こんばんはヽ(・∀・)ノ
すごーくお久しぶりな I です。
きょうは最近みてきた映画の感想をば。
土井敏邦監督『“記憶”と生きる』。
http://www.doi-toshikuni.net/j/kioku/
ちょっと前にも紹介させてもらっていました。
いま、渋谷のアップリンクで上映中。
みなさん、もうご覧になりましたか?
物語は1994年12月、当時ソウルにあった「ナヌムの家」からはじまります。
土井さんのこのコラムを参考にしながら、あらすじをちょっとだけお話ししますね。
http://doi-toshikuni.net/j/column/20150520.html
そもそものきっかけは、広島で被爆された方のひとことだったのだそうです。
彼女は「イアンフ」被害をうけた女性たちに会いたいと願いました。
けれど、ドクターストップがかかり飛行機に乗ることができない。
ならば代わりに会いに行こう、その姿を見せてあげよう。
こうして、慣れないビデオカメラを手に「ナヌムの家」を訪ねたのでした。
それから1997年1月までの2年間、撮りためたテープは100時間を超えてしまうのだとか。
この映画のハルモニたちは、いまはもうお会いすることが叶いません。
けれど、スクリーンのなかの彼女たちは60代。
もうすでにからだが思うように動かなくなっていたとはいえ、いま振りかえればまだ、お元気だったころ。
ため息がでます。
わたしもじつは、この映画のハルモニたちにお会いしたことがありません。
けれど、何気ない彼女たちの仕草をながめるうちに、とても他人とは思えなくなってくる。
不思議です。
白粉をして、髪をとかす。
ちりをはき、繕いものをする。
草をむしり、山菜をつむ。
キムチをつける。かゆを炊く。
まるで、20年の時をさかのぼって彼女たちに出会ってしまったというような。
そんな気がしてきます。
この「出会った」という体験は、きっとわたしの原点の一つになるだろう。
そして迷ったときは、ここに戻って見つめなおすだろう。
そんなことをいま、思っています。
おととい、いわゆる「戦争法案」が衆議院を通ってしまいました。
この悲しさと、悔しさをどうしてくれようか。
じつは自分を見失いそうになりました。
やり場のない悲しみや悔しさというのは、もてあますと本当にたいへん。
ふとしたときにへたりこんだまま、しばらく起きあがれなくなってしまったり。
何もかもがどうでもよく思えて、心をくだいていたことにも気もちを向けられなくなったり。
かと思えば、頭が妙にさえわたって寝つけなくなり、そのまま朝を迎えてしまったり。
つまらないことでいら立っては、大切なひとを傷つけそうになってしまったり。
こんな風になる方ばかりではないでしょうが、わたしのからだはそういう反応をしたのです。
このるつぼからすくい上げてくれたのが、映画で出会ったハルモニたちの姿でした。
まだあどけない少女だったころ、ハルモニたちはすさまじい性暴力にさらされます。
心と体に負った癒えることのない傷は、ことばに尽くせない痛みと苦しみを彼女たちにもたらしました。
さらに言えば、彼女たちはその傷について、語ることも助けをもとめることもできなかった。
そのトンネルは気が遠くなるほど長く、何十年にも渡ることになります。
大人になり、年を重ねても、彼女たちの記憶は閉ざされたまま。
勇気ある告発によってこの沈黙が破られたのは、1990年代になってからのことでした。
どれほど辛かっただろう。どんなに悔しかっただろう。わたしにはとても想像ができません。
ひとつだけわかるのは、彼女たちがつよく、そのすさまじい体験を繰り返してほしくないと願ったということ。
こんな思いは自分たちで終わりにしたい。子どもたちにはかならず平和な未来を。
ほかの誰のためでもなくわたしたちのために、彼女たちはそう願ってくれました。
やるせない思いがあるなら、彼女たちの悔しさに思いを馳せよう。
彼女たちがわたしたちに願ってくれたように、わたしもきっと平和を願おう。
彼女たちの姿がどうか多くのひとたちを勇気づけてくれますように。
すごーくお久しぶりな I です。
きょうは最近みてきた映画の感想をば。
土井敏邦監督『“記憶”と生きる』。
http://www.doi-toshikuni.net/j/kioku/
ちょっと前にも紹介させてもらっていました。
いま、渋谷のアップリンクで上映中。
みなさん、もうご覧になりましたか?
物語は1994年12月、当時ソウルにあった「ナヌムの家」からはじまります。
土井さんのこのコラムを参考にしながら、あらすじをちょっとだけお話ししますね。
http://doi-toshikuni.net/j/column/20150520.html
そもそものきっかけは、広島で被爆された方のひとことだったのだそうです。
彼女は「イアンフ」被害をうけた女性たちに会いたいと願いました。
けれど、ドクターストップがかかり飛行機に乗ることができない。
ならば代わりに会いに行こう、その姿を見せてあげよう。
こうして、慣れないビデオカメラを手に「ナヌムの家」を訪ねたのでした。
それから1997年1月までの2年間、撮りためたテープは100時間を超えてしまうのだとか。
この映画のハルモニたちは、いまはもうお会いすることが叶いません。
けれど、スクリーンのなかの彼女たちは60代。
もうすでにからだが思うように動かなくなっていたとはいえ、いま振りかえればまだ、お元気だったころ。
ため息がでます。
わたしもじつは、この映画のハルモニたちにお会いしたことがありません。
けれど、何気ない彼女たちの仕草をながめるうちに、とても他人とは思えなくなってくる。
不思議です。
白粉をして、髪をとかす。
ちりをはき、繕いものをする。
草をむしり、山菜をつむ。
キムチをつける。かゆを炊く。
まるで、20年の時をさかのぼって彼女たちに出会ってしまったというような。
そんな気がしてきます。
この「出会った」という体験は、きっとわたしの原点の一つになるだろう。
そして迷ったときは、ここに戻って見つめなおすだろう。
そんなことをいま、思っています。
おととい、いわゆる「戦争法案」が衆議院を通ってしまいました。
この悲しさと、悔しさをどうしてくれようか。
じつは自分を見失いそうになりました。
やり場のない悲しみや悔しさというのは、もてあますと本当にたいへん。
ふとしたときにへたりこんだまま、しばらく起きあがれなくなってしまったり。
何もかもがどうでもよく思えて、心をくだいていたことにも気もちを向けられなくなったり。
かと思えば、頭が妙にさえわたって寝つけなくなり、そのまま朝を迎えてしまったり。
つまらないことでいら立っては、大切なひとを傷つけそうになってしまったり。
こんな風になる方ばかりではないでしょうが、わたしのからだはそういう反応をしたのです。
このるつぼからすくい上げてくれたのが、映画で出会ったハルモニたちの姿でした。
まだあどけない少女だったころ、ハルモニたちはすさまじい性暴力にさらされます。
心と体に負った癒えることのない傷は、ことばに尽くせない痛みと苦しみを彼女たちにもたらしました。
さらに言えば、彼女たちはその傷について、語ることも助けをもとめることもできなかった。
そのトンネルは気が遠くなるほど長く、何十年にも渡ることになります。
大人になり、年を重ねても、彼女たちの記憶は閉ざされたまま。
勇気ある告発によってこの沈黙が破られたのは、1990年代になってからのことでした。
どれほど辛かっただろう。どんなに悔しかっただろう。わたしにはとても想像ができません。
ひとつだけわかるのは、彼女たちがつよく、そのすさまじい体験を繰り返してほしくないと願ったということ。
こんな思いは自分たちで終わりにしたい。子どもたちにはかならず平和な未来を。
ほかの誰のためでもなくわたしたちのために、彼女たちはそう願ってくれました。
やるせない思いがあるなら、彼女たちの悔しさに思いを馳せよう。
彼女たちがわたしたちに願ってくれたように、わたしもきっと平和を願おう。
彼女たちの姿がどうか多くのひとたちを勇気づけてくれますように。