしたら良かったなあと思います。どうやら、今年も攘夷論者の神風連として生きていくことになりそうです。
それでも、ちょっと油断してスピードをあげてカーブを曲がったりすると「オオッ!」と車の尻が振れてピピッと警報音が鳴ります。「ヒェー」と車を立て直した直後から冷や汗が流れる感じと共に「自分は一体何をしているのだろう」という疑問も浮かんできます。
初詣は小野郷の岩戸落葉神社、最も好ましいお社の一つです。本来は別の処にあった神様が二坐、今は仲良く鎮座されています。後ろに大きな岩を背負っておられますから、もともとはこの磐倉に対する信仰の場であったのだろうと思われます。
境内にある「日下部五郎右衛門翁」の碑、確かにこの近隣に大きな民家の日下部家があり、その周辺にも同姓の方が住んでおられますが、この五郎右衛門翁の事跡は何も分かりません。どなたかご教示いただければ幸甚です。
派出所の横から南側、供御飯峠方面です。本日などは、この峠に人蹤は全く無いことでしょう。普段でも殆どありませんから。
ここで、ふと足元を見ると、「あれぇ、こんなところにあったのか。」と小野郷村道路元標です。何度も来ていて、全く気がつきませんでした。
その後、細野から弓槻峠、栃本に出て八幡宮にお参りをしました。通過してすぐに雪のための倒木があり、弓槻峠は通行止めになりました。
今から思うと、あれだけの雪を見る機会は少ないのであるから、中川の八幡宮や真弓、神吉の日吉神社などにもお参りしたら良かったなあと思います。どうやら、今年も攘夷論者の神風連として生きていくことになりそうです。
初詣をされた小野郷の岩戸落葉神社を私は知りませんが、徘徊堂さんの一押の神社との由。写真を拝見しますと、昔の栃本八幡宮を彷彿とさせます。栃本の神社は、今は鳥居が白い石に変わってしまい、境内も埋め立てられて、昔の風情は半減してしまいました。苔蒸した境内と色褪せた朱色の木製鳥居があった頃は、裏寂びた感じではありましたが、如何にも山里の鄙びた神社の佇まいでした。
神社の社務所に住んでいながら八幡宮の事をロクに知らない、と私をブログで誹謗した男が居りますか、当時は小学生~中学生だった私は、残念ながら神社の謂れや歴史には無関心でした。それは、確かに今も大差はありませんが、徘徊堂さんやmfujinoさんらの実地探求による生きた情報を仄聞させて戴く様になり、かなり関心の目が開かれつつあります。
今年は雪が多く、今も宇津の里は雪の下でしょうか。私もまた、雪の京北トレイルなどを含め、その周辺を歩き回りたいものです。それと、後になりましたが、3日の愛宕登山では大変お世話様でした。にも関わりませず、ご迷惑をお掛け致し多々ご心労を煩わせ申し訳ございませんでした。お蔭様で、私自身は近来にない爽快な正月となりました。この欄を借りまして御礼申し上げます。また、これに懲りずに宜しくご先導くださいませ。
「冬」 沢木隆子
雪はやんわりと降り積もる。
ゆすぶれば嬰児のこころに微妙な秘密を
きかせたオルゴールのふるさと、
わたしの恋の噂は こんなに遠くまで、 この
生まれた家のいろりのはたにまで うす冷たく
散るのだらうか、
白くすなほに、かくも ひそひそと雪は積もる
ふるさとに。
けれどもその前に、神社はそこに住む大多数の人たちにとっては大切な氏神様であるということだけであって、神話学や宗教学、民俗学に興味がなければ(その興味が無いということで人を非難できる者はいません)別にその由来等はどうでもいいことだと思います。関心があれば調べればいいし、なければお参りするだけでいいと思います。宇宙船の軌道計算ができぬ者がハヤブサを語る無かれというような論には同調できませんよね。
栃本の八幡様は、昔を知らぬ小生にとっては、いまの風情だけでも十分に貴い立派なお社だと思います。チャメも眠っていますしね。
このところ、人様のシマ荒らしに走っておりますが、昨日は道草様のシマ、千本出水下がるでお好み焼きを食べてきました。
小中学生時代、京都へ向かう時にあの石垣も立派な日下部邸の前を通ったときお城の様に感じたことを思い出します。
写真が出ていた供御飯峠、この峠も趣を感じる峠ですね。それと供御飯峠から杉坂口方面へ下りた辺りの北山杉の林は手入れが行き届いていて見事です。北山杉の美しさを見たいならここへ来いと言いたいところだと思っています。
小野郷の日下部家は本当に立派なものですね。雪をいただいた姿も堂々としています。あの家にとって、前が自動車道というのが良いのか悪いのかいつも考えてしまいます。
供御飯峠は昨年は行きそびれましたが、今年は半国高山を春の第1番に設定しようかなと思っています(で、結局桟敷ヶ岳になるでしょうけど)。
そう、あのあたりトイレがありませんからね。利用できそうなのは交番と郵便局ですね。