阪神大震災があった日は、勤務。。
就寝中に、あのゴーっという音と強烈な揺れにしばらく起き上がれませんでした
その後 勤務している全職員に地域の見回りを命じ報告を待っていました
幸いにも倒壊や火災発生時案はなく一安心
しかし 神戸は何本もの煙が立ち上がり火災が発生中
おまけに阪神高速が横倒しになっていました。。
今まで見たことのない映画のワンシーンのようで驚きました
上司に神戸への災害応援を具申しましたがすぐには無理だと言う事でした。。
が、、二日後に行けることになり、、
志願して兵庫消防署に赴きました
道中 倒壊した建物や高速道路を見て被害の甚大さを目の当たりにしました
兵庫署にはすでに全国から応援部隊が到着していてごった返していました。。
我々はタンク車と言って水槽を積載しており消火栓がなくても放水でき水がなくなると
川などから水を給水してまた放水することができる消防車です
当時は倒壊建物からの出火が多くて水が出ない場所も多く我々は一日何回も出動しました
消防署の近くに荒田公園があり多くの人が避難していました
公園のトイレには紙が山盛りになり用を足すのは大変だろうなと思っていました
タンク隊はその後一か月以上駐留し災害対応しました。。。
少しでもお役に立ったのならホントによかったと思っています
それから震災の日が来てテレビ報道を見てると当時のことを思い出します
あれから26年 街は復興したように見えますが傷ついた心はまだ癒えない人もいるでしょう
でも 僕は生きてる限りあの光景はを覚えています。。。
あれから災害対応に力が注がれそなりに充実したと思います
災害から完全に守ることができなくても減災はできるようになったと思っています
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6年後の東日本大震災にも我々は救急車と救助工作車を災害派遣しました
現場を離れた僕は行けなかったけど優秀な後輩たちが活躍してくれました
「災害は忘れたころにやってくる」ですよ
皆さん油断召されるな