一句鑑賞

初紅葉

夕食を済ませCSシリーズのパの方を見ていたらぐっすり眠っていた・・・疲れている。

でも今日はオフで、お米を買っとかないとと筑前町みなみの里へ出かけました。

そして「あきづき市場」へ鴨めしを求めて足を延ばしました。

とりあえず写真を・・・記事は頭が働きませんのでまたに

お米とレタスとピオーネと・・

以下、秋月を気分転換に歩きました

秋月には空き地が多いです。昔は武士の家があったのでしょう。

紅葉が始まっていました。秋月を歩き気分転換です。

週末も忙しいので、また来週!

コメント一覧

一句
降伏
間違ってましたね
一句
支藩ですね
こんばんは kohさん
秋月藩は福岡(黒田)藩の支藩です。場所は地理的に重要な場所でしたが、今は里山の感じで鄙びておりますね。

重要な決定事項などは黒田藩の意向(徳川幕府)が反映されていたと。
出島の管理というんですか、出入国する船と積み荷のチェック?・・・記録を佐賀(鍋島)藩と隔年で黒田藩がしていたのですが、実際は秋月藩から人を出させていたそうです。
親藩の力は絶対ですからね・・・葉室麟の小説「秋月記」などから知識を得ました。
そう言えば佐賀市に鍋島藩の資料を展示している所がありまして、その資料の中に船のスケッチなど見事なものがありました。

黒田節は、黒田藩の猛将、母里太兵衛(もりたへい)が長政の使いで福島正則のところに行き、無理矢理に酒を強いられ、その大盃に注がれた酒を飲み干し、正則が秀吉からもらった日本一の槍を頂戴したという逸話からです。

秋月には長政の母?妻?だったか忘れましたが菩提寺があります。

とにかく今は静かな所です。年に二回、桜と紅葉のときは賑わいますが(笑)
黒田家は出は湖北の方かもしれませんね。官兵衛ゆかりの地かも?

秋月藩は秀吉の時代には、薩摩と懇意にしていました。秀吉の九州征伐のとき・・・秋月の三人だったか武士が、秀吉軍の偵察に行って、あまりの強大さに驚き藩に戻って幸福を諫言したのですが聞き入れられずに弱虫と言われたそうです。薩摩がついていると思ったのでしょうね。

それでその武士たちは大きな石の上で腹を切った・・・という話もあります。これは実話ですね。
長くなりますのでこの辺で・・・( ´艸`)

koh
寒くなりました
お忙しい毎日をお過ごしのことと思います。
そんな時にこの写真のような所を訪ねれば清々しい気持ちになりそうです。
秋月藩は、名前からして風情のある感じですね。
黒田氏ですか?黒田節もこの辺りが発祥ですか?
こちら、琵琶湖の北部に黒田氏ゆかりの場所がありますので一度行ってみたいです。

朝採りの葡萄、この辺ではお目にかかれません。うらやましいです。

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