谷町6丁目の交差点を少し南に行ったところで谷町筋と交差するのが空堀の商店街です。人形や結納で知られる松屋町から伸びるこの商店街、地方の商店街に比べるとまだまだ元気といってもよいのですが、どこか寂れているという感は否定できません。この商店街の辺りには昭和がたっぷりと残っている。ちょっと外れたところには「看護婦・家政婦紹介所」等の看板もそのままに残っています。
商店街から少し入ったところには、「直木三十五記念館」などもありますが、本当に手作りの可愛らしい記念館です。ただ、この手の記念館に比較的に多く見られる「一度入ったら説明地獄に陥りなかなか出られない」状態を怖れ、未だに足を踏み入れたことはありません。いずれ一個連隊と同道したときに果敢に攻撃してみようと考えています。
空堀の商店街は、谷町筋で分断されていますが、谷町より東にも少し続いています。こちらの方に店のある人には気の毒ですが、やはり場末の感は否めません。谷町筋を少し南下すると細いところに「近松門左衛門の墓」があります。もともとこの地にあった妙法寺が大東市に移転する際、近松の墓のみは史跡であったために動かせず、そのまま残したものが、時代の変遷で酔っぱらいが立ちションベンでもしそうな狭い狭い路地の奥に墓が、ということになってしまったそうで本墓ではなく、分骨地であるにしてもちょっと可哀想かなという感じです。尼崎の広済寺に近松の本墓があるそうです。この近くには、京都で遭難した大村益次郎の足を切断する手術を行った大阪假病院址等もありますが、横手には「どー」と墓が広がっています。ほんとに墓だらけ。
ここより少し東に行けば、契沖ゆかりの円珠院(トップの写真)があります。ここには契沖の墓と下河辺長流の墓があり、国学の聖地とでも言えそうです。晩年の約10年を契沖はここで過ごしたとのことです。中に入ると鎌八幡なるお社もあります。訪ねたときは偶々中年の女性が一心不乱に何事かを唱えながら祈っていました。しばらくその様子を眺めていたのですが、いきなりガバッと振り返って、「見たなぁ!」等と言われても嫌ですから(なんせ鎌を木に突き立てて祈るのですから)、さらに奥に入ります。奥でも別のおばちゃんの甲高い声が聞こえ、誰かに道を教えているようです。先客が去ると「はい、次のひとぉ!」、「えっ、おれかいな。何か病院の外来みたいやな。」という感じで客あしらいは随分と手慣れています。ここでは、契沖の墓を拝ませて欲しいと頼んだのですが、契沖の墓の公開は1月25日の契沖忌のみだそうです。恩師曰く「えー、墓のご開帳かいな、けったいやなぁ。」と。
さらに東に向かうと真田山、落語にもありますが大阪の人にとっては立派な山です。真田山公園を右手に見ながら上町台地を下っていくこの道、何と本当の石畳です。それも西洋風の方10㎝ばかりの石がきちんと埋め込まれています。大阪のアッピア街道とも言えるのですが、考えてみるとこの道は、生駒の暗越から奈良へと続く道でもありました。
ここを少し北に向かうと三光神社、真田の抜け穴で知られた神社です。昔は、パカッと口が開いたままだったのですが、今日日(きょうびは)、何か事故があったら直ぐにけちくさい裁判になるということで、入り口はなかなか厳重であるばかりか、横には真田幸村像まで建立されていて小生の如きいたずら者が柵を壊して中に入らぬように監視しています。真田山の名が示すように、この辺りに大阪冬の陣の折の真田丸があったようです。冬の陣では、遂に東軍をして攻略するを能わざらしめた出丸ですが、東西和議の後、夏の陣までに破却されています。幸村(信繁)はさぞや無念であっただろうと思います。が、それとこれとは別で、この穴は本当は何だんねん。
この界隈も、何か縁日でも無い限り人通りも少なく、大阪市内にいるという気がしません。社務所も閉まったきりで、お札を求める人が来ると少し離れた住まいから神職さんが走ってこられます。玉造の駅はもうすぐ近く、環状線を越えてさらに奈良までという誘惑もありますが、伏見の清酒「豊祝」を飲ませる魅力的な居酒屋がすぐ駅前にありますから、まあ大概はそこに引っかかって歩き納めということになります。線路を越えると二軒茶屋跡、これより東はまたいずれ。
商店街から少し入ったところには、「直木三十五記念館」などもありますが、本当に手作りの可愛らしい記念館です。ただ、この手の記念館に比較的に多く見られる「一度入ったら説明地獄に陥りなかなか出られない」状態を怖れ、未だに足を踏み入れたことはありません。いずれ一個連隊と同道したときに果敢に攻撃してみようと考えています。
空堀の商店街は、谷町筋で分断されていますが、谷町より東にも少し続いています。こちらの方に店のある人には気の毒ですが、やはり場末の感は否めません。谷町筋を少し南下すると細いところに「近松門左衛門の墓」があります。もともとこの地にあった妙法寺が大東市に移転する際、近松の墓のみは史跡であったために動かせず、そのまま残したものが、時代の変遷で酔っぱらいが立ちションベンでもしそうな狭い狭い路地の奥に墓が、ということになってしまったそうで本墓ではなく、分骨地であるにしてもちょっと可哀想かなという感じです。尼崎の広済寺に近松の本墓があるそうです。この近くには、京都で遭難した大村益次郎の足を切断する手術を行った大阪假病院址等もありますが、横手には「どー」と墓が広がっています。ほんとに墓だらけ。
ここより少し東に行けば、契沖ゆかりの円珠院(トップの写真)があります。ここには契沖の墓と下河辺長流の墓があり、国学の聖地とでも言えそうです。晩年の約10年を契沖はここで過ごしたとのことです。中に入ると鎌八幡なるお社もあります。訪ねたときは偶々中年の女性が一心不乱に何事かを唱えながら祈っていました。しばらくその様子を眺めていたのですが、いきなりガバッと振り返って、「見たなぁ!」等と言われても嫌ですから(なんせ鎌を木に突き立てて祈るのですから)、さらに奥に入ります。奥でも別のおばちゃんの甲高い声が聞こえ、誰かに道を教えているようです。先客が去ると「はい、次のひとぉ!」、「えっ、おれかいな。何か病院の外来みたいやな。」という感じで客あしらいは随分と手慣れています。ここでは、契沖の墓を拝ませて欲しいと頼んだのですが、契沖の墓の公開は1月25日の契沖忌のみだそうです。恩師曰く「えー、墓のご開帳かいな、けったいやなぁ。」と。
さらに東に向かうと真田山、落語にもありますが大阪の人にとっては立派な山です。真田山公園を右手に見ながら上町台地を下っていくこの道、何と本当の石畳です。それも西洋風の方10㎝ばかりの石がきちんと埋め込まれています。大阪のアッピア街道とも言えるのですが、考えてみるとこの道は、生駒の暗越から奈良へと続く道でもありました。
ここを少し北に向かうと三光神社、真田の抜け穴で知られた神社です。昔は、パカッと口が開いたままだったのですが、今日日(きょうびは)、何か事故があったら直ぐにけちくさい裁判になるということで、入り口はなかなか厳重であるばかりか、横には真田幸村像まで建立されていて小生の如きいたずら者が柵を壊して中に入らぬように監視しています。真田山の名が示すように、この辺りに大阪冬の陣の折の真田丸があったようです。冬の陣では、遂に東軍をして攻略するを能わざらしめた出丸ですが、東西和議の後、夏の陣までに破却されています。幸村(信繁)はさぞや無念であっただろうと思います。が、それとこれとは別で、この穴は本当は何だんねん。
この界隈も、何か縁日でも無い限り人通りも少なく、大阪市内にいるという気がしません。社務所も閉まったきりで、お札を求める人が来ると少し離れた住まいから神職さんが走ってこられます。玉造の駅はもうすぐ近く、環状線を越えてさらに奈良までという誘惑もありますが、伏見の清酒「豊祝」を飲ませる魅力的な居酒屋がすぐ駅前にありますから、まあ大概はそこに引っかかって歩き納めということになります。線路を越えると二軒茶屋跡、これより東はまたいずれ。
ここで思い出すのは、昔のNHKの少し森ノ宮よりに大きなNTTビルがあります。このビルの建設計画が発表されたとき、その南にある団地の人達が反対運動をされていてその根拠に「眺望権を侵害する(大きなビルが出来ると団地から大阪城を眺められなくなる)」というものがあったと思います。私はその時何か腑に落ちないものを感じざるを得ませんでした。では自分たちが住んでいる団地の建物はその南に住んでおられた人達が大阪城を眺める権利を侵害しなかったのか、という疑問です。何か身勝手さを感じた思い出があります。
あ、忘れていました。空堀商店街には5~6人しか入れない屋台の寿司屋さんがあります。人気があり、半年先まで予約がとれないそうです。食に関しては浪花はやはり天下の台所、あちこち楽しめますね。
ついでにと言っては申し訳ありませんが、大阪の北新地の辺りは昔「蜆川」が流れていたそうですね。その蜆川趾の碑がビルに埋め込まれています。近松の曽根崎心中のクライマックス、天神ノ森への道行き、二人はどのルートを歩いていったか、などを辿って見られるのも面白いのではないでしょうか。ゴールはお初天神や北新地などお酒の場には事欠きませんし( ^_')
もう一つ堀川戎から帝国ホテル方面へと歩く界隈の寺町には山片幡桃や大塩平八郎などの墓所があるはずです。お寺は鉄筋コンクリート製のものが多くてあまり風情を感じませんが、近世の大阪の気概を感じさせてくれる人の墓を訪ねられるのも面白いかもしれません。
ブログを読ませていただいて楽しくなり、そして懐かしくなりついつい余計なことまで書いてしまいました。ご免なさい。いろいろ難しい内容でなかなかついて行けませんが、こつこつと読ませていただきます。宜しくお願いいたします。