ミスター八丈島日記

ミスター八丈島日記

子ども食堂をやろうと思った訳

2023年10月13日 06時28分58秒 | 子ども食堂

中学生の時進学問題で将来の職業について考えた。

 

ホントは バカボンのぱぱのような植木屋が良かった。

ホントなんだが、植木屋がやりたかった。

 

中学生で植木屋? そういう発想を持った子供だったことは確かだ。

先生や親に言ったら いい顔はしなかったので

きっと植木屋はみんな賛成していないのだと思った。

 

とりあえず高校へ進学しろという周囲のへんな考えによって

俺も高校か・・・・と思ったりもした。

 

普通科? へ行くことが周囲の殆どの同級生の進路だった。

 

俺? やだな? みんなと同じことをやるのは嫌だ!

そんな中学生だった俺も 資格が取れれば 高校にいってやってもいいぜ!

ってなスタンスで 片親で小さい時から家でご飯を作ったりしていたもんだから

料理にはかなり興味もあって、高校3年間行けば調理師免許がもらえるっていうことで

都立高校へと進学した。

偏差値は高く 女だらけのクラスだった。

 

仲良く3年間を過ごし 部活などもやりつつ グレたりもして

人並みに高校生活を頑張った。 いや 頑張らずテキトーに卒業できた。

きっと俺は優秀なんだと 勝手に思ったりしてた。

 

遅刻して登校し 悪ガキどもと雀荘へ行き 午後はパチンコして

夕方からバイとして・・・。

だからとっても有意義な高校生活だった。

 

タバコ? 当たり前じゃん!

 

そんなこんなで調理師免許をひっさげ

ホテル関係は全部落ち

銀座の優メイン老舗高級レストランに入ることが出来た。

その後5年間 働き 真面目に転職して 今度は中華料理に。

そして渋谷でバイトしたり 青山に住んで バイトの掛け持ち3軒やって

モデル事務所に居たりして 楽しくし俊を送っていた。

 

新宿で働いたり渋谷に戻ったりしている中で

軽井沢を中心にお延ションの雇われオーナーとして7軒営業した。

八丈島に来たのは26歳の時 ダイビング初めてイントラ取って

独立し 頑張った、 お土産屋もやって 面白かった。

クラブはハウスや 宿泊関連もやって 八丈島のポイント開拓にいそしんで

インターネット時代の幕開けと共にいち早くHP開設や YouTubeチャンネル作って動画公開

ポイントマップもいち早く作って公開した。

38年住んで もうダイビングは体力的に、年齢的に 疲れるし めんどくさくなってきた。

事故のリスクをこの年で抱えて仕事していくには 来年高齢者の俺には めんどくさい。

 

というわけで 残りの人生何ができるか? 何をしようか?

 

年金もらいながらテキトーに暮らして 漠然と 飲食だろうな?って思ってた。

 

続く



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