今や、高浜街道は江湖の話題の中心、これを一気に歩き通すという計画も進行する中、本当に「ままごと」のようなものですが、ちょこっとだけ街道を歩いてきました。
街道の起点を京都市右京区京北五本松として、矢代中までは車で行きます。途中、下熊田は少し街道からはずれる感じですが、この際ということで有名な宝泉寺を見に行きました。
宝泉寺
しばらくウロウロして、帰ろうとしたら窓が開いて寺の奥さんが声をかけて下さいました。曰く「桜が咲いたら是非また来て下さいね。」と。必ずそうします。
この下熊田の公民館も結構趣のある建物です。
矢代中までの道路はきれいに除雪されていますが、公民館の駐車場、お寺の駐車場はいずれも20センチほど雪が積もっていて、しかも誰も車を停めていないので、小生も雪にタイヤの跡をつけるのが惜しい気がして広い三叉路に車を停めました。そのまま漆谷に向かって歩いていきます。「ウルシダン」、その向こうの「明日ヶ谷・アスガタン」、何と魅惑的な地名であることか。
歩いていて寒さはそう感じないのですが、ガケから水が流れているところにはつららができています。この漆谷も最奥部の辺りは別荘地になっている感じです。
漆谷の集落を出てしまうとすぐに漆谷峠、北桑田郡と船井郡を分ける峠です。
東南から
西北から
峠には境界碑、初めてmfujino様に連れてきていただいた時から早くも三年ぐらい経ったでしょうか。
従是西北園部領 佐々江村三組 役人
ここからやはりmfujino様にご教示いただいた明日ヶ谷への下りを探しましたが、降雪と倒木で進めそうにありません。長靴を履いてきたらよかった。仕方がないので、そのまま林道を明日ヶ谷が見えるところまで歩きました。
キツネでしょうか?タヌキでしょうか?小さな足跡が延々と続いています。
木々の下に本来歩くべき街道が見えたところで反転、車に戻ります。
戻っていく道はこんな感じです。
峠に戻りました。明日ヶ谷への下りです。次回はここを下りていきます。
オー、カラス天狗の足跡かな。いえいえ、小生の手形でありんす。
漆谷に出ると道はこんな感じ、峠の東北と西南でエライ違いです。街道を外れて村内をウロウロしたいのですが、小さな道にはたっぷりと雪が残っています。
早くも矢代中に戻ってきました。やはり、街道にはお地蔵さんがいらっしゃらなくてはなりません。
ところで、公民館の裏手で謎の石碑を見つけました。「…廻国中…」という文字が読み取れますが、後は師匠の仕事(爆)。初めて漆谷峠に来た時には、mfujino様にこの近くの「あやめ塚」にも連れて行っていただきました。漆谷峠は、その後に車で一回通りましたが、もう二度と車では走らないでおこうと固く決心しました(笑)。
ここまで来たらということで、日吉神社にお参り(トップの写真)。矢代田楽を拝見したのは一昨年の10月、本当にアッという間です。ここも本殿まで足音一つ無く雪が白い毛布のように続いています。小生如き者が汚い足跡を付けるのは神もお喜びにならぬだろうと、門前にて参拝を済ませます。
次回は漆谷に車を停めて、明日ヶ谷と佐々江をじっくりうろつこうと思います。mfujino様にいただいている宿題「明日ヶ谷城」、これは大変です。どれもそれらしく見える。土地の人に聞かないと分かりそうにありません。
それにしても、冷え切った体にビールがうまいゼェ。ウー、周山の朝市に行けば良かった。
街道の起点を京都市右京区京北五本松として、矢代中までは車で行きます。途中、下熊田は少し街道からはずれる感じですが、この際ということで有名な宝泉寺を見に行きました。
宝泉寺
しばらくウロウロして、帰ろうとしたら窓が開いて寺の奥さんが声をかけて下さいました。曰く「桜が咲いたら是非また来て下さいね。」と。必ずそうします。
この下熊田の公民館も結構趣のある建物です。
矢代中までの道路はきれいに除雪されていますが、公民館の駐車場、お寺の駐車場はいずれも20センチほど雪が積もっていて、しかも誰も車を停めていないので、小生も雪にタイヤの跡をつけるのが惜しい気がして広い三叉路に車を停めました。そのまま漆谷に向かって歩いていきます。「ウルシダン」、その向こうの「明日ヶ谷・アスガタン」、何と魅惑的な地名であることか。
歩いていて寒さはそう感じないのですが、ガケから水が流れているところにはつららができています。この漆谷も最奥部の辺りは別荘地になっている感じです。
漆谷の集落を出てしまうとすぐに漆谷峠、北桑田郡と船井郡を分ける峠です。
東南から
西北から
峠には境界碑、初めてmfujino様に連れてきていただいた時から早くも三年ぐらい経ったでしょうか。
従是西北園部領 佐々江村三組 役人
ここからやはりmfujino様にご教示いただいた明日ヶ谷への下りを探しましたが、降雪と倒木で進めそうにありません。長靴を履いてきたらよかった。仕方がないので、そのまま林道を明日ヶ谷が見えるところまで歩きました。
キツネでしょうか?タヌキでしょうか?小さな足跡が延々と続いています。
木々の下に本来歩くべき街道が見えたところで反転、車に戻ります。
戻っていく道はこんな感じです。
峠に戻りました。明日ヶ谷への下りです。次回はここを下りていきます。
オー、カラス天狗の足跡かな。いえいえ、小生の手形でありんす。
漆谷に出ると道はこんな感じ、峠の東北と西南でエライ違いです。街道を外れて村内をウロウロしたいのですが、小さな道にはたっぷりと雪が残っています。
早くも矢代中に戻ってきました。やはり、街道にはお地蔵さんがいらっしゃらなくてはなりません。
ところで、公民館の裏手で謎の石碑を見つけました。「…廻国中…」という文字が読み取れますが、後は師匠の仕事(爆)。初めて漆谷峠に来た時には、mfujino様にこの近くの「あやめ塚」にも連れて行っていただきました。漆谷峠は、その後に車で一回通りましたが、もう二度と車では走らないでおこうと固く決心しました(笑)。
ここまで来たらということで、日吉神社にお参り(トップの写真)。矢代田楽を拝見したのは一昨年の10月、本当にアッという間です。ここも本殿まで足音一つ無く雪が白い毛布のように続いています。小生如き者が汚い足跡を付けるのは神もお喜びにならぬだろうと、門前にて参拝を済ませます。
次回は漆谷に車を停めて、明日ヶ谷と佐々江をじっくりうろつこうと思います。mfujino様にいただいている宿題「明日ヶ谷城」、これは大変です。どれもそれらしく見える。土地の人に聞かないと分かりそうにありません。
それにしても、冷え切った体にビールがうまいゼェ。ウー、周山の朝市に行けば良かった。
その前に「漆谷峠」と書いておられますが、どうも正式には「佐々江峠」が正しいようです。ただ京北の人間は殆どが漆谷峠と呼びますけどね。今の峠の姿は車様に削られていますが、歩きの時代は佐々江へ向かって右側、すなわち東側を通っていたそうです。それと「従是西北園部領」の石碑、昔は境界線を巡って争いもあったのですね。ただこの石碑は一時、この峠の掘削工事中に取り外されたのか、矢代中に放置されていたものを峠に返されたそうです。
明日が谷への旧道は歩いて下りられたら途中に地蔵堂を見付けられたのに、と思うと残念であります。ここのお地蔵さんはかの八百比丘尼が彫ったと伝えられています。そこを更に下りると「節恵庵」という蔓工芸の作家の奥様とWoofという活動でここを古代米の里にするんやと頑張っておられる藤原さんのお宅があります。世界中から若者が来ています。またここの古代米はウッディ京北でも売られています。ここから峠までの道は林道になっていて風情もありませんが、節恵庵の裏の辺りの道は昔の雰囲気が残されています。
あ、そうそう、矢代中の公民館の裏にある石碑を見付けられたのは、さすが、でございます。これは六部さんかどうか分かりませんが、全国を行脚されていた行者さんが残されたものではないかと思っているのですが、、この写真を見せられたら師匠は飛んでこられるのではないでしょうかね。以前日吉神社でお会いしたときに何で教えてくれへんかったんや、と怒らない様に言っておいて下さいねm(. .)m
矢代から南へ行って浅江から西に入った宇野にはいろいろな仏様もいらっしゃる様です。また佐々江の安楽寺にも立派な仏像があります。高浜街道を歩いて、さあ明日は京へと頑張って歩こうと宿をとられたという明日が谷、いろいろなものが眠っている様ですよ。ただ一つだけ私自身が忘れない様に書いておきますが、決して深くないこの谷の集落、昔といっても現存の人も覚えておられる時代ですが、凄い水害に遭われたそうです。
宝泉寺、ついこの間まではしょうぶ祭をされていたのですが、鹿の餌になり菖蒲が全滅、最近は桜祭りに変更されました。奥さん地元の人達といろいろ頑張ってはります。この寺にはかの光秀の菩提寺、密厳寺から引き継がれた仏具もあると聞きましたが。
初めて矢代分校まで遠征しました。
明石から浅江を通って、歩いて1時間ばかりでしたか。意気揚々と賑やかに、相手は分校たせから、と最初から私たちはナメて掛かっていました。
しかし、結果は無残な惨敗でした。帰路は意気消沈して、葬式帰りみたいなものでした。
漆谷には今も同級生が住んでいます。あの日の顛末は、同窓会などで飲むと、良い(酔い)肴です。
下熊田も親戚かあったり親しみを感じる土地です。京北トレイルのコースでもありますし。
ただ、宝泉寺の菖蒲祭は、鹿に全部食べられて最近は中止になっています。
桜は見処でしょうけど。次回にこの辺りを徘徊される節は、お声を掛けてください。
雪の上の楓の様な手形はなかなか可愛いではないですか。
決して、八手とか熊手には見えません。一瞬、ささ舟さんの手形か?と錯覚しました。
今日から3月。この雪は最後の雪となるのでしょうか。
冬ビールたまには汚れも消してみる(道草)
公民館裏の石碑、六部さんですか。石碑を建てるぐらいだから廻国中に何かあった、あるいはあったとされたのでは。どつかれるかも知れませんが、各地の村々には「六部殺し」の伝承があるようです。時代は江戸自体に設定されていますが、この伝承が生み出されたのは大正から昭和初期にかけてで比較的新しいもののようです。矢代中にもそんな話があるならば、もう横溝ワールドですね。
宝泉寺の菖蒲、復活していますよー。今年は鹿よけのネットを張ったようです。最近、親子3匹の鹿をよく目撃します。狭い空き地の草を食べに来なくてはならぬほど奥山には食べるものが無いようです。「ワナにかかるなよー。」といつも声をかけています。
野球の試合の話、本当に「恩讐の彼方(笑)」、今は良い酒のサカナですね。矢代田楽で踊っておられる方の中にも仇敵がいるのでは?
宝泉寺さんは、いきなりバンと窓が開いて話しかけてこられましたので、一瞬、逃げかけました(笑)。何か旅行社のオッサンと間違えられたみたいです。「いやー、旅行社ではありません。ちょっとウロウロしているだけです。」と返事しましたが、客観的に見たら「怪しいオッサン」ですよね。菖蒲祭のときにウマイ餅が売られているのを何かテレビで見たような覚えがあります。
宝泉寺さんは去年4月13日に、ゼミナールハウスの桜講座で、美山京北の「サクラ よもやま話」と題して松谷茂先生とご一緒に見学にさせていただきました。ずらっと並ぶ大勢のお地蔵さんに真新しいよだれかけを奥様が掛けていられるところでした。桜は濃いピンクの八重紅サクラ?だそうですが、まだ少し早くて2分~3分咲きでした。地元のご婦人3,4人の方が飛びっきり美味しい熱々の甘酒をお接待して下さってほっこりいたしました。
いま地図を見ています。漆谷から明日ヶ谷、その先は佐々江、原峠入り口、そして神楽坂トンネルでしょうか?去年の晩秋、その近くで、嵯峨野に勝るも劣らない、見事すぎる紅葉に出会い感激感激でるんるんでした。
矢代田楽、一度は見学しようと思っています。
佐々江から神楽坂を越えていくことになりますが、今、トンネルができる前の地図を見ていると、あのささ舟様にとって懐かしい原峠を越えていく道は「新神楽坂」と呼ばれていたようです。トンネルの開通に伴ってこの名は消えていくと思われますし、道もやがては山道になるでしょう。原峠越えの道は、一度車で越えましたが、大先達=ご主人を見習い歩いて越えてみようと思っています。
矢代田楽、お供致します。前はmfujino様のご厚意で神社のすぐ前に車を停めることができましたが、いつもそういうわけにはいかないと思いますから、車を停めてからちょっと歩かねばならないかも知れませんが、ささ舟様なら大丈夫。
六部さんの話ですけれど、そういう話もあるのですか。六部さんがもうこれ以上行脚出来なくなりここで最期と思われたとき、私の読経が聞こえなくなったら死んだと思って欲しいと言って行をして冥土へ旅立たれ、地元の人がその霊を慰めたという話も各地であると聞きます。京北では、狭間谷の入口あたりの塔集落には六部塚がありますし、栗尾峠の周山側にもその話が残っていて、六部道という名前があるそうです。峠を下るときにちらっと祠が見下ろせ、一度訪ねたいと思っているのですが果たせていません。
gunkanatagoさまによる今回の雪中徘徊はまさに隠れ里探索ですね。私が地元の歴史などに興味を抱いたのは、あれ~こんなこともあったんや~と色々聞かされて、いや余り聞かされていないなあ、調べてみると地元にも面白いことがいっぱい隠れている、面白いなあ、というのが我がブログを始めるきっかけでした。そのお陰でgunkanatagoさまとも知り合え嬉しく思っています。これからも色々な面でお教え下さい。今回の記事は臨場感もあり、まさにに隠れている石碑を見られるなど、素晴らしい徘徊録です。この石碑についてですが、今や我が師匠と仰ぐ地元の山村さんが、おい藤野君知っているか、と言われて車を走らせて見に行ったことを思い出しました。生の情報の大切さとネットワークの大切さを実感しました。謝々。
原峠ですが、舗装されていて車で走れます。もう一つ、知谷峠もありまっせ。
六部の伝承、京北にもたくさん残っているのですね。そうですね、考えてみれば六部さんの多くは旅の途中で亡くなったでしょうから、そのことを記した碑かも知れませんね。「六部殺し」は地方の名家が名家になったゆえんを説明するための悪意の伝承です。江戸時代に生まれる犬神憑と動機は同じようです。
宇野とうかがって、昨日「宇野の尼さん」の話を読み返しました。男を作って逃げた別のところの尼さんとゴッチャになっていましたが、宇野の尼さんは偉い人でした。入定塚とかがあるかも知れないので、今度見に行こうと思います。
佐々江峠の道のお話、了解致しました。やはり、明日ヶ谷は外せないですね。