花洛転合咄

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徳林庵

2019年02月02日 | 徘徊の寫眞


徳林庵山科地蔵は東海道に面している。西に行くと山科駅前、御陵、蹴上を経て、京の三条通につながる。今は主要道ではないが、車や人の通行量は多い。
往時、大津から大坂に向かう人は、東の追分で伏見へと向かったから、地蔵さんの前を通るのは京に行く人、京から来る人であった。
堂の横には、日通のマークの元となったと思われる印の入った井戸枠がある。
地蔵尊の由来には、小野篁が絡んでいる。地蔵尊=地獄の亡者を救って下さる、地獄=小野篁ということから各所の地蔵尊の作者と擬せられているのだろう。
紫式部堕獄論は、鎌倉時代にはある意味での常識であったようだが、これを篁が救うという話は何時ごろから言い出したものだろう。二人は同年代の人ではないが、墓と称するものが堀川北大路を下ったところに仲良く並んでいる。



ここは昔、東洋学の偉い先生が庵主をされていたが、今は表札に記された姓もすっかり変わっている。
さりげなく置かれていた車石もどこかに移されたようだ。

牛が挽く 車は今は
見えねども
繁き往き来は 昔のままに

百年(ももとせ)も
変わることなき 道のべに
昔見し人 去りて返らず

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