曹達記

ゲーム、特撮、ポケスペ等について比較的長めの文章を書く場所。

2020年1月ポケスペ剣盾編感想

2021-02-15 00:10:00 | ポケスペ
今回はしーちゃんの手持ちとの再会がメイン。どうもジム戦と同等のウェイトで描いていく流れのようだ。

まずはメロン登場から。どうもジムリーダーについては盾側のメンバーをメインで描いていくのかな?と思ったが、マクワもサイトウも登場。
キルクスジムについてはマクワとメロン双方に焦点を当てる作りのようだ。
ただ、サイトウとオニオンは原作での関係性がないため、膨らませる尺がないのも手伝って今一つ構図が分かりにくい。
今回、二人が交代でジムリーダーを務めているという事実が明かされるが、なぜそうなっているのかは不明である。
今後説明されることを願いたい。

ビートの失格を話題にする一行。前回、ビートはそーちゃんに対してかなりの評価をしていることがわかったが、逆にそーちゃんの方もビートに評価をしていることがわかる。
その理由は、同じように親なき子であることだろう。
やはりビートとそーちゃんの対立軸はかなり鮮明である。
ただ、どうも気になるのが他のライバル達と主人公チームの対立軸がややぼやけている。
どうも前回辺りまではホップとしーちゃんに対立軸を仕込むか、と思っていたのだが、今回の話でわからなくなってしまった。そしてマリィについては誰とも軸がない。
ゲームでは確かにマリィだけ対立軸がないのだが、態々御三家を配置するマナブというキャラを作ったのだし、なんかうまく使えないものか…。

もうひとつこのやり取りで気になったのが、そーちゃんのローズへの不信感である。
世間知らずな彼だからローズの権力の強さに違和感を覚えたのか、それとも過去に因縁があるのかは分からない。
個人的な希望を言うならば、「過去に因縁があった」ではサンと丸被りなので、もうちょっと違うアプローチで攻めてほしいところ。
もしかしたら、単にビートへの着目からローズへの不信に繋がっているだけなのかもしれない。

マグノリア博士のポットデスとヤバチャはオニオンを絡めるための存在のようだ。
だが、それだけなのかはまだ分からない。原作と大きく異なるポイントなので、まさかこの一つだけで済ませるような惜しいことはないと思うのだが。

今回はしーちゃんのコミュ力の高さがオニオンとの絡みで強調される。
ここはサイトウでは描けない側面だったので、オニオンというチョイスに納得。
コミュ力・技師としての技術力が彼女の強みだとハッキリしてきた。
以前「バトルでの活躍もほしい」と書いたが、確かに彼女自身のバトルでの強さは今一つではある。
だが、周囲の協力を得られる状況であれば総合的な強さを得られる、そのように思えてきた。
絶対に他者の協力を得られるタイプではないそーちゃんとの対比がどことなく見える。
何となく、最終決戦に向けた布石が置かれたようだ。

しーちゃんがテラをこづくシーンでは後ろに英語が書いてある。
だがその単語、「Nadge」を調べてみたら全然違う意味が出てきたので、「Nudge」のスペルミスだろうか?
後者は「肘でこづくときの擬音」という意味である。

オニオンはドロンチを捕獲。まさか、ガラルスタートーナメントまであるのか?

最後はポプラとの対峙まで詰め込んで次回へ。
極力ストーリーの本筋に関わらないイベントを削ぎ落とす作りだから仕方ないが、どうも話の余韻を切ってしまっているなあ…。
これは予測だが、今年の11月(すなわち単行本3巻)までにジム戦を終わらせる構成に思える。
それは前章の消化不良があった以上仕方ないが、残りの1年で独自ストーリーの最終決戦にもつれ込む形だろうか。
昨今の情勢でゲームの世代交代が一年遅れになるならまだしも、エキスパンションパスの盛り込みはかなりあり得ないことだと思う。
このペースで正解なのか、そうでないのかは、2022年の11月にならないと結論は出せない。
個人的には、ゲームのストーリーをまんまなぞるだけの超高速展開になるのは少し考えものなのだが、読者としてはまだ見守るしかないのも現実。
無理にゆっくりやって消化不良を起こすぐらいなら、後で通巻版を出すときに加筆してしまえという考えなら嬉しいが、通巻版が剣盾編に行くにはまだ3年はかかる計算である。一抹の不安が残る。

以前も書いたのだが、連載雑誌を増やすという選択肢はないのだろうか?
作者の体力が厳しいならば、チームで挑むべきではないか。アシスタントも含めた総体が漫画家であろう。
出版社がこの漫画をどうしたいのか、その決断が問われていると改めて思うのである。

スクリーンで見ること

2021-02-13 14:33:00 | 特撮
今年はガメラ生誕55周年ということで、平成ガメラ3部作を4Kリマスターし、DOLBY CINEMAで再上映するという企画が行われている。

そして自分は「映画はデカイのが爆発してナンボ」という至極単純な脳みそをしているため、怪獣映画が大好きである。
殊に、92年生まれの自分にとって身近な怪獣といえば、ウルトラ怪獣であり、ガメラであった。ゴジラは95年で一旦終わっていたからである。
ただしガメラが身近だったといっても、リアルタイムで見られたのはガメラ3が最初で最後であり、その次に公開された「小さき勇者たち」は見てないのであるが。

だが、平成ガメラ三部作はテレビでの放送で繰り返し触れた。そしてそのリアルな世界観に魅了されてしまい、その後触れた仮面ライダークウガで完全にリアル志向至上主義へと変わっていくのだが、それはまた別の話なので置いておく。

さて、生まれた年の都合上本当にしかたがないことはよくあるが、その一つが「リアルタイムで過去の名作映画を映画館で見られないこと」である。
ガメラ2の公開は96年。その当時自分は4歳である。そもそも存在を今一つわかっていなかったのである。
勿論ウルトラマンティガは見ていたが、当時はまだ自分に映画を見に行く決定権はない。
そして悲しいかな、当時の自分がいたコミュニティに置いてはガメラ2はそこまで話題になってなかった。

子供はテレビの影響を受けるが、コミュニティで回りがどういうものを見ているのかにも影響される。
当時の幼稚園児にはまだ平成ガメラは早すぎたのであろう。
そのため、親に見に行こうと言うこともなく、その後テレビで見て後悔することになった。
そのリアル志向な世界観、ひたすらに上質な特撮、ストーリー、魅力的な怪獣レギオン…。どれをとっても個人的には最高であり、不朽の名作と思うに至ったが、やはり劇場で見られなかったことが凝りとして残る。
後にBlu-rayを買い、仙台で仙台が壊滅する映画を見るというなんとも奇妙なこともしたが、迫力が足りない。

そこで、今回の再上映である。
感染拡大は怖いが、千載一遇のチャンスである。
見なければ。

ということで、有楽町まで行って見てきたのであるが、「映画は映画館で見るのが良い」という、ある意味至極当然の事実を改めて感じた。

まず、スクリーンの大きさである。
当たり前であるが、スクリーンはテレビ画面の10倍以上の大きさがある。
そこに迫力の特撮が映れば、否応なく巨大感を感じる。
更に平成ガメラ特有の「目線に立った特撮」も分かりやすい。
劇中の目線同様、スクリーンを見上げることになるからだ。
やはり「仙台での撤退中車両から見上げるガメラ」のカットは渡良瀬二佐と同じように見上げてしまう。

そして、音響。
DOLBY CINEMAなので音響はテレビと比べ物にならない。
特に地下鉄襲撃のシーンで、足元から物音がして、その後運転士に襲いかかるという一連の流れでの音の動きがリアルに感じられた。
何より、爆発などの音が確実なリアル感をもって目の前に広がる。

更に、映画という環境そのものが生む集中力はテレビでは得られない。
当たり前だが、上映中にスクリーン以外の光はなく、人間の意識はそこに集約される。
そこに没入感が生まれ、何度も見返して流れをよく知ってるシーンですら、「この後どうなるのか」という緊張感が出る。
ショッキングなシーンでは劇中と同じように息をのみ、熱いシーンでは手に汗を握る。
そういった劇場の雰囲気を体感できたこと、それがとても良いものだったと思う。
上映期間は短いので、行けるときに行くのが一番である。