私は 神様が私を 愛されていることを知っている
お前みたいなやつが なんで 愛されるものか
と 思うかもしれないが
逆に こんな私でも 神様が愛してくださる
というので 希望ではなかろうか
そして 私は神様が 皆様方を 愛しておられるのを
しっている
神様が どんなに切なく 皆様方に対しておられるかも
知っている 涙が出る思いである
罪というものがあるとすれば この愛を知らないことである
其れより大きな罪はないと思う
私は 神様が私を 愛されていることを知っている
お前みたいなやつが なんで 愛されるものか
と 思うかもしれないが
逆に こんな私でも 神様が愛してくださる
というので 希望ではなかろうか
そして 私は神様が 皆様方を 愛しておられるのを
しっている
神様が どんなに切なく 皆様方に対しておられるかも
知っている 涙が出る思いである
罪というものがあるとすれば この愛を知らないことである
其れより大きな罪はないと思う
信仰基台 実体基台
が メシアのための基台になるのは
原理である
真のお母さまが 立てられるとき
国進様 亨進様によって これが建てられたのは
記憶に 新しい
我々の 組織は 小さくても 大きくても
全て この原理の 中にある
江利川会長の 組織もそうなっている
中心の思いに気を合わせ という 火の玉のうたに
あるではないか
かつて 中和新聞 というのがあった
中心 と 和して 勝利しようというのである
実体基台の 勝利の内容は ヤコブとエソウにある
ヤコブは 身を低くして エソウに 対した
また 国進様の勝利は めざましい
神様がお父様が 亨進様を 選んだのだから
侍ればいい のだ
カイン側の 基本的な 姿勢であると思う
また アベル側の 姿勢は ヤコブのように
身を 低くしていくのが 基本姿勢である
ただ ヤコブは天使との組打ちのように勝ことに
絶対的に こだわる この性質は必然である
いずれにしても メシアのための基台は
これ アベルカイン の一体化無くして ないのだから
アベルカインの勝利は 誰にも絶対に必要である
誰であれ 組織であれ これなくして キリストに
お会いする道が ないのである
我々には 眼前に 国進様 亨進様の お手本がある
ここ聖殿で 勝利できなければ どこで勝利できましょう
個人的には 私が アベルであり 組織的には
私はカインであるのです
お父様の 御心は 一つになって欲しい
に決まっているのです
カトリックのシスターに 渡辺和子さんという方が おられた
彼女のお話に 4人目の博士というのがある
彼は エルサレムに キリストが現れたと聞き
すべての財産を 売り払いエルサレムに向かった
お金を 一粒の真珠にかえ 主にお捧するべく
もっていた
彼は医者であった
途中 病にあった人々に会うと ほっておけず
治療していく あまりに困っていると
ついには その真珠を売って
助けてあげた
そして いつの間にか 時は過ぎ
エルサレムに 着いたときは イエス様が 十字架で
なくなった 後になってしまった
出会えもせず 贈り物も
渡せず 意気消沈してしまった
時に 主が夢に現れ
ありがとう と 言われる
すみません 私は主に 何もできませんでした
しかし 主は言われた
貴方が 助けたあの人々は 私であった
だから 貴方は私に してくれたのだ
ありがとう
彼は絶句し 主に出会えた喜びを
感謝した
困った人を見たら 親身に相対してあげてください
その人が 御父様なのです