京阪電車の淀屋橋駅の直ぐ南には、以前にも申し述べました「適塾」があり大阪大学の医学部のルーツの一つであります。そのすぐ近くには写真の懐徳堂跡の碑があります。懐徳堂は、大阪大学の文学部のルーツです。基本的には中井一族の私塾でありますが、無鬼論で知られる山片蟠桃、加上説及び大乗非仏論の富永仲基、中井竹山、中井履軒等を輩出しました。現在、大阪府が主に外国人で日本文化の研究に功績のあった人に送る賞は「山片蟠桃賞」になっています。物理学賞や化学賞はいざしらず、人文科学的には、卑怯者の大江健三郎などが受賞したノーベル文学賞などより、こちらの方がよっぽど値打ちがあります。というより、大江が受賞した段階でカスの賞となった。大体、ダイナマイトを作ったオッサンの名を冠した文学賞なんぞというのは僭越以外の何者でもない。
この近くは、当たり前といえば当たり前ですが、史跡の宝庫、道修町には古い日本家屋も残ります。下の写真は大阪市立愛珠幼稚園です。
近江でお馴染みのウォーリズですが、その設計による浪花教会もすぐ近くです。この浪花教会の横の高級レストランのはいるビルも実に見事な建築です。
さてこの近辺は薬の町として知られ、日本の大きな製薬会社は大部分がこの界隈の出身です。今日日(きょうび)は合併をせねば生き残れない時代なのかも知れませんが、田辺製薬など多くの製薬会社がその名を変えていく中で、世界の武田製薬(タケチョー)が孤高を堅守しているのは何とも好ましく思われます。別段一銭ももらっていませんが、ここはアリナミンを応援しましょう。
この道修町の守り神が「少彦名神社」です。中国の神話というのは日本の神話に比べると誠に貧弱なものなのですが、その中に「神農」伝説がある。神農はあらゆる薬草・毒草を自らの舌で試し、その知識を人々に伝えた神ですが、本朝では大国主命とともに国土の建設を行った「少彦名命」として顕現されたことになっています。こういうのは本地垂迹説とは言わぬのでしょうが、まあ一種のそれです。そういえば聖徳太子なども中国の偉い坊さんの生まれ変わりなどといいますね。それはさておき、このお宮さんのおみくじ箱はいつ見てもほれぼれとします。神社の入り口には『春琴抄』の文学碑が建っています。佐助が願をかけた御霊神社もすぐ近くです。また、この界隈を徘徊して小西儀助商店(接着剤で知られる)の見事な町家を無視するわけにもいきません。こうして見ると、現代の高層建築なんぞというものは、近い未来のバラックだということがよく解ります。ちぃ(血)がかよてまへん。
さて、そのまま堺筋を少し北に向かうとこういう店があります。
ローマ字で「GOKAN」、「ん?ゴーカン(強姦)?何ちゅう名前を付けるんや!」とじたばたしていますと「アホー、五感ぢゃ。」「成る程。」という感じで、実はこの店はわれわれの如きおっさんは御法度の大変おしゃれなケーキ屋さんなのでありました。上には喫茶店もついていて、ここの昼食メニューはちと有名なのですが。クロワッサンという顔でもありませんので無論敬して遠ざくの類であります。女性にはどんどん入ってもらいましょう。男には「お前、去勢されたんか?」と声をかけるべきでしょう。
ここまでで、まあ京阪電車の淀屋橋駅から北浜駅までの一駅を歩いただけ、感じとしては100メートルほどです(本当はもうちょっとあるでしょうが)。足弱の老人婦女子にもピッタリの徘徊であります。ここより北に向かえば難波橋、東に向かえば高麗橋、どの橋を通っても天満・京橋やなあ。その界隈でいっぱいやるのがいいでしょう。
この近くは、当たり前といえば当たり前ですが、史跡の宝庫、道修町には古い日本家屋も残ります。下の写真は大阪市立愛珠幼稚園です。
近江でお馴染みのウォーリズですが、その設計による浪花教会もすぐ近くです。この浪花教会の横の高級レストランのはいるビルも実に見事な建築です。
さてこの近辺は薬の町として知られ、日本の大きな製薬会社は大部分がこの界隈の出身です。今日日(きょうび)は合併をせねば生き残れない時代なのかも知れませんが、田辺製薬など多くの製薬会社がその名を変えていく中で、世界の武田製薬(タケチョー)が孤高を堅守しているのは何とも好ましく思われます。別段一銭ももらっていませんが、ここはアリナミンを応援しましょう。
この道修町の守り神が「少彦名神社」です。中国の神話というのは日本の神話に比べると誠に貧弱なものなのですが、その中に「神農」伝説がある。神農はあらゆる薬草・毒草を自らの舌で試し、その知識を人々に伝えた神ですが、本朝では大国主命とともに国土の建設を行った「少彦名命」として顕現されたことになっています。こういうのは本地垂迹説とは言わぬのでしょうが、まあ一種のそれです。そういえば聖徳太子なども中国の偉い坊さんの生まれ変わりなどといいますね。それはさておき、このお宮さんのおみくじ箱はいつ見てもほれぼれとします。神社の入り口には『春琴抄』の文学碑が建っています。佐助が願をかけた御霊神社もすぐ近くです。また、この界隈を徘徊して小西儀助商店(接着剤で知られる)の見事な町家を無視するわけにもいきません。こうして見ると、現代の高層建築なんぞというものは、近い未来のバラックだということがよく解ります。ちぃ(血)がかよてまへん。
さて、そのまま堺筋を少し北に向かうとこういう店があります。
ローマ字で「GOKAN」、「ん?ゴーカン(強姦)?何ちゅう名前を付けるんや!」とじたばたしていますと「アホー、五感ぢゃ。」「成る程。」という感じで、実はこの店はわれわれの如きおっさんは御法度の大変おしゃれなケーキ屋さんなのでありました。上には喫茶店もついていて、ここの昼食メニューはちと有名なのですが。クロワッサンという顔でもありませんので無論敬して遠ざくの類であります。女性にはどんどん入ってもらいましょう。男には「お前、去勢されたんか?」と声をかけるべきでしょう。
ここまでで、まあ京阪電車の淀屋橋駅から北浜駅までの一駅を歩いただけ、感じとしては100メートルほどです(本当はもうちょっとあるでしょうが)。足弱の老人婦女子にもピッタリの徘徊であります。ここより北に向かえば難波橋、東に向かえば高麗橋、どの橋を通っても天満・京橋やなあ。その界隈でいっぱいやるのがいいでしょう。