ハイナンNETの日常

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小桃あまーのお葬式に行ってきました其の2

2016-02-22 20:31:55 | メンバーのつれづれ
屏東で宿泊したのはここ→http://space.homi.cc/



一階がカフェになっていて二階が作業場で三階が宿泊スペースになっていました。


屏東駅から徒歩10分ほど。
食べ物屋さんはないですが、駅からそんなに遠くないし、Ho覓の隣の建物の一階が日本語教室でした。

屏東駅周辺ってあんまりホテルとかないイメージだなと思っていて、ふとAirbnbでHo覓を見つけました。
前日ということで、ちょっと焦って電話すると「えー明日!!」と言いつつ、了承してくれて、
私の疑問に丁寧に答えてくれました。

台湾のしかも南部のお葬式に参加するのは初めてでちょっと不安があったのでいろいろ聞いてしまいました。

Ho覓に到着したときに鍵をかけ間違えるという事件があったのですが、遅い時間なのにしかも妊婦なのに鍵を
開けに来てくれたり、お葬式後のお浄め用の塩まで用意してくれて屏東にこんな素敵スポットがあるのをもっと
早く知ってたらなと心底思いました。


次の日の朝、Ho覓のスタッフの一人が葬儀場まで送ってくれることになりました。

しかし久しぶりに屏東に帰ってきたという彼のモーターチャーは故障中で時間がぎりぎりだったということも
ありタクシーで行くことになりました。(その後彼もなんとかモーターチャーの調整に成功し、合流。
あまーのお葬式に関心があるということで仕事に行くまでの時間あまーのお葬式に列席してくれました。)

8時半開始のところ、8時半を少し回ってから到着した葬儀場はなんだかとても物々しい雰囲気。
式が始まってから到着した私たちに警察官たちが職質を繰り返します。
それもそのはず、私たちが到着したときにはすでに馬英九総統があまーに対する致詞を行ってたのです。

http://www.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20160120/779227/

警官と記者が多いわけだ。
人が多くて私からは馬総統の顔は見えなかったのですが、選挙が終わったばっかなのによく来たなーとぼんやりと
思いながら彼の声は聞こえていました。
彼の言葉にというわけではないのですが、ぼんやりしていたら小桃あまーとの時間を思い出して、ちょっと涙ぐんでしまいました。
若い警官はそんな私を見て驚いた顔をしました。
いやーお葬式なんだから普通泣くでしょ。。。
(実際がち泣きしてたのは私と婦援会のスタッフのりーふぁんだったことに勝手に少しさみしさを感じたりしてました)



馬総統の致詞が終わると警官と記者たちがすーっとひいて思いのほかこじんまりとした式が始まりました。
受付で書いた名前がよばれ、果物が入った籠を頭の上で二、三回あげ、親族にお辞儀をして席に戻ります。



うまくできるかなーとちょっと緊張していたら自分の名前が呼ばれ、しかし日本のという言葉がついたからか、
同じ便できた台湾のあまーたちの裁判支援から始まりその後もずっと台湾を訪れている方が出ていってしまったのですが、
まーいっかということで二人で日本でいうお焼香をしました。

ちなみに台湾のお葬式は日本のように絶対喪服で!!ということはなく深い色の服ならオッケーという感じで、
黒い服を着ていたのは私たち日本人二人のみでした。
楽器部隊のひとたちが時折演奏していましたが、知らない曲ばかりでした。

親族のひとたちは三角巾みたいなものと白い服を着ているのですが、式が終わったあとに声をかけられるまで、
そのひとが誰か全くわかりませんでした。
私も何度か会ったことのあるあまーの養子の男性だったのですが、とても痩せて外見が変わっていて、
もしかして?と思ったものの、まさか彼だとは・・・

後ろ髪惹かれる思いでしたが、あまーの火葬には親族以外誰も行かなかったため、そういう習慣なのかなと思い、
行きませんでしたが、あとでそれでも着いて行けばよかったなと思いました。。。

そのあと、婦援会の面々とあまーのおうちに行きました。
葬儀場からあまーのおうちが歩いてすぐなことに私は全く気付いていませんでした。

あまーのおうちに着くとあまーとここで過ごした時間が鮮明に蘇ってきて、あまーの不在を強く感じました。

あまーが座っていた机。開封していない公共料金の封筒が何枚も置いてありました。


あまーが使っていた食器。これであまーが作ってくれたご飯を食べたことがありました。


あまーは馬総統が大好きでした。
彼が来てくれたことをあまーはきっと喜んだでしょう。
彼の母親はあまーと同世代。
あまーに会いにきていたことは政治的なパフォーマンスだけではなくあまーとの交流が彼の心に灯したもの
があったからこそだと信じたいな。。。



あまーのお店の看板は今年迪花街にできるあまーたちの博物館で飾られるそうです。
あまーがずっと見ていたテレビももうずっと前になくなっていました。


今回は結構急きょ決めて弾丸で行ったのですが、こんな突然決めて行けるくらいの行動力を発揮できるなら
あまーが生きている間にもっと屏東に行けばよかったなと思いました。
それは海南島に関しても言えることなのですが。

「あまーたちが亡くなってどんどん訪ねる場所が少なくなっていく」とあまーに寄り添ってきた彼女の言葉を
思い出しながら、私は次屏東に来る機会は果たしてあるんだろうかと帰りの高鐵の中で嘉義の風景を見ながら考えました。




とりあえず終わり

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