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天王寺から関西線で二駅目、「平野」は江戸時代には河内木綿の集散地として栄えたところです。写真の道標、上部が痛々しく欠けているところが如何にも無造作に扱われていることを示していますが、寛政12年(1800)のものです。さらに古くは、堺などと同じように環濠都市であったということですが、環濠の名残らしきものが杭全神社(くまたじんじゃ)近くに一部残っています。勿論これは、随分と最近に人の手が入ったものです。
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この環濠の中にあったと考えられる地域は、町並みなど往時の様子を残していて、町ぐるみの博物館などということも提唱されているのですが、それでも年々新しい家やマンションが建ち、もはや風前の灯の感もあります。ところが、江戸まで遡らなくてもよい、近年ブームとなった「昭和」ということならば、まだまたこの街は魅力的なところをたくさん残しています。商店街も非常にレトロなもので、「繁栄」という提灯は皮肉な感じですが、商店街に面した全興寺等は「地獄の様子の見せ物」や「駄菓子屋の博物館(どちらも2メートル四方ぐらいの小さなもの)」を常設していて、何よりも境内でたくさんの子供たちが遊んでいるのがよい。
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それぞれの店構えも昔のままで、客がレジに列をなし、自分で袋に詰めるなどという失敬な店舗は殆ど見ることができません。本当に昔の市場がそのまま残っていて、昭和の匂いがプンプンとしています。客と店主のかけ合いも何となく悠長なものです。さて、この環濠集落の外れにあるのが大念仏寺です。
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その本堂は比較的に新しいものですが、誠に長大、「平野商人の財力を見よ」というところです。小生は、当初平野はこの大念仏寺の寺内町だと勘違いをしていました。大念仏寺は、浄土真宗ではなくて融通念仏宗の総本山で、練り供養などが行われる寺だそうです。一般に寺内町は、浄土真宗の寺を中心に発展した町ですから、平野については当てはまりません。それにしても大きな本堂です。この寺の裏門は、下総古河藩の陣屋門であったものが移築されています。表門の付近には、一茶の句碑などが最近建てられました。
さて、JRの線路を挟んで環濠集落とは反対側、つまり北側に正覚寺という地名があります。ここにあった正覚寺という寺は今は存在しません。僅かに名残を留める寺がありますが、規模の点では何十分の1というところでしょう。この正覚寺が廃寺となったのは1493年の正覚寺合戦で、あのというか、例のというか、本当にしぶとい畠山政長(応仁の乱のきっかけとなった武将)が自害した戦いです。それでも、その子は生き延びて不十分ながら親の敵を討っているのは立派です。日露戦争旅順攻略戦の乃木大将の先祖さんも、このとき主君政長とともに自刃しています。現在、旭神社内に「正覚寺城祉」の碑が建っていますが、説明も何もありませんし、寺を城塞として使ったまてで、正覚寺跡でよいのではとも思います。
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旭神社を少し東に行ったところに正覚寺の法流を受け継ぐ寺があり、そこにはやや詳しい説明が残されていますし、すぐ近くの民家のような寺(そうとしか言いようがない)の前にも少し説明があります。
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このあたりは僅かに郊外の農村の風景を残すのですが、急速に都市化が進んでいます。道路沿いに「畠山政長公墓→」と言うのが出ていますが、矢印に沿って進んでも次の矢印は無く、道に迷うプロである小生は結局墓を見つけることが出来ませんでした。
平野から久宝寺まで電車に乗れば、新しく開通した大阪東線で放出まで行くことができます。突然にこれを思いついて、放出についてから、「しもた!天王寺で飲むはずだった。」と予定を思い出すのですから、やはりなんやかやと見て歩いても「徘徊」の域を越えることはないのです。
09年3月記
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この環濠の中にあったと考えられる地域は、町並みなど往時の様子を残していて、町ぐるみの博物館などということも提唱されているのですが、それでも年々新しい家やマンションが建ち、もはや風前の灯の感もあります。ところが、江戸まで遡らなくてもよい、近年ブームとなった「昭和」ということならば、まだまたこの街は魅力的なところをたくさん残しています。商店街も非常にレトロなもので、「繁栄」という提灯は皮肉な感じですが、商店街に面した全興寺等は「地獄の様子の見せ物」や「駄菓子屋の博物館(どちらも2メートル四方ぐらいの小さなもの)」を常設していて、何よりも境内でたくさんの子供たちが遊んでいるのがよい。
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それぞれの店構えも昔のままで、客がレジに列をなし、自分で袋に詰めるなどという失敬な店舗は殆ど見ることができません。本当に昔の市場がそのまま残っていて、昭和の匂いがプンプンとしています。客と店主のかけ合いも何となく悠長なものです。さて、この環濠集落の外れにあるのが大念仏寺です。
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その本堂は比較的に新しいものですが、誠に長大、「平野商人の財力を見よ」というところです。小生は、当初平野はこの大念仏寺の寺内町だと勘違いをしていました。大念仏寺は、浄土真宗ではなくて融通念仏宗の総本山で、練り供養などが行われる寺だそうです。一般に寺内町は、浄土真宗の寺を中心に発展した町ですから、平野については当てはまりません。それにしても大きな本堂です。この寺の裏門は、下総古河藩の陣屋門であったものが移築されています。表門の付近には、一茶の句碑などが最近建てられました。
さて、JRの線路を挟んで環濠集落とは反対側、つまり北側に正覚寺という地名があります。ここにあった正覚寺という寺は今は存在しません。僅かに名残を留める寺がありますが、規模の点では何十分の1というところでしょう。この正覚寺が廃寺となったのは1493年の正覚寺合戦で、あのというか、例のというか、本当にしぶとい畠山政長(応仁の乱のきっかけとなった武将)が自害した戦いです。それでも、その子は生き延びて不十分ながら親の敵を討っているのは立派です。日露戦争旅順攻略戦の乃木大将の先祖さんも、このとき主君政長とともに自刃しています。現在、旭神社内に「正覚寺城祉」の碑が建っていますが、説明も何もありませんし、寺を城塞として使ったまてで、正覚寺跡でよいのではとも思います。
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旭神社を少し東に行ったところに正覚寺の法流を受け継ぐ寺があり、そこにはやや詳しい説明が残されていますし、すぐ近くの民家のような寺(そうとしか言いようがない)の前にも少し説明があります。
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このあたりは僅かに郊外の農村の風景を残すのですが、急速に都市化が進んでいます。道路沿いに「畠山政長公墓→」と言うのが出ていますが、矢印に沿って進んでも次の矢印は無く、道に迷うプロである小生は結局墓を見つけることが出来ませんでした。
平野から久宝寺まで電車に乗れば、新しく開通した大阪東線で放出まで行くことができます。突然にこれを思いついて、放出についてから、「しもた!天王寺で飲むはずだった。」と予定を思い出すのですから、やはりなんやかやと見て歩いても「徘徊」の域を越えることはないのです。
09年3月記
それに比べると、平野町はあの大阪大空襲にも遭わなかったとか。昭和の昔のままが残っている商店街なのでしょうか。一度は是非訪れて見たい所です。全興寺の地獄堂は結果が明白なので、私にはしらふでは行き難いようです。
天王寺へ行かれなかったのですか。前に触れたと思いますが、「明治屋」ですよ~、一度是非行ってみて下さいと、我が一押しの呑み屋さんです。お昼のアイスクリームには「ゼー六」へ( ^_')
懐かしいお話を有難うございました。