JRに乗って遠くばかり歩いているようですが、地元江別も歩いています
今回は以前江別を歩いた様子をお知らせしてみます
出発は江別駅、昔は野幌に耳鼻科が無くて外耳炎になった時に江別の佐伯耳鼻科に通った思い出が
有ります。元気にスタートです。
石狩川の方向に歩いて鉄橋が見えるところです。むこうに見えるのは王子製紙、地名が王子の所がある
くらい江別には関わりが大きな企業です。
江別の踏切、ここは函館本線 札幌⇒旭川間の途中に位置しているので
色々な列車が通ります、写真撮影スポットのひとつです。
危険な場所での写真撮影は止めましょう
ここは四季の道、江別の中では好きな道のひとつです、途中火力発電所
が昔あったところを通るのですが、タービンとか石炭を運ぶトロッコと
か展示されています。蛍を保護している所もあって夏は蛍が見ることが
出来ます。昔は私の家の横の所でも蛍は見ることができました
少し歩いて旧町村牧場、町村家は江別の名家で江別の発展に
色々関与してくれています。昔はここに牧場があったけれど
今は住宅地になってしまいもう少し遠くに引越しして今は展示場と
住宅になっています。元北海道知事 町村金吾さんはここで
国会議員、町村信孝さん もここの人です。
他にも江別には屯田兵を先祖に持つ湯谷家や湯川家があり厳しい自然を
克服して開拓した歴史をもっています
銅像アップです
昔の江別電報電話局です、昔は小さな市や町にも電報電話局は
ありました。
駅前に戻ってきて江別小学校の傍にある昔の火薬庫、屯田兵が入植した当時のもので
現在も保存されています。江別に屯田兵が入ったのは明治11年、野幌は遅れること
7年、明治18年でした。小学校のころ、めいじ18鳥のとし~♪ 西の極みや山陰や~♪
北陸よりも移り越しぃ~♪ 我がのっぽろのぉ~♪ ◎※×△むらぁ~♪と歌を歌わされたので
記憶にあります
内容は明治18年酉年に西の極み(熊本地方だと)と山陰地方、北陸地方から屯田兵として
野幌に入植し、苦労して開拓して野幌の村を作ったという歌だったのですね、当時は意味が
解らないまま音として歌っていました。野幌で小学校時代を過ごしたかたは記憶にあるかも
しれません。丁度私が記念式典の年にいたからかもしれません
江別市は 江別地区と野幌地区、大麻地区の3つに大きくわけらています。
次回は野幌、大麻の散歩を紹介しますね
今は内地で働いています。
開拓の村のニュースをみて、不意にこの音楽が流れてきたので調べてみました。
http://tonden.org/wiki/index.php?title=%E9%87%8E%E5%B9%8C%E5%B1%AF%E7%94%B0%E5%85%B5%E6%9D%91%E9%96%8B%E6%9D%91%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%AD%8C
屯田兵のwikipediaみたいなものがありました。この作詞を作った桐野彦二の縁故者が鹿児島とあるので、西の極は名前の通り、鹿児島ではないでしょうか。単純に歌に合わせて、九州地方をそう呼んだのかもしれませんし、当時の廃藩置県の区分によって難しかったこと、琉球藩の存在も影響しているかもしれません。
今後もブログ楽しみにしています。