月に一度の愛宕参りを欠かさぬ人、また山上に碑もある5千回登山をされた方々から見ると、愛宕に関しては「ひよこ」にも到らぬ身ではありますが、やはり継続してみるもので正月の愛宕登山は20年目、皆で登るようになってからも10年目、大昔にせっせと登って貯金していますから登山回数は40回に達したでありましょうか。このところは毎年1月3日に初詣を兼ねて必ず登っております。
本年は、例年になく参加される方が多くて9名にも達しました。小生は決して責任感のある良きリーダーではありませんから(放って行くとよく非難される)、まあ皆々慈しみ合いながら楽しく登ってねと申す処。
嵐山集合が10時、一昨年までは何やら新興宗教の信者でごった返していた阪急嵐山駅周辺ですが、施設が移転したということで「さっばり、わやですわ。」とはタクシーの運転手さん。
今年から阪急嵐山駅~清滝間のバスの運行を京都バスが始めたということ。「そんなん、知らんかった。」ということで、今年は例年通りタクシーで清滝へ。大体にして我々が登り始める時は、大方どの山でも登りのピークの時間は過ぎているのですが、本年は、より以上に登山者が少ない感じがします。表参道に到る渡猿橋も人影無し。橋の左手の旅館は廃業して久しく、何やら凄まじい光景になりつつあります。それでも、大きい建物でもったいないなあと申す処。
愛宕山の表参道は、取り付きからしばらくの間が一番きつく、途中からはまあまあなだらかになります。これは裏参道も同じです。何にしても本年は全く雪がありません。一丁ごとの地蔵さん、1つ1つ花が手向けられ、真新しいよだれかけをされています。どなたがされているのかは分かりませんが、こういう行為が尊い。
近年説明板が建てられた茶屋跡に到っても雪はありません。雪が多い年には、ここの休憩小屋でアイゼンをつけねばならぬのですが、道は乾いていて軽快です。ここで行程は約半分です。
水尾への分岐が近くなってきたところで、ようやく白いものが道に見えるようになってきました。しばし、ジュクジュクの道が続きます。
水尾への分岐(誰か適当な名を付けてくれぇ、「水尾分かれ」でもいいか?)、余程雪が少ない時でも、大抵はここの休憩小屋ではアイゼンをつけるのですが、本年はまだまだ不要です。頑張り坂もそのまま抜けて、結局本年は黒門のところでアイゼン装着。けれども雪が少ないので落ち葉ばかりが靴底にへばり付きます。
神社境内に入っても雪の量は知れています。社務所前の休憩小屋の温度計で-1度で、例年よりも4度ばかり暖かい。
愛宕神社は本殿にイザナギノミコト、若宮に火の神「迦具土(かぐつち)大神」を祀り本地は勝軍地蔵、火伏せの神であると同時に武芸の神でもあります。例の直江山城の兜の前立ては決して現代語の「愛の心(かなりバテレンどもの考えが入っている)」ではなく、この愛宕の「愛」でしょう。奥社の中心はオオクニヌシノミコト、神使はイノシシです。
神社は、山頂のポコリと高くなったところ(秩父古生層)の部分にあり、この石段はアイゼンがないと危ない。本殿の横に振舞酒として清酒「神聖」の樽酒が置いてあり、この杉の香の強い酒を飲まないと1年が始まりません。ただ、本年は神社に参拝している人も異常に少なく、いつもは並ばねばならぬお札の授与もすぐでした。
本年の下山は、首無し地蔵経由谷山林道です。神社の裏手に回ると展望が開けますが、なにやら雲行きが…ということで先を急ぎます。
神社の裏手へ回る
毎度お馴染みの「地蔵の辻」、お地蔵さんの光背が道標にもなっています。雪も少なくて楽なので、久しぶりに地蔵山や竜ヶ岳を回りたいところですが、高雄で飲まねばなりませんから即却下です。
ここから先は飲み食いのことしか考えていないので、首無し地蔵までの途次及び地蔵、写真を撮ったつもりが撮っていない。首無し地蔵の辺りは2年ほど前に伐採され、展望もあります。地蔵は道標を兼ね、田尻へと導いてくれますが、田尻が廃村になって既に久しい。
此処で一寸ティタイム、高校の時に数学を教えて下さった先生が紅茶をいれて下さいます。今後先師と呼ぶことに致します。先師のアイゼンは、インドヒマラヤで氷に突き刺した逸品、山登りの道具というよりも寧ろ武器です。
この辺りから、ウジウジ峠方面も久しく御無沙汰です。田尻谷を最後に歩いてからも10年以上になります。本年は、正月以外にも何回か来ようと思います。また、中川や高雄など地元の方は、この辺りまで自動車で来られて、ここから神社を目指されます。それでも、ここから登りだと1時間。小生などは、あの林道を車で来るということ自体がうっとおしいように思いますが、山林の王者「軽トラ」だとびくともしないのでしょうか?
後は谷山林道をひたすらひたすら下るだけです。高雄に降りるなら松尾峠などを経由した方が見どころもあるのですが、もう酒のことしか考えていないので何でもいいのであります。神護寺方面への道を採れば再び山道、分岐を無視して師匠方は超特急で下って行きます。途中で振り返れば、山頂のポッコリが「また来いよー」。
本日の予定は、もみぢ家で半露天風呂の後に宴会。谷山林道を抜けた後の、本館までの最後の坂が一番エライ。けれどもあの致せり尽くせりの店にもうすぐだと思うと足取りは軽いのであります。飲み食いにはしっかりと集中せねばならない。参加された方には甚だ申し訳ないのですが、宴の写真もゼロです。最後は徳利がテーブルに何本も転がる修羅場であります。
最後の坂を急ぐ飢民たち
本年は、例年になく参加される方が多くて9名にも達しました。小生は決して責任感のある良きリーダーではありませんから(放って行くとよく非難される)、まあ皆々慈しみ合いながら楽しく登ってねと申す処。
嵐山集合が10時、一昨年までは何やら新興宗教の信者でごった返していた阪急嵐山駅周辺ですが、施設が移転したということで「さっばり、わやですわ。」とはタクシーの運転手さん。
今年から阪急嵐山駅~清滝間のバスの運行を京都バスが始めたということ。「そんなん、知らんかった。」ということで、今年は例年通りタクシーで清滝へ。大体にして我々が登り始める時は、大方どの山でも登りのピークの時間は過ぎているのですが、本年は、より以上に登山者が少ない感じがします。表参道に到る渡猿橋も人影無し。橋の左手の旅館は廃業して久しく、何やら凄まじい光景になりつつあります。それでも、大きい建物でもったいないなあと申す処。
愛宕山の表参道は、取り付きからしばらくの間が一番きつく、途中からはまあまあなだらかになります。これは裏参道も同じです。何にしても本年は全く雪がありません。一丁ごとの地蔵さん、1つ1つ花が手向けられ、真新しいよだれかけをされています。どなたがされているのかは分かりませんが、こういう行為が尊い。
近年説明板が建てられた茶屋跡に到っても雪はありません。雪が多い年には、ここの休憩小屋でアイゼンをつけねばならぬのですが、道は乾いていて軽快です。ここで行程は約半分です。
水尾への分岐が近くなってきたところで、ようやく白いものが道に見えるようになってきました。しばし、ジュクジュクの道が続きます。
水尾への分岐(誰か適当な名を付けてくれぇ、「水尾分かれ」でもいいか?)、余程雪が少ない時でも、大抵はここの休憩小屋ではアイゼンをつけるのですが、本年はまだまだ不要です。頑張り坂もそのまま抜けて、結局本年は黒門のところでアイゼン装着。けれども雪が少ないので落ち葉ばかりが靴底にへばり付きます。
神社境内に入っても雪の量は知れています。社務所前の休憩小屋の温度計で-1度で、例年よりも4度ばかり暖かい。
愛宕神社は本殿にイザナギノミコト、若宮に火の神「迦具土(かぐつち)大神」を祀り本地は勝軍地蔵、火伏せの神であると同時に武芸の神でもあります。例の直江山城の兜の前立ては決して現代語の「愛の心(かなりバテレンどもの考えが入っている)」ではなく、この愛宕の「愛」でしょう。奥社の中心はオオクニヌシノミコト、神使はイノシシです。
神社は、山頂のポコリと高くなったところ(秩父古生層)の部分にあり、この石段はアイゼンがないと危ない。本殿の横に振舞酒として清酒「神聖」の樽酒が置いてあり、この杉の香の強い酒を飲まないと1年が始まりません。ただ、本年は神社に参拝している人も異常に少なく、いつもは並ばねばならぬお札の授与もすぐでした。
本年の下山は、首無し地蔵経由谷山林道です。神社の裏手に回ると展望が開けますが、なにやら雲行きが…ということで先を急ぎます。
神社の裏手へ回る
毎度お馴染みの「地蔵の辻」、お地蔵さんの光背が道標にもなっています。雪も少なくて楽なので、久しぶりに地蔵山や竜ヶ岳を回りたいところですが、高雄で飲まねばなりませんから即却下です。
ここから先は飲み食いのことしか考えていないので、首無し地蔵までの途次及び地蔵、写真を撮ったつもりが撮っていない。首無し地蔵の辺りは2年ほど前に伐採され、展望もあります。地蔵は道標を兼ね、田尻へと導いてくれますが、田尻が廃村になって既に久しい。
此処で一寸ティタイム、高校の時に数学を教えて下さった先生が紅茶をいれて下さいます。今後先師と呼ぶことに致します。先師のアイゼンは、インドヒマラヤで氷に突き刺した逸品、山登りの道具というよりも寧ろ武器です。
この辺りから、ウジウジ峠方面も久しく御無沙汰です。田尻谷を最後に歩いてからも10年以上になります。本年は、正月以外にも何回か来ようと思います。また、中川や高雄など地元の方は、この辺りまで自動車で来られて、ここから神社を目指されます。それでも、ここから登りだと1時間。小生などは、あの林道を車で来るということ自体がうっとおしいように思いますが、山林の王者「軽トラ」だとびくともしないのでしょうか?
後は谷山林道をひたすらひたすら下るだけです。高雄に降りるなら松尾峠などを経由した方が見どころもあるのですが、もう酒のことしか考えていないので何でもいいのであります。神護寺方面への道を採れば再び山道、分岐を無視して師匠方は超特急で下って行きます。途中で振り返れば、山頂のポッコリが「また来いよー」。
本日の予定は、もみぢ家で半露天風呂の後に宴会。谷山林道を抜けた後の、本館までの最後の坂が一番エライ。けれどもあの致せり尽くせりの店にもうすぐだと思うと足取りは軽いのであります。飲み食いにはしっかりと集中せねばならない。参加された方には甚だ申し訳ないのですが、宴の写真もゼロです。最後は徳利がテーブルに何本も転がる修羅場であります。
最後の坂を急ぐ飢民たち
それにしても、愛宕山の雪もほんの申し訳程度で、その上、参拝客も極端に少なかったとか。余程の物好きか暇人か敬虔深き信仰者か御神酒の無銭飲食を狙った輩か(徘徊堂さん一家は、もちろん除外です)・・・。伏見稲荷などは例年より多かった、と聞きましたのに。平安神宮では、参拝客の前で神主が賽銭を竹箒で掻き集めている、と怒って新聞に投書している人がおりました。
しかし、アイゼンを付けるだけの雪があって何よりでした(緊張しただけ、後の御神酒が旨いでしょうし)。私らは比良山などでは輪樏を履きましたが、どちらが歩き易いのか。
一昨日は園部まで行きましたけど、愛宕山は緑にくすんでいました。今日は冷たい雨が降っていますので、今夜当たり雪になるかも知れません。「樏をはいて一歩や雪の上」虚子
平安神宮の一件、無神経の極みですね。もう既に平安神宮からは神は去ってしまっているとしか言いようが無い感じです。坊主はもとより神職の方も何かガタが来ているようです。
本日は、グッと寒くなりました。夜にちょっと威力偵察に行って来ます。お体を大切にして下さい。
恒例の愛宕山初参りは毎年コースを変えて登られるのですか?いいお仲間が居られるのですね。高雄の宴はさぞや・・・とお察しいたしました^^愛宕登山道は四方から幾通りもあるのでしょうか?
近ごろは、起きたらすぐに、山頂のボッコリが白いかな?と眺めていますが、今冬は三度ばかりの薄化粧を見ました。
私の愛宕登山は、表参道から1回、水尾から2回、樒ガ原から2、3回、昔の越畑スキー場の側から2回くらいかしら。それに幼いころケイブルカーでお参りしたような微かな記憶がありますが?
表参道て長くてしんどいかったです。水尾もかなりキツイですね。あそこは一歳の子供を負ぶって登ったからもう息絶え絶えでした。それに懲りて40年お参りしてないのですよ^^
越畑にもスキー場があったのですね。このスキー場からの道、全く知りません。今度お目もじがかなったときに詳しく教えて下さいね。1日も早く全快されることを祈っております。
私は本道から上り月輪寺経由で下山、越畑から芦見峠~地蔵山~愛宕山~樒原へ下山、それと本道から上り水尾に下りて柚子風呂に入り鳥のすき焼きというお決まりコースくらいしか経験していません。あ、そうそう法皇様の通られた道を辿る企画で高尾から松尾峠~田尻の廃村~愛宕道というコースも歩きました。本道から登ったときはノンストップで登ったのが祟ったのか足が痙攣してしまいました(*_*)ここもご多分にもれず林道が上まで伸びてますね。神社へ勤務されている人は樒原からの道を車で上がられるそうですがよくあの急な坂をと感心します。中途半端に舗装してあり歩いて下るときは滑りそうで慎重に歩きました。
我が里から南に眼をやると地蔵山と竜ヶ岳が並び愛宕さんが奥に隠れておられます。我が職場は愛宕さんの真北にあたります。地蔵山から登ったときある消防士が一緒だったのですが翌日国道で自動車火災の一報が入り現場へ急行するとホースが破れての水蒸気だったそうで(愛宕詣りの)「ご利益ご利益」と喜んでおりました。
ウジウジ谷という名前は面白いですね。我が甥の聡君がMyあやべというページを開いてまして(我がブログにリンクあります)そこで「ウジウジ峠の雲心寺に行く」というレポートをしております。http://www.myayabe.net/web/modules/walker/index.php?page=article&storyid=31 道なき道を歩いたり文献も調べてなかなかの労作と思っています。もしご興味あれば覗いてみてやって下さい。
松尾峠から廃村田尻、愛宕道が敬愛する光厳上皇の歩かれた道だったのですね。そういうことも全く知らずに歩いていましたが、今度はじっくりと歩いてみたいと思います。この方面、笠峠に続いて宿題が増えていきますが、こういう宿題は大歓迎です。小中高時代は宿題を一切やらない生徒で知られていましたが。