一句鑑賞

六三郎の手

昨夜からの強風と雨で水仙はこの通りです。

今日も風は強かったですね・・・瞬間的には台風並みでした。三度ほど強烈に吹きました。

低気圧が過ぎての北西風です、気温も下がりましたがいわゆる寒気団ではありませんので、寒いというほどではありません。ほんと寒くない冬ですね。

明後日は今年二回目のオフですが、福岡県庁の講堂だったか、ハサップに沿った食品衛生管理の講習に行きます。前回は飲食業対象でしたが、今回は製造業対象です。

県庁の在るところは、昔は東公園と言ってまして所々に松の木があり、昔の千代松原の名残があった所です。

そこに日蓮上人さんの銅像が建っています。元寇の乱のときの様子が台座にレリーフされています。そのレリーフの型を起こしたのは私の曾祖父で白水松月と銘を刻んでおりますが、実際の名は六三郎といって博多人形中興の祖と言われる人物です。弟子には小島与一など一世を風靡した人形師たちがいました。

当時の博多、今の呉服町辺りに人形店がありました白水人形店です。六三郎は石膏型を起こして人形の量産を始めたのですが、人体の造形を学ぶために九大の解剖へも足を運んで学んだそうです。

実は六三郎の先代までは黒田藩の言うところのご典医でした。今の下呉服町に大きなH病院がありますが、私が40代のころちょっとしたことで入院しました・・・病院の待合室に掲げてある額に目が留まりました。

そのH様のご先祖様が長崎での蘭方医学終了証だったか、その中に白水の先祖の名が並べて書いてありました。驚きましたね・・・で、六三郎にも医者になれとの仰せがあったのですが・・・とても自分には無理だと人形師の勉強を始めたのでした。ここが現在の博多人形の始まりだったと言えば大仰かもしれませんが、人形師になろうと決意した六三郎がいなければ今の博多人形は無かったのではないか。

六三郎の人形師としての遺業はいろいろとありまして、博多山笠の山笠(やま)人形作りは当然ですが、大正皇后様へ人形を献上しております、これには後日談がありまして・・・・献上した人形は月日がたてば色も褪せます、皇后さまからもう一体同じものを所望されたそうです。こういった特別な作品を作るときは身を清めて弟子たちの作業場とは隔離された部屋にこもって制作したそうです。

山笠の人形を作るときも身を清めますが、献上品を作るときは別格で、弟子たちと一緒に食事をしていましたがその間は、全く人を寄せ付けずに籠っていたそうです。これは祖母(六三郎の次女)から聞いた話です。今も皇居のどこかに収蔵されているのでしょうか・・・?

それからパリの万博にも出品しておりまして、たくさん売れたのでしょう・・・当時、祖母たちがびっくりするようなお金が送られた来たとか話してました。

私は子供のころから六三郎の長男(家業は継がなかった)の家に行った事がありますが・・・山笠の山車の下絵を何枚も見ました、またいろんな話を聞きましたね・・・

その六三郎の作品が一つだけわが家にありますが、宝船です。七福神が帆掛け船にふくよかなお顔をして乗っているのです。価値?これは無いです、私どもに在ればこその価値ですから(笑)

昨今の人形は現代風といいましょうか、時代流行にそった顔立ちが目立ちます。それはそれで時代を照らすものでいいのです。がちょっと寂しい気もしております。

 

東公園の県庁の話しから頭に浮かんでくることを書いて終いました。さてタイトルは?

曾祖父は六三郎、料理の鉄人も六三郎・・・(笑)

さて俳句を作ります。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事