花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

渉成園・新町通

2010年12月08日 | 徘徊情報・洛中洛外
 本日の徘徊は先ずは渉成園から。枳穀亭という名の方が通りがよい庭園です。東本願寺の庭園ですが、東本願寺からはちょっとだけ離れています。小生などはこの地が源融の河原院跡らしいということにより興味を覚えます。この庭園、何にしても東本願寺が坊主貴族であることの一証左かと考えられます。

          

          

 それでも、市街地の真ん中にこのような庭園が残されていることは、俗な表現ですがまさしく「オアシス」、ここの池で休らう野鳥などは本当に幸せです。東京の大きな庭園もそうですが、渉成園の風景も周囲にニョキニョキと建つ高層建築物によって台無しになっています。関西弁で言うところの「わや」が最もピッタリの表現でしょうか。見えて嬉しいのは京都タワーぐらいかなと申す処。

          

          

          

 さて、本日は何もここに庭を見に来たわけではない。風景だけならば、こういうところよりも桟敷ヶ岳のテッペンからコケコッコーと叫んでいる方が楽しいのであります。エッヘン、本日は斯様なものを見に来たのであります。

          

 花と書の組み合わせ(コラボという軽薄な言葉は使わぬ方が良い)による展示会が開かれているのであります。小生などもたこ焼きと串カツだけのオッサンではないぞいということを証明せんと馳せ参じております。
 笙の演奏に合わせて花を生けるということも行われています。花を生けておられる先生は茶道の先生でもありますから、一つ一つの所作は流れるようで自然に作品が仕上がっていきます。しばしは天上界の楽しみをというところであります。現今、日本の華道界はオカマの牛耳るところとなっておりますが、ここは是非とも頑張ってもらいたいところであります。

          
          菊の淡い香りを着物にうつす

          
          般若心経

 と、似合わぬことはここまで。俗界に戻りましょう。渉成園を出て、北に行けばすぐに文子天満宮、多治比文子の私宅のあったところといわれ、京都では文子が個人的にここで菅原道真を祀ったことが天満宮の起こりとされています。このお社が北野の森に移って、そこに北野の文子天満宮、さらに藤原氏の協力等より北野天神が成立していきます。多治比文子は道真の乳母ということですが、天変地異に動揺する朝廷を手玉に取って託宣という形で社殿を整えていくあたりはなかなかに遣り手のオバハンです。

          

 境内は無人で、お守りなどは勝手にケースから出して、初穂料は細く開けた戸の隙間から投げ入れておいてくれと誠におおらかであります。文子天満宮からは花屋町通をしばらく西へ。東本願寺の北側に出ます。以前に四条以北を歩いた室町通は南下した場合東本願寺にぶつかります。京都駅を超えて通りはさらに南下できますが、本日は新町通を行きましょう。

          
          室町をぶち切る寺の海鼠壁(羅休)

 新町通は南下すべきや北上すべきやというところですが、京都駅を超えていくのは煩わしいので本日は北上します。

          
          新町通を北へ。

 しばらく行くと立派な風呂敷屋さん、さらに道祖神社があります。やちまたの神サルタヒコとその妻アメノウズメが祀られていますが、その名の如く道祖神があったところなのでしょう。

          
          風呂敷屋はん。

          
          道祖神社

 松原通を横切ります。本当の五条通です。ここを西に行けば五条天神、本日は決めた通りに北上します。

          

 鉾町に入ってきました。道路に埋められた石は祇園祭の鉾や山を組んでいくときに、先ず最初の柱をのせる基準の石です。京童には当たり前の話も化外の民である小生などは、つい最近まで知りませんでした。

          
          船鉾
        
          
          放下鉾(正面の建物は会所)

          
          南観音山

          
          茶屋次郎四郎邸跡

          
          北観音山

          
          向こう側に松阪屋

 このまま、永遠に鉾町が続いたらどうしようと思いましたが、どうやらこれで終わり。川崎家住宅を過ぎるとしばらくは何もありません。

          
          川崎家住宅

 丸太町通が近づくと何やら腐ったような空気が漂ってきます。この悪しき雰囲気は何ぞと思っていると日共の事務所があります。これにこき使われている大半の者は愚か者なのですが、ノーメンクラツーラ化している幹部連中の心根は卑しい。旧ソ連にしても支那にしても社会主義者の政権が腐敗していくのは根底には愚民観があるからでしょう。「あーババチイ。」、ケガレが身に付かぬように大急ぎで丸太町通を渡ると今度はオキシドールのニオイ、病院であります。「ウー、空気が悪い」と吠えていますと、このところ贔屓にしている府庁が見えてきました。起死回生とはこのことをいう。府庁、京都府警の前だけ新町通はバーンと広くなっています。
 交通警邏隊の前まで来ると、多くの人が中庭に入っていきます。何か分からぬが小生もついでに入ってみますと、本日は上京区民のパレードがあるらしく、平安騎馬隊などもやって来ています。犬は歩いて棒に当たり、小人徘徊して人事を知ると申す処。

          
          現代の巴御前か板額か

 しばらくすると中庭にいた人たちビシッと整列しました。爺さん連中の長い長い挨拶が次々に始まります。まさかと思いましたが野次馬は小生だけです。みんなの視線がビーンとこちらに来ます。それでも野次馬も歓迎というところでしょうか、記念品などもいただきました。まあ普段スピード違反などで随分とお金を払っていますから、この程度のものはもらって当然という気もします。ポリコマン諸氏、くだらぬねずみ取りをする暇があるのならば何故に腰の拳銃を使用して日共や社民党など日本滅亡を企む悪の組織を粉砕しないのか(詠嘆)。などと思っているうちにパレードが始まりました。こやつを追いかけていったら、その昔にチンドン屋について行った頃の精神年齢から全く進歩していないことになります。幸い、パレードは新町通を北上せず、下長者町通を西に向かって行きました。

          

          
          こちらは木曽か今井か

 さらに北に向かうと澤井醤油店。さらに霊光殿天満宮です。同志社の新町学舎の前には三時知恩寺、入江御所ともいわれ、後光厳天皇の皇女である見子内親王が入られた門跡寺院です。往時この辺りには室町殿が広がっていましたから、一等地中の一等地に北朝の皇女は寺を構えられたことになります。近年小生は大の北朝贔屓になっていますから、「光厳」という響きを聞いただけで懐かしいやら嬉しいやら足取りも軽くなります。

          
          「もろみ」を売る澤井商店。

          
          霊光殿天満宮

          
          三時知恩寺

 足取りが軽くなったのは良いのですが、「あれぇ、もう紫明だ、何もなかったなあ。」、「アリャ、もう北大路ぢゃ、何もなかったなあ」といつの間にやら北大路に着いてしまいました。竜頭蛇尾の徘徊もここまで。ちいと暗くなってきました。さて、ここからは酒を求めて南下しますが、来た道を戻るよりも河原町通まで東し、こやつを下る方がよさそうです。

        



 



6 コメント

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簸たすら北上もまたアジなもの。 (道草)
2010-12-09 06:44:08
枳穀亭は、いつも横目で見ながら前(横?)を通過しておりました。京都に住む人間なら一度は訪れているのでしようが、未だに不精をしております。
京都の古い建造物の周辺化環境が変化して、景観が台無しになるのは至る所にあります。有名な老舗の旅館がマンション業者を告訴していましたが、法的には問題無しとの決着だったと思います。近くでは、紫陽花の藤野森神社は、目の前に民家の物干場が接近していて、訪れる気もしません。枳穀亭もその運命にあるとのことですが、如何ともし難い世の流れなのでしょう。
庭園内だけに目を遣っておれば、素晴らしい眺めが山積している様ですが。その他にも中々粋な展示があるとの由。笙の音の中の花と書の組み合わせですか。こうした雰囲気を心から愉しめる人は、そんなには存在しないと思われます。たこ焼串カツもスグレた文化ですし、共存させることに全く問題は無いと思います。食べながら観賞するのは、やや問題でしょうけど。
北上途上にある船鉾町は、7月に徘徊した所ですか。今は人通りの見られない静かな町に戻っている様ですが。蟷螂鉾町へは寄られなかったのですネ。府庁の近くにある滋野中学は、私の元の住居の学区になります。下長者町を行かれたのなら、西洞院北西角にある住宅に気付かれませんでしたか?気付かれる筈がありませんよネ。怪しげなアジとではありません。かつて黒田に住んで居た、私の同級生の家です(笑禁)。
遂に北大路まで到達されましたか。三時知恩寺などまるで知らない寺です。一路北へ遡上された徘徊も何だか楽しそうで結構でした。「徘徊の後の甘露に情けあり」道草。
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明日香もそうでしたね (gunkanatago)
2010-12-09 14:29:15
 道草様、コメントをありがとうございます。景観の問題は難しいですね。明日香なども、心のふるさとなどと呼ぶには、あまりに現代風のハリボテ住宅が建ちすぎているように思います。京都も亦然りというところでしょうが、ビルの建て方にも工夫が欲しいところです。映像でしか知りませんが、外国特にヨーロッパの統一された景観などは本当に美しいように思います(攘夷論者としては遺憾ですが)。
 蟷螂山町は、次回西洞院通を歩くときに探査します。今回は新町通から外れていませんので、立ち寄っていません。それにしても、これをやるときは、北から南下した方が「酒」には便利なことに気づきました。
 たこ焼きも串カツも立派な文化、ありがとうございます。渉成園でたこ焼きを焼いたら面白いでしょうね。
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関係ないかな (mfujino)
2010-12-11 23:14:37
gunkanatagoさま、こうしてみると京都の町は決して大きくないものだなあと改めて思いました。今回興味を抱きましたのは騎馬隊と日共のところであります。
私は大阪時代共産党の政治家が天王寺駅で街頭演説をしていて国際情勢など無視した小学生みたいなことを喋っているので、子供みたいな論理で喋るなという意味の事を大声で言って友人に止められました。瑞穂ちゃんの話を聞いていたらこのおばちゃんいつまで学生気分なの無責任なと呆れていますが、考えてみたらそれを取り巻く老人のおじさんもいるんだ、化石みたいに見えてきます。
話は飛ぶかもしれませんが、中国のスポークスマン達の喋り方って凄く威圧的に見えません?(^_・)
え~い、ついでだ。お寺になんであんなに立派な庭が必要なのでしょう?あ、またまた同じこと言ってると笑われますのでこのへんで失礼します。
歩いた後のこと考えるとやっぱり南下でしょう。
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気移りせずに・・・ (ささ舟)
2010-12-12 12:11:07
こんにちは。
枳穀亭に優雅な催しに行かれたのですね。いろんなご趣味が垣間見られます徘徊堂さんの、どことのう奥ゆかしさが漂うように以前から思っていました。去年でしたか紅梅のきれいなときに久ぶりに枳穀亭に「お雛さま」を観に行きました。
鉾町の道路の石は知りませんでした。学生時代に北観音山の鉾町に友達がいまして宵山に招待されたことがありましたが、その後全く通りませんので石のこと初めてです。
これも昔、家康にてんぷらを食べさせたのが茶屋次郎四郎だとか聞いたことあるのですが、真実はどうなのでしょうか?
10日ほど前、平安女学院の上手(裏は新町通りかな)の「足腰の御守護」の、護王神社にお参りしてきました。イノシシだらけの神社で「狛犬」ならぬ「狛イノシシ」で傑作でした。
いいですね、気移りせずに通りを一直線に歩いてみるのも愉しそうですね♪京都駅から北大路までどの位かかりましたか?
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愉快です (gunkanatago)
2010-12-13 13:06:01
 mfujino様、コメントをありがとうございます。天王寺で、日共の弁士を大声でやじられるmfujino様の姿が見えるようで愉快です。よく通る声をしておられますから、必ず聞こえたでしょうね。夢想家が政権を執ればどうなるかは、今回本当に良く分かりましたが、日共や社民の連中は菅・鳩山どころではない大夢想家で、しかも心術は卑しいから始末におえません。福島瑞穂は近鉄奈良駅前で話しているのを聞きました。「恥知らず」ということばがピッタリでした。
 寺の庭、全く同感です。我々はやはり近世畸人伝に出てくる「桃水」のような僧侶を期待するのですが、大多数の坊さんは「職業」として自分の仕事を捉えているようです。であるならば信徒も如何に多くの喜捨を寺に行ったところで無駄なのですが、その辺が整理できていないようですね。
 
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護王神社 (gunkanatago)
2010-12-13 13:13:48
 ささ舟様、コメントをありがとうございます。護王神社、おもしろいでしょう。この神社、夕刻に他の神社が閉門しても、かなり遅くまで開いていて、灯りの下でのお参りも亦何とも言えぬ雰囲気があります。
 当日は、パレードでかなり時間をくいましたが、花屋町から北大路まで全てで2時間半~3時間ぐらいだったように思います。枳穀亭を出たのが2時ぐらいで、北大路でぼちぼち暗くなってきました。個性的な居酒屋や喫茶店が点在し、この徘徊はある意味誘惑との戦いです。
 新町通を北に行くか南に行くか、ちょっと迷って北に行ったのですが、ずっと何か忘れているような違和感がありました。ささ舟様のコメントで思い出しました。「鉄腕アトム」を見るのを忘れていました。ずっとあるものならば、京都駅前でアトムを見て、神戸の長田で鉄人を見る鉄道小旅行も面白いかなと思います。
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