吉例愛宕登山の日がやって参りました。本年一年の体力試し、愛宕山の表参道の尾根筋までの道を登ることが出来たら、もうどこでも登れるぞー(長老山の最後の登りを除いて[笑])と申す処。下から見上げる限り、雪は見られません。問題はどの辺りから雪が見られるのかということです。
本年も清滝から表参道を登ります。登り始めてすぐに参道と並行しているのがケーブル跡。今年ははっきりとケーブル跡を登るなとロープが張られていました。
参道沿いは年々親切になっていて、本年は嵯峨小学校清滝分教場の跡が分かるようになっていました。1・2年生はここで学び、3年生から本校に通ったそうです。多謝!
どんどん登っていきますが、全く雪はありません。「いやー、それでも水尾別れの辺りからはアイゼンがいるのとちやうか。」等と言いながら登っていきます。
二十四丁目
ところが、水尾別れまで来ても道は乾いたままです。これはもしかしたらと期待が膨らみます。水尾別れから米買い道に下るところ、雪がないせいか逆に分かりにくくなっていました。ここで高山寺にいてるでーと友人から電話が入りました。「登ってこーい。」と言いましたが、逃げられてしまった。恋に疲れた女の相手をしているのかな?(古くさー)
水尾別れ
いつもは雪のために分からなかったのが石段に使用された灯籠の石材、なんちゅうことをするねんと思います。いままでも冬以外に何度も登っているのに意識してこの石材を見たのは初めてです。まあ、見れども見ずの状態だったのですね。黒門のちょっと手前です。
灯籠なども「おや!享保のものだ。それにしては新しいなあ。」等と余裕をかましながら登っていきます。
享保の灯籠
神社の境内に入っても、ついに雪を見ません。境内内の小屋の温度計は-5度を指していますから、気温は例年並みです。その小屋の中では鍋などをして楽しんでいる人もいます。小生は大昔の愛宕登山の際にウジウジ峠(水場があります)で鍋をしました。特に寒かった年で、風も強く、鍋の水はついに沸き立つことはありませんでした。そこにアホな学生が冷凍のたこ焼きを放り込んだので、冷蔵庫の中で冷凍食品をそのまま食うてるみたいになりました。野菜なども氷に漬けたものをジャリジャリと食べている感じです。この年が山中で食事をした最後の年となり、翌年からは高雄に下山してもみぢ家さんにお世話になるようになりました。
境内の歌碑なども初めて見る気分です。境内に石段に使用されていたのと同じ文字を刻んだ灯籠が何基も立っています。
「絶対に神社の最後の上りの石段には雪か氷がある。」と断言していたのですが、ここにも何もありません。この最後の部分でアイゼンを使わずにすんだのはありがたかったです。神社に入ったらすぐに外さなくてはなりませんから。
神社の参拝は例年通り。一番奥の出雲さんまでしっかりと参拝します。小生はノロウィルスが怖いので(内側から攻めるのでヤクザや警察より怖い)、今年は御神酒は遠慮しました。御神酒用のぐい飲みは使い回しで、洗面器の水に浸けてあるだけですから。これを周知徹底しようとしたのですが、既に歩く植物図鑑氏などは機嫌良く御神酒をいただいていました。というより、参拝より先に飲んだんとちやう?
参拝後はいつものように首無し地蔵まで下りますが、よい機会ということで、久しぶりに三角点に寄りました。これだけ歩きやすいと地蔵山にもーというスケベ根性が出ますが、高雄で一杯飲むのでそれはできません。本日は眺望は今ひとつです。伊吹山も見えません。それでも蓬莱山などははっきりと見えています。たまたま居合わせた青年の二人組、明日はその蓬莱山に登ると言ってました。
首無し地蔵への道も見慣れた景色とは全く異なるはっきりとした尾根道です。雪がない年でも、ここはグチュグチュになっていることが多いのですが、「あー今年はズボンの裾も汚れてないので、もみぢ家さんに堂々と入れるわぁ。」等と言う会話が飛び交います。インドヒマラヤの経験がある先生も御一緒でしたが、「折角のスパッツも用無しやなあ。」と苦笑い。
首無し地蔵のところで走ってくる一団に出会いました。聞けば芦見峠から来たとのこと、地蔵山と竜ヶ岳を経てここまで来たのでしょう。この一団(婦人もいた)、元気に田尻の方に走っていきました。ここから田尻の廃村を経て愛宕道に出るまで、走ってもあと1時間ぐらいはかかるでしょう。元気の良い若者を見るのは本当に気持ちのいいことです。
首無し地蔵付近から京都盆地
本日は谷山林道を谷底までは降りずに神護寺経由の道を選びました。余裕をかましている訳であります。
神護寺への道
この道も年々荒れていきますが、どういうこともなく、神護寺の多宝塔の横に到着です。句碑を見たりかわらけ投げのところに行ったり、かなり寄り道をしてもいつもより一時間以上早い。
句碑
錦雲渓のかわらけ投げ、師匠によると昔は的が設けられていたそうです。命がけの的立てですね。
錦雲渓
神護寺山門
さて本年ももみぢ家で半露天風呂に入り、それから宴会です。このところ、しゃぶしゃぶやすき焼きが続きました。正月から肉はいらんでーと本年は湯豆腐付きの懐石風弁当をお願いしました。かにスキも昔やりましたが、小生にとってそれは自爆。ぬぬー、誰も文句を言わないところを見るとみんな枯れてきたのかな(笑)。ここはお正月には赤飯のルーツとなった赤米のご飯を食べることが出来ます。
本年の愛宕登山は雪が無いために晩秋の散歩の如きものでありましたが、心なしか登山者の数は少なかったように思われます。「あれ!雪がない。やめとこ。」というような人が多いのでしょうか。
本年も清滝から表参道を登ります。登り始めてすぐに参道と並行しているのがケーブル跡。今年ははっきりとケーブル跡を登るなとロープが張られていました。
参道沿いは年々親切になっていて、本年は嵯峨小学校清滝分教場の跡が分かるようになっていました。1・2年生はここで学び、3年生から本校に通ったそうです。多謝!
どんどん登っていきますが、全く雪はありません。「いやー、それでも水尾別れの辺りからはアイゼンがいるのとちやうか。」等と言いながら登っていきます。
二十四丁目
ところが、水尾別れまで来ても道は乾いたままです。これはもしかしたらと期待が膨らみます。水尾別れから米買い道に下るところ、雪がないせいか逆に分かりにくくなっていました。ここで高山寺にいてるでーと友人から電話が入りました。「登ってこーい。」と言いましたが、逃げられてしまった。恋に疲れた女の相手をしているのかな?(古くさー)
水尾別れ
いつもは雪のために分からなかったのが石段に使用された灯籠の石材、なんちゅうことをするねんと思います。いままでも冬以外に何度も登っているのに意識してこの石材を見たのは初めてです。まあ、見れども見ずの状態だったのですね。黒門のちょっと手前です。
灯籠なども「おや!享保のものだ。それにしては新しいなあ。」等と余裕をかましながら登っていきます。
享保の灯籠
神社の境内に入っても、ついに雪を見ません。境内内の小屋の温度計は-5度を指していますから、気温は例年並みです。その小屋の中では鍋などをして楽しんでいる人もいます。小生は大昔の愛宕登山の際にウジウジ峠(水場があります)で鍋をしました。特に寒かった年で、風も強く、鍋の水はついに沸き立つことはありませんでした。そこにアホな学生が冷凍のたこ焼きを放り込んだので、冷蔵庫の中で冷凍食品をそのまま食うてるみたいになりました。野菜なども氷に漬けたものをジャリジャリと食べている感じです。この年が山中で食事をした最後の年となり、翌年からは高雄に下山してもみぢ家さんにお世話になるようになりました。
境内の歌碑なども初めて見る気分です。境内に石段に使用されていたのと同じ文字を刻んだ灯籠が何基も立っています。
「絶対に神社の最後の上りの石段には雪か氷がある。」と断言していたのですが、ここにも何もありません。この最後の部分でアイゼンを使わずにすんだのはありがたかったです。神社に入ったらすぐに外さなくてはなりませんから。
神社の参拝は例年通り。一番奥の出雲さんまでしっかりと参拝します。小生はノロウィルスが怖いので(内側から攻めるのでヤクザや警察より怖い)、今年は御神酒は遠慮しました。御神酒用のぐい飲みは使い回しで、洗面器の水に浸けてあるだけですから。これを周知徹底しようとしたのですが、既に歩く植物図鑑氏などは機嫌良く御神酒をいただいていました。というより、参拝より先に飲んだんとちやう?
参拝後はいつものように首無し地蔵まで下りますが、よい機会ということで、久しぶりに三角点に寄りました。これだけ歩きやすいと地蔵山にもーというスケベ根性が出ますが、高雄で一杯飲むのでそれはできません。本日は眺望は今ひとつです。伊吹山も見えません。それでも蓬莱山などははっきりと見えています。たまたま居合わせた青年の二人組、明日はその蓬莱山に登ると言ってました。
首無し地蔵への道も見慣れた景色とは全く異なるはっきりとした尾根道です。雪がない年でも、ここはグチュグチュになっていることが多いのですが、「あー今年はズボンの裾も汚れてないので、もみぢ家さんに堂々と入れるわぁ。」等と言う会話が飛び交います。インドヒマラヤの経験がある先生も御一緒でしたが、「折角のスパッツも用無しやなあ。」と苦笑い。
首無し地蔵のところで走ってくる一団に出会いました。聞けば芦見峠から来たとのこと、地蔵山と竜ヶ岳を経てここまで来たのでしょう。この一団(婦人もいた)、元気に田尻の方に走っていきました。ここから田尻の廃村を経て愛宕道に出るまで、走ってもあと1時間ぐらいはかかるでしょう。元気の良い若者を見るのは本当に気持ちのいいことです。
首無し地蔵付近から京都盆地
本日は谷山林道を谷底までは降りずに神護寺経由の道を選びました。余裕をかましている訳であります。
神護寺への道
この道も年々荒れていきますが、どういうこともなく、神護寺の多宝塔の横に到着です。句碑を見たりかわらけ投げのところに行ったり、かなり寄り道をしてもいつもより一時間以上早い。
句碑
錦雲渓のかわらけ投げ、師匠によると昔は的が設けられていたそうです。命がけの的立てですね。
錦雲渓
神護寺山門
さて本年ももみぢ家で半露天風呂に入り、それから宴会です。このところ、しゃぶしゃぶやすき焼きが続きました。正月から肉はいらんでーと本年は湯豆腐付きの懐石風弁当をお願いしました。かにスキも昔やりましたが、小生にとってそれは自爆。ぬぬー、誰も文句を言わないところを見るとみんな枯れてきたのかな(笑)。ここはお正月には赤飯のルーツとなった赤米のご飯を食べることが出来ます。
本年の愛宕登山は雪が無いために晩秋の散歩の如きものでありましたが、心なしか登山者の数は少なかったように思われます。「あれ!雪がない。やめとこ。」というような人が多いのでしょうか。
谷山林道は西明寺から遡上して松尾峠~田尻廃村~愛宕道へとゼミの講座で歩きました。光厳天皇の歩かれたルートを辿る、法皇さまの歩いた道という企画でした。ただこのルートは我が郷里からの京道としてかなり歩かれていた形跡がありその証拠をいろいろ集めています。
我が甥っ子はウジウジ谷の名のもととなった雲心寺の跡を探した記録をそのブログに載せたことは以前お知らせしたとおりです。
愛宕への道は色々ありますので出来得れば全て歩きたいという思いはあるのですが、首無し地蔵近くのクリンソウ群生地へはウジウジ谷の林道を車で走っているようではあきまへん。大阪では金剛山のルートはかなりのコースを歩きましたし、比叡への道もいろいろ試しました。京都人に戻った今はまず愛宕の全ルートを歩き廻る(歩きしばく?(^_・))気概が直ぐに湧いてこない様になりました。比叡への全ルートなどにも挑戦するところから足を鍛え直そうかななどと考えないでもないんですが。
昨年のゲリラ豪雨で大変な目に遭った月輪寺さんは今どうなっているでしょうね。スコップを担いで上がろうという気概が無くなってしまっていては偉そうな事は言えないですね。
登山もある程度雪が積もって踏み固められている方が、凹凸が無くなって歩き易いと思うのですがどうでしょうか。いずれにしましても、こんな赤裸々な正月の愛宕山は、gunkanatagoさんも初めてのご経験ではないですか。
高山寺には、酒に疲れた男が一人・・・?それにしましても、この灯籠の石段は非道いですねぇ。愛宕寺の坊主が如何に似非者か、この一つでも明白ではないですか。
gunkanatagoさんはウジウジ峠で食事の経験有りとのこと。私は大昔に水野尾からの裏街道の途中で、冷たい握り飯を食べた記憶があります。一昨年の正月もこの道を登りましたが、裏街道専門みたいです。
裏道と言えば、あの時は首無し地蔵から神護寺への雪道を、一人で行きました。確か、神社の下で待って居るように指示されて、ずっと待っていたのに本隊と遭えなかったのでした。神護寺への裏道では、全く誰一人出遭わなかったものです。神護寺には、夫婦連れ(?)が一組居りましたが。
その時は、神護寺の境内の所々にも残雪がありました。
今年はどうしたのか、同じ寒い気温なら雪が積もらないとワリに合わない気がします。これからでしょうか・・・。
今年の正月は大勢が押し掛けて来ましたので、自宅で過ごしました。また、次の機会がありましたら・・・。
愛宕の表参道の尾根筋に出るまでと、長老の一番最後、これが一番キツイですね。比叡山も昔に今はもう廃絶した大原からの道を登りましたが、これも相当でした。
愛宕山系では今年は一度季節の良い時に地蔵山まで登って、越畑で蕎麦を食いたいと思っています。尊敬する亀岡の大先達が「陰の山」と呼ばれた三頭山(熊が多いとのこと)は未だ登ったことがありませんので、周山での登山後ビールが出来なくなった今、桟敷や天童山は暫く置いて、愛宕山系にもうちょっと頑張ってみたいです。
月輪寺さん、昔連れて登った学生が将来は首相になると言った時に若い尼さんが「首相になったら先ずここに道を付けて下さいね。」と言ったのを覚えています。
そうでしたね、道草様が登られた時も雪がかなりありましたね。神護寺に抜ける道は、その後も荒廃しています。
雪のない正月登山は二回目です。なんやかんやと言って、やはり雪が登山の速度をぐっと遅くしてしまうということに今回改めて気が付きました。こんな快適さになれてしまったら来年が怖い(笑)。
石灯籠の再利用、愛宕寺さんは無実です。愛宕寺は普通は麓の念仏寺のことですから。かといって神社の神官のせいかと言うとそうでもないように思います。多分参道の整備を請け負った作業員がやったことでしょう。
高山寺から電話してきた男、全くの下戸です。だから恋に疲れた女を探していたのではと思った訳です。まあ、その後で孫の顔を見に行くと言ってましたから、そちらの方でも無いかも知れません。
愛宕山を毎年、正月に登るとは、なんと優雅な慣例行事でありますことか。私は神戸の人間で、一度だけ愛宕神社にお参りしたことがあります。それも、20年くらい前のことで、記憶も断片的です。降りた駅も嵯峨野線のどこか、はっきりしません。晩秋でした。はじめに水尾の里へ行きました。隠れ里のふんいきがあるという、キャッチフレーズにひかれてです。キャッチフレーズに弱いんですね、私は。ゆずがあちこちに実って、静かな山里でした。しかし一人旅ですから、不審なおっさんが、ゆずを狙っていると疑われてもいかんな、と自己規制の気持ちがはたらいて、早々に、愛宕山登山にきりかえました。李下に冠を正さずです。蜜柑もそうですが、果樹の近くへは、あやしいおっさん一人は、近寄りづらいですね。
愛宕山ですが、けっこう本格的な山登りに近い、ハードな行程でした。この山、なめたらあかんぞという感じでした。参拝客もまばらで、神社もそれほど俗化しておらず、なかなか渋い参拝になりました。この神社は、明智光秀が「ときは今 雨がしたしる 五月かな」の歌を残した連歌の会を催したところ、一度は来たかったです。歴史好きの私としては宿願の地といっても過言ではないです。下山して、清滝のバス停から京都駅行きのバスを待ちましたが、便が少なく、わびしい気持ちで、長時間眺めた夕暮れの麓の景色が、今も不思議なほど印象に残っています。
愛宕山へは登ったことがないものですから、写真を拝見して「エッツ 階段ばかりなの? 頂上まで? 登りたくない。」 と思いましたが、写真に写っている人を見ますと、若い人ばかりではないということは、登りやすい山なのですか? しかも3人もの子供を伴ったお母さんが登るような山ともいえるようですし。 これだけ大階段があるのに、あのお母さんは階段道を選ばずに何処を歩いたのでしょう。
御同行の皆さんは健脚なのですね。 アイゼンをつけたら階段はなおのこと歩きにくいでしょうし、今年は幸せな登山日和だったのでしょうか、それとも雪が無くがっかりだったのでしょうか。
水尾から登られたのですね。小生はトイトイだと思うのですが、友人などは表参道よりも水尾からの道の方がきついと言います。20年前とのこと、毎年1月3日に登るようになったのはちょうどそのころかなと思います。
小生が愛宕山に初めて登ったのは、書いておられますように、やはり明智光秀に対する興味からでした。もう既に坊の跡は何や分からぬ状態になっていましたが、ああこの道を光秀も登ったのだと若い感受性で受け止めたことも覚えています。
その後、平安時代、末法の世に入ったと信じられてからは、法華経持者の多くが、この山を最期の地と定めて入山したことを知り、ますます興味を惹かれました。死者の山も時代があんまり近いと怖いですが、長い年月を経ると風化して寧ろ神聖さが生じるようです。小生は東山にはおぞましいものを感じますが、北山を含む愛宕山系には清浄なもののみを感じます。
清滝、何処かで書いたかも知れませんが、秋には嵐山で詰まってしまってバスが来ません。バス会社のオッチャンが「もう歩いた方がよろしいでー。」といいます。
愛宕山は表参道はバッチリ整備されていて安全な山です。問題は道があちこちに枝分かれしていることですが、それでも表参道を歩いていて枝道に迷い込むことは考えられません。階段は、最後の神社の部分だけで、次回御上洛の際に山を見ていただくとポッチリと言う感じで頂上が盛り上がっていますが、そこに神社があります。
同行者、健脚というか、高雄での風呂と宴会が顔の先にぶら下げられたニンジンになっています。10年ぐらい前だとアイゼン装着無しに残念だと思ったかも知れませんが、今年なんかは楽が出来たので純粋に喜んでいます。
串カツ(笑)、京街道と鎌倉街道様がいらっしゃったときの予定は満載ですが、機会があればまた御案内したいと思います。表参道を登って水尾に降りるコースを選べば、京都駅にも近いです。あっ、勿論高雄で宴会をやってもいいですね。紅葉の季節は相手にしてくれませんので、それ以外の季節に。
gunkanatagoさんが登られた翌日の4日はこちらから見たぶ限り愛宕山は雪だったと思います。亀岡も吹雪いていました。良かったですね。(それとも雪のほうが良かったのかも)。
田舎育ちの私は3,4,5年の春の遠足は愛宕参りと決まったいました。2回は越畑を越えて原から登り、もう一回は長池の東端から山に入っていきました。(ここは後に越畑スキー場に行く時もこの山道でした)。どこをどう通っていったのか定かでないですが、そんなにしんどかった記憶が無いのです。清滝の表参道を歩いて登ったのは学生時代で、これはなかなかしんどかったです。ケーブルで祖父の膝にのせられて登ったのはたぶん5歳くらいだったかな。結婚してからは、子どもを背負って数回(子どもの数だけ、笑)水尾からそれこそ必死で登りました。その後はすっかりごぶさたですから、一生で両手くらいのお参りでした。
昔から「愛宕山は天照大神のお母様だからお伊勢さんに
参ったら愛宕さんもお参りするんやで」と聞かされていたような?でももう無理、麓から堪忍しといてもらいます。
神護寺がかあわらけを投げてあるお願いをした所です。
湯豆腐は美味しいですね。薬味は何がお好きですか?
私の「下山後の一杯、ベスト3」を紹介します。
1 鳥取県三朝町三徳(みとく)山三仏寺・投入(なげいれ)堂。晩夏の単独行でした。寺の本堂から700mほど、岩場続きの道を行くと、切り立った断崖の窪みに、文字どおり投げ入れたようなお堂(国宝)が見えます。このお寺の訪問の動機となったのは司馬遼太郎の「街道をゆく 因幡伯耆道」です。寺の門前にうまい豆腐屋があると書いていたから、、、。下山の時、見つけましたね。さっそく、燗酒一合と豆腐を頼む。豆腐もうまいが、小さなわさびの醤油漬けが一本漬けのまま、2,3本付いていて、これがうまいのなんのって。訊くと地元で作っていると言う。そこで酒、豆腐ともお代わり。とうとう酒4合、豆腐4丁食べました。1時間1本のバスを2本も見送りました。まだあの豆腐屋はあるかな、と時々思います。
2 愛媛県石鎚山。西日本では最も神々しい山だと思います。たいてい2,3人で行きます。下山して西条駅に戻るバス待ちの間、いかにも田舎の食堂という殺風景な店に入り、一杯。おでんが煮えてました。地元のコンニャクが特別、うまい。ジャガイモもうまいので、わけを訊くと標高の高い山で作ったジャガイモは、土中の昼夜の温度差が大きく、味が良いそうです、ゆえに卸値も高いそうです。「勉強になりました」と言って、おかわり。さらにもう一杯ですね。
3 山形県の月山。山頂で1泊した後、酒田駅前に夕方もどりました。明日早朝の出発と決め、今日は友人と2人で公園の空き地でテントを張ります。「東北はやっぱり、魚だよね」と言いながら、近くのスーパーで貝、魚の刺身の買出し。夜もすがら、呑んで、次の日、青春18切符で神戸まで帰りました。酒田、5時30分出発、神戸帰着11時30分頃でした。(長時間乗車、自己新記録!)40代でしたが、精神年齢は19歳でしたね。