防災の日。
季語としては、震災記念日・震災忌ですね。
テレビでは報道番組やらなにやら?で震災のこと、それへの備えなどにぎやかに放送しています。注意喚起としては宜しいかと思います。
もし直下型地震が東京で起こったら、想像するだけで怖いです。火災の発生が一番の恐怖となるでしょうね。とくに交通量の多い道路は、火の海となり緊急車両も通れないし、人が歩いて避難もできないでしょう。
つい先日に起こったあるパチンコ屋の駐車場での車両火災を思い出してください。数時間のうちに100台ほどの車が燃えたのです。
100年前は車はほとんどありませんでした。当時は木造家屋ばかりであれだけの犠牲があったのです。
もし道路の車列が燃えだしたらと考えるとぞっとしますね。コンクリートの建物だから大丈夫と思っていても、道路の車火災でビルは蒸し焼き状態となるでしょう。考えるだけでも恐ろしいですね。
素人の提案と笑ってください。一家に一戸に一本の消火器を!
なにも自宅火災じゃないのです。道路の車が燃え始めたというときに役立てましょう・・・全ての家屋に備わっていたら、被害も何分の一程度に抑えることも可能かと・・・と心配しております。
さて関東大震災から4年後に、私の祖父母と母は池袋に行きます。
復興最中、人も物資も不足の東京・・・祖父は東京の保険会社の求人に応募したのです。当時、小学教師でしたが首都の復興ということで行ったと思います。震災から4年、母の話によると・・・まだまだ大変な状態だったそうです。
そしてまた戦争での大空襲の火災による多くの犠牲。戦後の復興と続きますが・・・今の世を享受している我々は、どこまで芯からの心配と対応をしているのでしょう。せっかくの報道番組も上滑り感をぬぐえないのです。
一家に一本の消火器、あれば最低限の備えとなりそうですが、強制となるととやかく仰る人もいますからね。自己で備えるだけでしょうかね。肥大してしまった都市というのはいろんな問題があるんでしょうね・・・半分田舎暮らしですから、こんなこと書けますけどね。ご用心してください。
歳時記の例句に
路地深き煮物の匂ひ震災忌 平川雅也
が目に留まります・・・震災から何年くらい過ぎたのでしょう、路地の奥から煮物の匂いが、あ、この人たちは無事だったんだ、身を寄せ合って夕餉が食べれてよかったと感じたのでしょうか。復興は人々の助け合いですね、そんな気持ちを確認するだけでも備えとなるのかもしれないですね。