「おばちゃん、クーラー入れてからもう何年になる?」、「15年やな。」、「えっ、もうそんなにたってんの。」と池田のたこ焼き屋「ひばり」での会話です。「涼しおまっしゃろ?クーラー入れましてん。わたし、クーラー嫌いやねんけど…。」という当時のおばちゃんの声は昨日のことのように耳に残っているのですが、確かに隣の味嘉園なる中華料理屋が無くなり、喫茶北陽が無くなり、何より元タカラジェンヌがやっているということで、朝からオッサンどもがカウンターですずなりになっていた喫茶アゼリアも無くなり、確かに15年が過ぎたのです。
クーラーが無いころ、トロトロと回る扇風機の風の中で、「アツー」と言いながらたこ焼きやお好み焼きを焼いて食べていたはずなのですが、その暑かった記憶は薄れ、ただ店を出た瞬間に世界が真っ白になっていたような感覚だけが残っています。「クーラーが無いとたこ焼きが食えん奴はコンジョ無しや!」等と言っていたのが今では自分自身がすっかりとコンジョ無しになってしまいました。
8月中旬、コンジョ無しのままではダメだとたこ焼きを食うた後はいつもの散歩道をウロウロと午後の散策です。ところがところが、異様なる暑さの中、池田の町を歩く人は少なく、にってんこぼしの中で太陽を見て笑っているのは小生だけのようです。最初の写真は、落語ミュージアムのある通りですが、車すら走っていません。振り返って商店街を見ても閑散としています。かつて友人に聴いた話を思い出します。すなわち「炎天下の柳井の町を歩いていたら、それはもう影の部分と日の当たっているところが明確に分かれてるねん。人は誰もいなかったけれども、下駄を履いた子供が一人走ったんや。すると、下駄の音が町中に響きわたってなあ。何やシュールリアリズムの世界やったで。」と。
落語ミュージアムでも入館者は小生一人で、係の方もさびしいのでしょうか、あれやこれやと話しかけて下さいます。呉春酒造の前を通り五月山へと向かいます。
昭和の中期までは赤線地帯として賑わったこの道も今歩いているのはやはり小生一人、指定文化財稲束家住宅の前で説明板を読んでいる人が一人おられましたが、目と目で「お互いアホでんなあ」と確認して無言ですれ違います。刀剣商「水田國重」跡の前にある酒屋、なかなかの根性で冷房は無し、店の中をのぞき込んだら「呉春」が列んでいます。店と一続きの部屋で小学生の女の子が店番をしていますが、店よりもテレビの方に一生懸命です。そのテレビの声は何を言っているのかは聞き取れませんが、外にまで漏れて出ていて、外に出た瞬間に声自体が溶けてしまうかのようです。
伊居太神社の階段を上ります。鳥居の額には「穴織大明神(あやはとり)」とあります。このお社にも誰もいません。いつもは本殿の前に行くと、風が御簾を動かして如何にも神が中にいらっしゃるかのように見えるのですが、今日は御簾もピタリと静止したままです。
赤いサルスベリの上に白い花が咲いているのですが、名前は知りません。多分「お前はアホか」と言われるくらいに知られた花なのでしょうが。
この暑い中で、鹿皆殺しの動物園に行って血圧が上がるといけませんので、今日は麓をウロウロして市街に戻ります。「あたごみち」の道標は五月山の頂上にある愛宕神社へのいざないですが、次回のこととします。
市街に帰る途次、日蓮宗本養寺の石標が目に飛び込んできました。寺の石標の上に怪しげなるバテレンの呪言を記したのはダレだ!このあたりにキリシタンの無恥と傲慢が表れていますね。
さて、本養寺の門はいつも閉まっているのでついつい遠慮するのですが、久しぶりに来てみると「あれは何だ?」という新しいブロンズ像が立っています。
常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)像です。古い像が残っているのならともかく、近年にいたって敢えてこの像を建立するとは、本養寺さんもなかなかにスゴイ。どなたに礼拝をされているのかと暫し考えたのでありますが、成る程これは小生自身に礼拝をされているのだと気づきました。これは何も小生が奢りの気持ちを持ったということではありません。
法華経の要諦は「山川草木悉皆成仏」という点にあると何となく記憶しています。間違っていたら全国の坊さんに「すみません」と言わねばなりませんが。常不軽菩薩はその悟りに従い、この世のありとあらゆるものに仏性有りとして礼拝をしたという方でこれは、釈迦の前世譚の一つにもなっています。この世のありとあらゆるものを尊いものとして礼拝する、人々はこの菩薩をバカにして「デクノボウめ」と石を投げたのですが、自分に石を投げる者に対しても礼拝をする。デクノボウでお気づきの方もおられましょうが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、この菩薩をイメージして書かれたものだと言われています。賢治はこの菩薩の如き生き方を望んでいたのです。
このカンカン照りの太陽の下で小生の如き凡夫にもまた手を合わせて下さる。そのことに気づくと暫しはこの菩薩の御姿のみが目にはいるばかりか、ゆらりと一歩を踏み出して歩き出されるが如き感じがするのであります。
「こらあかん!暑さのせいで変に信心深くなってるやんけ。」と我に返るまでに間がありました。小生は神仏を大切にしたいとは思っていますが、熱心な法華の徒でもなければ念仏の徒でもありません。
妙見堂は菩薩像の隣にあります。ドイツ軍を思わせるような鉄十字のマークに、能勢の妙見山と隠れキリシタンの関係を云々する人もいますが、成る程こりゃドイツ軍だと申す処。
日蓮宗と北辰信仰は強い関係にあるようです。小生が面白いなあと思うのは日蓮宗における三十番神の信仰です。排他的なイメージが強い宗派なのですが、古くからの神々を取り入れている点などはグニャグニャで好ましい。それを世俗的だというのならば世俗主義万歳ではないか。
さて、頭のてっぺんからジワーと熱くなってきました。人さんが歩いていない理由がよく分かります。たこ焼き店で飲んだビールはとっくに蒸発、吾もまた普通の行動を採らねばならぬようですが、無性に高槻の「たちより屋はな」のカレーうどんが食いたくなりました。「アチチ」と言いながらカレーうどんが食いたい、これも熱中症の一症状なのでありましょうか。「はな」はビールは安いぞ。
クーラーが無いころ、トロトロと回る扇風機の風の中で、「アツー」と言いながらたこ焼きやお好み焼きを焼いて食べていたはずなのですが、その暑かった記憶は薄れ、ただ店を出た瞬間に世界が真っ白になっていたような感覚だけが残っています。「クーラーが無いとたこ焼きが食えん奴はコンジョ無しや!」等と言っていたのが今では自分自身がすっかりとコンジョ無しになってしまいました。
8月中旬、コンジョ無しのままではダメだとたこ焼きを食うた後はいつもの散歩道をウロウロと午後の散策です。ところがところが、異様なる暑さの中、池田の町を歩く人は少なく、にってんこぼしの中で太陽を見て笑っているのは小生だけのようです。最初の写真は、落語ミュージアムのある通りですが、車すら走っていません。振り返って商店街を見ても閑散としています。かつて友人に聴いた話を思い出します。すなわち「炎天下の柳井の町を歩いていたら、それはもう影の部分と日の当たっているところが明確に分かれてるねん。人は誰もいなかったけれども、下駄を履いた子供が一人走ったんや。すると、下駄の音が町中に響きわたってなあ。何やシュールリアリズムの世界やったで。」と。
落語ミュージアムでも入館者は小生一人で、係の方もさびしいのでしょうか、あれやこれやと話しかけて下さいます。呉春酒造の前を通り五月山へと向かいます。
昭和の中期までは赤線地帯として賑わったこの道も今歩いているのはやはり小生一人、指定文化財稲束家住宅の前で説明板を読んでいる人が一人おられましたが、目と目で「お互いアホでんなあ」と確認して無言ですれ違います。刀剣商「水田國重」跡の前にある酒屋、なかなかの根性で冷房は無し、店の中をのぞき込んだら「呉春」が列んでいます。店と一続きの部屋で小学生の女の子が店番をしていますが、店よりもテレビの方に一生懸命です。そのテレビの声は何を言っているのかは聞き取れませんが、外にまで漏れて出ていて、外に出た瞬間に声自体が溶けてしまうかのようです。
伊居太神社の階段を上ります。鳥居の額には「穴織大明神(あやはとり)」とあります。このお社にも誰もいません。いつもは本殿の前に行くと、風が御簾を動かして如何にも神が中にいらっしゃるかのように見えるのですが、今日は御簾もピタリと静止したままです。
赤いサルスベリの上に白い花が咲いているのですが、名前は知りません。多分「お前はアホか」と言われるくらいに知られた花なのでしょうが。
この暑い中で、鹿皆殺しの動物園に行って血圧が上がるといけませんので、今日は麓をウロウロして市街に戻ります。「あたごみち」の道標は五月山の頂上にある愛宕神社へのいざないですが、次回のこととします。
市街に帰る途次、日蓮宗本養寺の石標が目に飛び込んできました。寺の石標の上に怪しげなるバテレンの呪言を記したのはダレだ!このあたりにキリシタンの無恥と傲慢が表れていますね。
さて、本養寺の門はいつも閉まっているのでついつい遠慮するのですが、久しぶりに来てみると「あれは何だ?」という新しいブロンズ像が立っています。
常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)像です。古い像が残っているのならともかく、近年にいたって敢えてこの像を建立するとは、本養寺さんもなかなかにスゴイ。どなたに礼拝をされているのかと暫し考えたのでありますが、成る程これは小生自身に礼拝をされているのだと気づきました。これは何も小生が奢りの気持ちを持ったということではありません。
法華経の要諦は「山川草木悉皆成仏」という点にあると何となく記憶しています。間違っていたら全国の坊さんに「すみません」と言わねばなりませんが。常不軽菩薩はその悟りに従い、この世のありとあらゆるものに仏性有りとして礼拝をしたという方でこれは、釈迦の前世譚の一つにもなっています。この世のありとあらゆるものを尊いものとして礼拝する、人々はこの菩薩をバカにして「デクノボウめ」と石を投げたのですが、自分に石を投げる者に対しても礼拝をする。デクノボウでお気づきの方もおられましょうが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、この菩薩をイメージして書かれたものだと言われています。賢治はこの菩薩の如き生き方を望んでいたのです。
このカンカン照りの太陽の下で小生の如き凡夫にもまた手を合わせて下さる。そのことに気づくと暫しはこの菩薩の御姿のみが目にはいるばかりか、ゆらりと一歩を踏み出して歩き出されるが如き感じがするのであります。
「こらあかん!暑さのせいで変に信心深くなってるやんけ。」と我に返るまでに間がありました。小生は神仏を大切にしたいとは思っていますが、熱心な法華の徒でもなければ念仏の徒でもありません。
妙見堂は菩薩像の隣にあります。ドイツ軍を思わせるような鉄十字のマークに、能勢の妙見山と隠れキリシタンの関係を云々する人もいますが、成る程こりゃドイツ軍だと申す処。
日蓮宗と北辰信仰は強い関係にあるようです。小生が面白いなあと思うのは日蓮宗における三十番神の信仰です。排他的なイメージが強い宗派なのですが、古くからの神々を取り入れている点などはグニャグニャで好ましい。それを世俗的だというのならば世俗主義万歳ではないか。
さて、頭のてっぺんからジワーと熱くなってきました。人さんが歩いていない理由がよく分かります。たこ焼き店で飲んだビールはとっくに蒸発、吾もまた普通の行動を採らねばならぬようですが、無性に高槻の「たちより屋はな」のカレーうどんが食いたくなりました。「アチチ」と言いながらカレーうどんが食いたい、これも熱中症の一症状なのでありましょうか。「はな」はビールは安いぞ。
愛染恭子主演の「白日夢」(谷崎潤一郎原作)と言う映画がありましたが(江戸川乱歩にも同名の小説があります)、もう30年も前ですか。監督は忘れましたけど、かなりインパクトのある作品でした。徘徊堂さんのたった一人の「白日夢」も、思えばとても得難い体験かも知れません。心頭滅却の、かなり崇高な範疇とお見受けしました。望んでも自分だけの世界を体現するなど、中々叶わないことですし。あの日の伊居太神社も静寂の中にありましたが、人影が皆無だったことはなかった様です。
本養寺石碑の上のバテレンも無神経ですが、さらに、その上のローンとECCもかなりの勇気ある行為と思えますが。法華経の「山川草木悉皆成仏」の観点からすれば許されるのかも・・・。
それより百日紅の上の白い花は、写真からはよく分かりません。迂闊に言うと「お前はアホカ」と言われそうですので、花女(鉄女でも在られる)に委ねましょう。
仏性となればさらに複雑で、誰しも仏になれる可能性があるのか、それとも、煩悩を断ち切った者だけが仏に成り得るのか。後者なら、私などは死ぬまで(死んでも)不可能です。また、生きとし生けるもの総てに仏性在り、と言われても困りますし、やはり死ぬまで煩悩は付き纏う様です。宮沢賢治は、最後は菩薩になれたのでしょうか。
それより、あそこのビールは安い!と探し回って飛び込んで行くのが宜しいです。それと一つ質問ですが、文中に「にってんこぼしの中で」とありますが、この意味は何でしょうか。
池田の町は何かいつも善意というか、そのようなものが充満している感じで、どのようなときも「ようきた。ようきた。」と誰かが言っているような気がします。
「にってんこぼし」は、太陽がかんかん照りの様子を示すのですが、方言なのでしょうね。「にってん」は日天、こぼしはこぼすでしょうか。太陽の光が天からこぼれている様かなと思います。小生の使っている言語は河内風大阪弁をベースに神戸弁や三田弁なども混じっていますから、どこで知った言葉なのかは不明ですが。
たこ焼き屋のおかみさん、一見怖そうに見えましたが、あの狭いお店でニヤニヤダラダラしていたら、そこら中に当たりますもんネ。(これ内緒にしといて下さい)お味は最高に美味しかったですが、量がやや足りないかな?
常不軽菩薩の像、意味も判らず何処かで拝ませて頂いたように思いますが、何処だったか思い出せません。
私は花女ではないのです。咲いている花は殆どが好きですが名前はさっぱり判りません。
神社に咲いている白い花は、眼が悪いから(勝手な時だけ?)定かでないですが、夾竹桃キョウチクトウの白花か、槿ムクゲではないでしょうか?
たらたら汗に「アチチ」のカレーうどんとピンピンに冷えたビールですか?それは美味しそう!
あの近隣では花の町のイメージを有していたのは宝塚でしたが、ファミリーランドの閉鎖以後はそういう感じがしません。これからは花の町といえば池田ということにしますね。宝塚はかつては温泉の町という名称を失い、今また花の町では無くなったので、何か考えねばなりません。
阪急高槻市駅にある「たちより屋はな」のカレーうどんはなかなかです。串カツもあるので嬉しいのですが、するめの天麩羅はメニューから消えていました。あの店に入りながらするめの天麩羅を注文しなかった連中は「本当にわかってないなあ(詠嘆)」というところです。
カレーうどんか。最近食べてないなあ~。堺筋本町ちかくの「やなぎ」のが良かったけど、もっと辛口の方が更に良しというところかしら。
罪を悔い改めよ、と説教されるよりも、こうして常不軽菩薩像に手を合わされたら、はっと自分を見つめるのは、、、
今回もgunkanatago節を堪能させて頂きました。写真のコンビネーションも気に入りましたね。
池田であれだけ人を見なかったのは初めてでした。古い商店街に衰退の影は以前から見られましたが、ここまでとは思いませんでした。そういえば、この時期は池田は人形飾りをやっていたはずなのですが、それもいつの間にか消えてしまったようです。
堺筋本町「やなぎ」、機会が有れば行ってみます。