一句鑑賞

義兄の訃報でした

先々週に覗いてきた「JAにじ」耳納の里へ行ってきました。うきは市吉井にあります。

お値段も写ってますが、チーズケーキ。

美味しいと聞いていたもので、それともう一度、施設をゆっくり見学したかったので。

他に大根、里芋など買ってきました。

いい所ですね・・・近ければもっといいのですが。

里芋の煮っころがし、できました。美味しかった・・・

 

にじ、ですが・・・未来への懸け橋ともとれるネーミングですね。

うきは市からR210を下ると日田市に入ります。その日田市から南阿蘇方面への国道を南進すると・・・

合併前は大山町に入ります。

もう50年ほど前になるのかな?私が20代のころに新聞連載でしったのはその頃でした。

大山町は町を抜ける国道を走っていて分かるのですが、左右が山。その間を流れる大山川・・・あとは傾斜地です。いわゆる平地で稲作とはいかない土地ですから、収入の糧がない。

お名前はとっくに忘れておりますが・・・一人の方の呼びかけ実践から始まった、運動というものではなく・・・意識を変えて取り組めば小さなものを作っていても、誇りをもって取り組めるし、それが町の人々の元気の源になる。・・・これは今、私がそうっだたのではと推し量って書いていることです。

「梅栗作ってハワイへ行こう」の有名な言葉を実践されたわけです。

今は日田市と合併してますが、日田市から212号線を大山町に入ると、道路左手に看板がありました。

「瞳は未来へ」と書かれた看板の誇らしさはなんとも言えませんでしたね。

もう20年ほどこの道を通っていません。

大山町に入って直ぐ右手に、30年近く前から「木の花ガルテン」という施設がありました。梅をメインとした品々の販売や地元産野菜肉などのちょっとお洒落なレストラン?とても人気がありましてとても賑わっておりました。今もそうだと思います。

 

大山町をなぜ思い出したかというと、今日行きましたJAにじ耳納の里に行ったかkらです。虹の先には未来があるなと考えたら・・・瞳は未来へをすぐに思い出しました。

木の花ガルテン、十年以上行ってませんね。いつか阿蘇方面へのドライブなどできるようになれば寄りたいものです。


 

9時過ぎに、これを書き始めたら訃報が入りました。妻は5人姉妹の末でしたが一番上の姉(故人)の夫の訃報です。90才・・・義姉を亡くした後も独り暮らしを続けていました。娘二人が、かわるがわる世話に帰郷していました。一人は関西、一人は近いと言っても、自宅から実家まで片道2時間近く週に二日ほど世話に行ってました。

亡くなる前の状況を電話で訊きますと・・・2週間ほど前に娘がいつものように行くと状態が悪いので直ぐに病院へ・・・翌日に脳梗塞、数日は会話ができるようになって一息ついていたが、本日。

義兄さんは長女の旦那さん、私は末娘の旦那。女5人の姉妹寄りにそれぞれの連れ添いが集まる訳ですが、そんな場でも私を可愛がってくれました。

明日の通夜の時間場所を確かめて電話を切りました。明日の予定を組み替えました。

数か月前に私の所へ娘夫婦孫と訪ねて来たのが嘘のように思えました。

水分不足ではなかったかと姪に聴きますと・・・うん

とにかく明日。

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