曹達記

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2022年1月ポケスペ剣盾編感想

2022-02-15 02:30:00 | ポケスペ
前回のあまりの高速展開っぷりに、「次回まで読まないとどう評価すべきなのか分からない」と書いたのだが、今回も同じように高速展開ペースであった。
一応、今回の展開についてはそれなりに以前からの前振りがされているため、スピーディーに展開を進めたと肯定的に見ることもできる。
ただそう考えるにしても、展開を詰め込みすぎていると個人的には感じた。

話はナックルシティの状況から。
いきなりキョダイマックスを駆使して状況を収めるダンデとキバナ。
流石は実力者といったところだが、ムゲンダイナの存在が明らかになり事態が悪化していることが分かる。
その流れ自体はスムーズだ。しかしこれは演出面での問題ではあるが、そこまで大きな見せ場というわけでもないシーンに大ゴマを使ってしまうのはどうなのだろうか。
都合1頁丸々大ゴマで消えており、今回の展開に影響した面は否定できない。
この大ゴマ多用問題については最後にまとめて述べることとする。

一方の図鑑所有者一行はナックルシティに向かうが、キョダイカビゴンのせいで道路を進めない事態に。しかし線路を走行するという妙手で解決する。
正直、この下り要る?というぐらい本筋に関わりが無さすぎる…。
今回は展開が多数あるのに、この下りだけ展開への前振りになってないから、どうにもノイズという感覚が出てしまう。
無論、もしかしたらこの下りが後の話において重要な役割を果たす可能性もなくはないから、全部要らないと言い切るべきではないのだが、個人的にはカットして前の展開への反応や受け止めをいれるなりして、もう少し話の速度を緩めて欲しかった。
本筋に必要ない展開は全て要らないとまでは思わないのだが、ただでさえ展開が押し寄せてもつれ駆け足状態なところに、余計なものを入れない方がスッキリするのではないか?

そんな中、シーソーコンビはテレビ局を巻き込んだムゲンダイナ撃退ショーを展開すると言い出す。
ここは原作要素の上手い改編といえよう。
これを受けてジムリーダー達は議論を交わし、シーソーコンビは英雄の末裔として扱われる舞台を必要としたと推論する。
さらに、「なぜ今なのか」という時期の問題と、ローズ側の動機が話題になる。
「いくら困った人を放っておけない性分とはいえ、大多数の人に被害を与えてまでやることなのか」という振りがなされたことからすると、ローズ自身の内面に迫るのかもしれない。

そんなこんなでナックルシティに到着したが、一部を除きジムリーダー達は自分の街に戻るため離脱。
オニオンとサイトウがなぜ二人でジムリーダーをやっているのか、という謎はいつ明かされるのだろうか?
もしファイナルトーナメントまでやるなら、そこで明らかになるのかもしれないが…。
一方のそーちゃんは剣と盾の扱いに我慢ならないのか、大急ぎで飛び出してしまう。
彼の動揺が、ここからの展開でどう影響するのかは一つの見所かもしれない。
彼自身の内面は全くわからないのだが、武器への執着が一つの鍵になるはずだ。
しかし、ここ最近のマナブの影の薄さはなんなんだろうか…。
自分が以前書いた分析(ポケスペ剣盾編におけるマナブの立ち位置について - 曹達記)において、マナブは狂言回しとして動くキャラだとしたのだが、図鑑所有者たちのドラマが進展してないにも関わらずマナブの存在は薄れている。
分析が間違っていたのはあるかもしれないが、展開の詰め込みによって描けていないという面も大きいだろう。

一行はダンデ達と合流し、エネルギープラントに突入しようとする。
プラントが開いてないことについてビートから抗議を受けたオリーヴは「早く着きすぎ」と言っているのだが、やはりゲームと違って取り乱す様子はない。
なぜ取り乱さないのかとなると、シーソーコンビがムゲンダイナを抑える見込みが立っているからだろうか?
ただ、ゲームでの結果を知っている視点を抜きにしても、朽ちた剣と盾にそこまでの威光があるようには見えない。
シーソーコンビにローズとオリーヴの信用を得る材料が、他に何かあったのだろうか?

ラストはローズと対面して〆。
最後のコマでは驚きと戸惑いを隠せない面子の中で、ネズとキバナだけがさほど驚いていない表情をしている。
他地方の悪の存在を知る二人であれば、ローズがこのような異常事態を引き起こしたことに対して驚きが少ないのかもしれない。


さて、今回はダイマックスの漫画における弊害が改めて浮き彫りになった回とも言える。
ダイマックスは「ポケモンが巨大化する」というシンプルな仕組みだが、サイズが大きくなることを表現しなければならない。
これはゲームやアニメといった映像なら、カメラを引いて手前に対比を置くだけで巨大感は最低限出せる。
しかし、漫画ではそうはいかない。頁の1/6程度のコマでそれを表現しようとすると、コマがとても窮屈になるか、見下ろし視点に縛られるかのどちらかになる。
そこでポケスペでは、基本的にダイマックスを表現するために頁の半分以上を占める大ゴマを多用することになった。
ところが、漫画における大ゴマは「頁に割ける他のコマを減らす」「視覚的な強調性がかなり強い」という映像にはない効果があり、多用すると「話の展開を丁寧にできない」「強調したい見せ場が散漫になる」というデメリットがある。

例えるなら、特撮ヒーロー番組で変身する度に必ず30秒程度の変身バンクと名乗りを入れなくてはならないようなものだ。
変身するのが一話に一度なら問題ないかもしれないが、そんな作りでは話に変化をつけられない。必要によっては2回以上変身したい場合もある。
それでも必ず先述した縛りをやらねばならないなら、ドラマに割くべき尺が犠牲となり、演出的なメリハリが減ってしまうことになる。

今回の話で言えば、最初のキョダイマックス2連発である。
話の展開からして「キバナとダンデが事態を収拾した」ことは肝ではなく、さらっと流しても問題がない所だ。
にもかかわらず2頁ぶち抜きのコマで描かれており、目を引くようになっている。
連載漫画として最初に読者の目を引く構図を用意しておくのが大事なのは理解できるし、その方法としてこの構図を選んだのは納得できる。
しかし、そのせいで丁寧なバトル展開やドラマに割くコマが減っているのもまた事実だろう。
さらに、話の肝であるムゲンダイナ登場シーンは2頁見開きと大きな扱いを受けているにもかかわらず、直前のキョダイマックスの頁で印象が薄くなっている。
このように、この見開きだけで様々な問題が出てしまうのがダイマックスの漫画化であり、ポケスペ剣盾編の苦しさの一因だと自分は考える。

今更な話だが、ダイマックスを極力取り扱わない話作りにした方が、ポケスペらしさという点や漫画の作りという点で、より良いものになったのではないかとすら思える。
無論、ダイマックスは剣盾というゲームを構成する柱なので、簡単に無視することはできない。仮にそうなったとしても相当慎重な話作りが求められるだろう。
ただ、今回のような問題が多く出てくると、合わないものを無理に漫画として調理するのはかなり困難だったと改めて思わざるを得ない。


またどうも気になるのが、今後どのぐらい連載を続ける予定なのかということ。
LEGENDSの制作にリソースをかなり使ったゲームフリークが、2022年内に世代交代をするとは考えにくいため、2023年まで新世代は持ち越しとなるだろう。
となれば、剣盾編の連載期間も1年伸ばすことができ、もっと腰を落ち着けた展開ができるものだと11月までは考えていた。
ところが、12月・1月ではかなりの速度で展開が進んでいき、挙げ句単行本4巻の次巻予告には「クライマックスバトル」とまで銘打たれてしまった。

単行本5巻は2022年7月に出るのだろうが、まさかそこで終わりということは有り得ないと考えたい。
正直な話、色々ドラマ面で消化不良感が強いのに、途中で終わりとなったら辛いとかそういう次元ではない。
LEGENDS編をやるかやらないのかも含め、3月には今年の方向性が見えればいいのだが…。

※2/17追記
XY編先行版単行本4巻において、次巻予告に「クライマックス」と銘打ってはいる。
なので、これらの憂慮は杞憂に終わる可能性も十分にあると明記しておきたい。

記事をお読みいただきありがとうございました。
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「大怪獣のあとしまつ」感想

2022-02-05 16:57:00 | 特撮
Twitterを見られている方はご存じかもしれないが、自分は特撮好きである。
そのため見る映画は基本特撮映画で、東映の映画の比率が高い。
本作の予告編はこの関係でよく見ており、松竹と東映がタッグを組むという意外性、更に怪獣を扱うという話題ゆえに気にかけていた存在だった。
もちろん、「倒したあとの話」ということは事前に分かっていたので、劇的なドンパチは端から期待していなかったし、死体処理をめぐって右往左往する様を描くならギャグ方面に流れることも予想はできた。
またウルトラシリーズには同様のネタを扱った「怪獣の出てきた日」や「見えない絆」という佳作があるので、そこから映画スケールにどうネタを広げるのかという期待はしていた。

だが、公開当日のTwitterにて多数観測されたのは特撮ファンによる酷評であった。
多少気になっていたとはいえ、ここまでの酷評は中々に見ることができないものであったため、ならば逆に見てみようという気になってしまった。

結果、自分はあまりにも低級なギャグと、クオリティの低い特撮と、グダグダ極まるシナリオに苦しめられる2時間を体感することになった。

ならば、どこが苦痛だったのかを表現するのが文字書きとしての最大限の報復といえよう。
先述した三点に絞って話を進めていくことにする。


以下、ネタバレになります。






低級なギャグ

まず、怪獣という存在は現実にはいない。それを出すからにはどこまでがリアルで、どこからが嘘なのかをしっかり線引きしなければならない。
その点について、本作では自衛隊は登場せず、「国防軍」と「特務隊」が怪獣との戦いに従事したことになっている。
ここは設定でのリアリティラインをかなり下げる設定ではあるが、そこに出てくるメンツが揃いも揃ってコメディ寄りで共感に欠ける上に、作中の視点がぶれまくっているため、映画に必要な没入感が一切感じられない。
没入できない状態でギャグを繰り返されても、基礎を固めずに建物を作るようなものであり、上滑りという感覚がとても強くなってしまった。

そして、本作のギャグの大半は下ネタである。
下ネタでも笑えるものはあるだろうが、本作の大半が直接的なネタばかりなものだから、「よくこんなことを記者の前で言って政治家が務まるな」という気分にならざるを得ない。
特に環境大臣が転落して突き刺さるシーンと、モザイクのシーンは直視に耐えなかった。あまりにも辛い。
風刺ギャグもあるにはあるのだが、それすらも笑えるラインには達していない。
没入できない展開に合わないギャグを連発されたものだから、あまりにも低級なコメディとしか個人的には言いようがないのである。

あとこれは本質に関係しておらず、かつデリケートな話題なので直接書くことは避けるが、シン・ゴジラが匂わせる程度で済ませていたものをガッツリ描いているシーンがある。
個人的には、ギャグとしても許されないラインに一歩踏み込んでいるのではないかと思わざるを得ない。
そもそも、リアリティのラインを引き下げているなら無理に出さなくてよかったのではないか。しかも三度も。


クオリティの低い映像


次に触れておきたいのが、映像としてのクオリティである。
本作はリアリティの低さが目立つのだが、それを補えるだけの映像の面白さがあればまだ良かったのではないかと思う。
しかし実態は、映像としての面白さすらもない。

まずは怪獣について。
勿論、若狭新一氏による造形は悪くないのだが、死体として映るシーンしかない。
無論仕方ない面もあるのだが、如何せん封鎖地域というだだっ広い野原に死体が転がってるシーンしかないので、怪獣に必要な「日常の破壊」という部分が全く描けていない。
どうせなら東京のど真ん中で死体として転がってた方が絵的に面白かったはずだし、なによりシン・ゴジラのパロディとして良質なものになったはずだ。

そして、輪をかけて問題なのが各種作戦の描写だ。
どれも映像として面白いものを作る!という気概に欠けているような代物で、「え、これで終わり?」という感覚に終始苦しめられた。

最初に描かれた国防軍による冷却作戦は、失敗すること前提のものだったので、描写が簡単でも仕方がない面もある。
ただそれにしても、凍結した死体の絵を出すだけで終わりというのは酷い。
一方向からの視点のみでマルチアングルすらないのだ。個人的にはあまりにも手抜きな画作りとしか思えなかった。

次に描かれた特務隊によるダムバスター作戦。これが本作における主人公サイドメインの作戦といえるのだが、こちらも映像は手抜きとしか言いようがない。
ダムに光でグリッドを引いて爆薬を仕掛ける映像や、濁流が怪獣にかかる映像自体は悪くないのだが、肝心のダムが崩壊する映像がないのである。
策略でダムの構造計算に失敗し、爆薬が足りず水がチョロチョロ出るだけという映像はある。
それなのに、結果としては下流に濁流が行くにもかかわらず「爆破に成功して見事ダムが崩壊!」という映像がないのだ。
たとえその結果が失敗だったとしても、笑いを造るために一時的な話の熱さは必要なはずだと、個人的には思う。

最後の排煙作戦はミサイルを迎撃する、という一捻りが加わっていたので前二つよりはマシだったが、それでも映像としては動きに欠けるものであった。
総じてどれも、作戦をやるというワクワク感がまるで足りない。
個人的な感覚だが、ギャグとして失敗した結果を見せたいなら、そこに至るまでの部分で盛り上げておく必要が十分あるのではないか?
映像面でその辺の盛り上がりを得ることは、自分はできなかった。


グダグダ極まるシナリオ


最後にシナリオだが、男女関係が主軸ではある。
それ自体はさしたる問題ではないが、キツいのはキャラクターがことごとく魅力に欠けることだ。

まず主人公の帯刀アラタは、最後の最後で光の巨人であるという重大な秘密が明かされるためか、彼自身の内面は全く描かれていない。
この問題があるせいで、確かに要所要所では活躍をしてるし面白いことをしているものの、彼に対して感情移入することができなかった。
またコメディの主人公ならボケかツッコミのどちらかはやってもらわないと困るのだが、彼はどちらもしない。そのせいで余計に没入感が得られなかった。
どうしてこの主人公で良いと思ったのか、製作陣を問い詰めたい気分である。

雨音ユキノと雨音正彦は、確かにこの作品の中では数少ないまともなキャラである。
しかし、彼らは異常な行動をする他のキャラに対して何もツッコミを入れない上に、平然と不倫をするものだから、やはり感情移入が難しい。
特に後者は独自の思惑で動いている面もあるせいで、余計に何を考えて行動しているのか分からなくなってしまった。

そして、特務隊関係者(とブルース)以外の大半のキャラは倫理観がおかしいとしか言いようがない。
画面に出る度に下ネタショートコントを繰り返す(上に面白くない)ものだから、単なるストレス要員である。

このような魅力に欠けるキャラクター陣に、シナリオ展開の稚拙さも追い討ちをかける。
複数の視点で二転三転することで情報量を増やすという手法は嫌いではないのだが、如何せん出てくる情報が薄味な上にリアリティに欠けているから、方向性がぶれているようにしか思えない。
特務隊が首相直属で国防省配下の国防軍と権力争いをしており、そこに環境相が個人的思惑で引っ掻き回そうとするという、政治ドラマの筋書き自体はコントとしても良さそうなのに、設定とキャラにリアリティが無さすぎて全てが台無しにされているのだ。
これなら、話の視点を一つに絞った方がまだマシだっただろう。

しかも、話が前に進まないまま最後は「デウス・エクス・マキナ」の登場で死体を空にはこんで終わる。
あまりにも予想ができた上に悲惨な落とし方で、ここまでの努力を全て台無しにするものであった。
コメディだからでは許されないと、個人的には思わざるを得ない。


最後に


パンフレットによれば、covid-19による撮影中断の影響があったらしいことはわかる。
しかしそれを差し引いても、あまりに酷い代物であったとしか個人的には思えなかった。
ただ、オリジナルで怪獣映画を撮ったという松竹と東映の気概だけは評価して、本作に対する「あとしまつ」を終えることとする。


記事をお読みいただきありがとうございました。
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