花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

花洛短信②

2010年09月24日 | 徘徊情報・洛中洛外
 岡崎近辺は院政期の六勝寺が甍を並べたところですが、この地においては全てが廃絶しているようです。また、別の面では動物園で知られ、さらにラブホでも有名な地域です。けれども今となっては、やはり平安神宮の門前町的な風合いというか、性格が強くなっているようです。また、この辺りから東山山麓にかけては京都有数の高級別荘地帯だそうで、結構奥が深い。
 平安神宮の参道に面して、幾つかの美術館もあります。この美術館ちゅうのは小生には愈々無縁のところで、何やら幕が垂らしてあって「ゴッホ云々」という文字が目に飛び込んできます。小生などはゴッホのどこがいいのかさっぱりと解らぬ。時価数十億円とかいう言葉を聞くと「あほかいな。冷静になれよ。」と言いたくなります。「ひまわり」だったか何だったか、あの黄色の絵の具がゴテゴテと塗られたヤツが仮に50億円だとしたら自衛隊の最新鋭の10式戦車が5台も買えるやんけ。
 と、別にゴッホに喧嘩を売るためにこの辺に来たのではなく。エッヘン、本日は図書館に用があるのであります。用と言っても壁を塗りに来たとかそんなんではありません。思えば池田市にある阪急池田文庫以外の図書館に入るのは数十年ぶりです。京都府立図書館は、大昔に予備校の授業をさぼっては利用し茂木草介の「けったいな人々」などをここで読み終えた覚えがあります。中の様子は当時と様変わりをしていましたが、当たり前とはいえ「京都徘徊」関係の書籍の充実していることは素晴らしい。今後はもっと通わねばならぬと思いました。
 3時間ばかり、調べものをし(寝っ転がって読めないのでムチャクチャ疲れました)、その後にこの辺りをちょっとウロウロ。すぐ近くにドイツの医者のものすごい顕彰碑があります。名前は失念しましたが、「京都 岡崎 顕彰碑」か何かで検索できるでしょう。

          

 負けへんでと、我が二宮尊徳翁。規模では完全に紅毛の医者に敗れている。

          

 哀れをもよおすのが「成勝寺」跡の碑であります。前後倒錯も甚だしい。ドイツのおっさんの顕彰碑は直ちに撤去して寺の縄張りなと解るような遺跡公園にしてくれーと申す処。

          

 あかん!これ以上この辺りをウロウロしてもっと大切なのにショボイ碑を見つけたりしたら、本当に攘夷運動に走りそうや。と岡崎を退散、白川沿いに三条に向かいます。

          

 世間でよく知られている白川の風景は三条と四条の間ですが、仁王門通りと三条の間の景色も小生は好きです。この辺りは昔はプールとしても利用されていました。何チャラというおっさんの七宝焼き記念館は今や廃屋となりつつあります。勿体ないで。

          

 古川町商店街に素晴らしいお好み焼き屋が有ったなあと訪ねてみましたが、既に店は無くなっていました。その代わりに珍しい神社を見つけました。

          

 藤原兼家(道長のパパ)の東三条第がこの辺りにあったそうで、何と祭神は兼家その人です。神社の世界も「何でもありやな」の感を深くします。源三位頼政がヌエを退治したのもこの辺りということ。主神のスサノオの命にだけ挨拶をして、兼家の方は遠慮したいのですが、別に分けてある訳ではないので、そういう参拝の仕方は難しおす。
 この近くの旅館の喫茶店は武道執心の友人の好んだところです。名前は「マカハ」、武道と何の関係があるのかというと、逆から読むと「ハカマ」になるからだそうです。それを聞いたときには「こいつはホンマに変わっとるわ」と思ったことでした。その「マカハ」、残念ながら無くなっていました。可哀想に、友人の今一軒のお気に入り河原町丸太町下がるの「葉隠」も今はありません。
         


4 コメント

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ヌエの住まい (gunkanatago)
2010-09-27 13:37:17
 mfujino様、コメントをありがとうございます。この界隈にいろいろな思い出がお有りなのですね。白川の方は、仁王門通りから50メートルほどの間がプールとして利用されていましたから、遊泳OKでしょうが、疎水はちょっと危険ですね。
 あの辺りでは、一番のお勧めは武道センター内にある武徳殿です。柔道の審判をしている友人に教えてもらいました。まだ、建物の中に入ったことはないのですが、外から見ているだけで明治・大正期の青年たちの青春が実感されるようです。武専もこの近くにあったとのことです。
 東三条はどうやらヌエの住まいだったようです。退治した場所はお書きになっているように二条城付近がピッタリだと思います。藤原兼家は執着心の強い男でしたから死後ヌエになって内裏に取り付き、頼政に退治されたのだなどといったら大将軍神社に怒られるでしょうが、そう考えると愉快です。
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頼政の鵺退治は、 (mfujino)
2010-09-26 02:20:03
gunkanatagoさま、 我が平安神宮の思い出は高校時代のバレーボール大会であります。この界隈にグランドがありましてここで高校バレーの試合に出場し番狂わせか我がチームは一回戦で敗退、涙も乾かぬ間にあの大鳥居近くの疎水に飛び込んで汗を流したものです。泳いでよかったんかしら?
日本に商売に来ていたフランス人を休日に京都観光へと案内したのですが折しもその日は成人の日、記念写真を撮って貰う為彼氏を引き連れた和服姿の女性がいっぱい。その風景をフランス人は喜んだこと、何枚も写真を撮ったり、きれいどころとツーショットを楽しんどりました。
1999年の大晦日に送り火を見た後深夜に2000年の新年のお参りにも行きましたね。もう10年が経つのか~って感じです。
この界隈での我が思い出はそれ位で、文化的香りは漂ってきまへん。
南禅寺界隈での湯豆腐屋では岸恵子に似た美人と一緒だったことや冬の寒い日東京からの帰りに寄ったり、へ~こんな頭の良い輩もおるのかいなと同席者に感心したり、メタセコイヤの紅葉に見とれたりと割と良い思い出が出てきますが。

>源三位頼政がヌエを退治したのもこの辺りということ。
と書いておられますが、我が探索記録では、その場所は二条城の北西の公園にその説明板がありましたが。平安京跡の位置を考えますとこちらの方が正当ではないかと思いますがどうどすやろ?
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法外なもの (gunkanatago)
2010-09-25 18:36:09
 道草様、コメントをありがとうございます。岡崎に摘草料理というのは、何かけったいですね。花背とか美山ならば、その地と結びついたものがあるでしょうが。いずれにしても、法外な価格がついているものを喜んでいく人の気が知れませんね。虚栄心を満たしているだけかも知れません。値段の高さだけで店や品物を選ぶのは下の下だと思います。
 ぐっと価格は下がりますが、以前祇園でワラビ餅お茶付き1600円というのを目にしたときはもう観光客が可哀想で可哀想でなりませんでした。心学の薫陶を受けた本当の京都人は、そういうあこぎな商売はしないだろう、暇になったら隣でお茶付き300円のワラビ餅を売ってやろうかな等と思いました。
 小生が知っているある店(結構有名です)等は2万円以上だと「もうお出しするものがありません」と正直に仰います。これが良心でしょうね。そういう店は長く続きますが(その店も100年ぐらい続いています)、法外な価格で一時の利を求める店は結局消えていくと思います。
 七宝焼き記念館は閉館しています。そういえば、動物園も近かったですね。小生も長いこと動物園には入っていません。
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栄枯盛衰目の当たり。 (道草)
2010-09-25 17:57:51
岡崎界隈は、元来は歴史も由緒も有りそうな地域ですが、最近は完全に観光化されてしまっている感があります。摘草料理の比較的新しい店が出ていますが、美山何チャラの中何チャラ(東京の某が傾倒していました)の指揮か指導の料理らしく、たかが山草なのに結構な値段を取ります。それより、饂飩の美味しい店がありますので、徘徊堂さんがもしお好みでしたらご案内致しますが。
美術館へは、友人か知人の出展以外は行ったことが無く、ゴッホの50億円(50円置くのではなく)あれば、2万5千円の車椅子が20万台買えますし、徘徊堂さんが10年間は毎晩飲み続けられますし、ラブホでも10年間毎晩入館可能ではないですか。
動物園へは、友人が招待してくれたコンサート(演歌のTYショー)の時間待ちに、2人でつい最近入園しました。40年振りくらいでしたが、まるで珍しい動物が居らず、牙の全く無い象が何だか哀れに見えたものです。
白川沿いはなかなかの散策道ですが、七宝焼き記念館は並河何チャラでしたか。70歳以上は100円引きしかしてくれないので入るのを止めましたが、閉館していますか。「ハカマ」とか「葉隠」も消滅したとのこと。栄枯盛衰を目の当たりに見るようです。河原町六角にある、宝塚の羽織袴が制服の喫茶店へよく行きました。名称はど忘れしましたが、もう其処も消えているかも知れません。
六勝寺の成勝寺は名前負けしたのでしようか。これは応仁の乱が原因ですか。「古き佳き時代は遠く秋の空」道草。
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