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らくらく ダイエット法! ゆっくり痩せる。

2012-08-22 23:04:04 | 日記
世の中にダイエット方法は山ほどある。

結果的にはカロリーを摂らなければいいだけ。運動はした方が
もちろんいいが、できずにやればおのずと体調を壊すだけ。

ちなみに私は85㎏あって当時は「メタボ」のない時代だったが、明らかに

メタボの範疇。

これではいけん、と思い会社での昼食を抜いて、ジュースだったりリンゴや

ミカン一個を食べたり食べなかったりで凌いでいた。

というよりなんともなくできた。

半年何気に続けていたら、64㎏まで落ちた。-21㎏である。

実に簡単なダイエットだった。

肥満の連中特有の「1食ぬくなんて耐えられない!(><)」

なんてことは言わない。豚じゃねんだから…。

現在は15年経ったが、ちゃんと2~3食食べても体重は64㎏前後で変わらない。

職場では働くのでお腹も空いてできないという方は、せめて休日は徹底して

二食! 朝、パンかごはんで昼は完全に抜く、夜は普通に食べたいものを食べる。

というやり方もある。私はこれも15年間続けてきた。

基本的に人間の身体は昔から3食きちんと食べて…と言われてきたが、

あながちそうでもなかったのが証明された。昔、江戸時代などでは

二食が当たり前で、現代のような成人病や、癌などは極端に

少なかった時代でもある。

そりゃ、体に常に老廃物が作り出されるわけだから、毒素が溜まるのも理解できる。

粗食こそ健康食とはよく言ったもので昔から実証されてきたわけだ。

二食といっても、甘いものや、

脂っこいものばかりでは健康は保てない、最低でも一品は野菜や果物を

入れてほしい。

あと運動なのだが、これがなかなかできない人が多い。仕事で運動してるから

いんじゃね?というわけでもなく、仕事の運動とプライベートの運動では

全然違うとの医師の言葉。やりたいスポーツがあればいいが、何もないという方、

一番手っ取り早いのは、かわいいワンちゃんの散歩? あと町の

スポーツクラブでの無料のウェイトトレーニングである。

ランニングマシンや、サイクル、他、若者からおばちゃんまでトレーニング

できるよう大抵の町にはある。 なぜか利用するおじさんはいない。

おばちゃんはとにかく何故か

ランニングマシンのウォーキングがほとんど! 他はやらない。

隣の知り合いと喋りながら1時間以上はザラ。暇とメタボ解消、友達との時間。


■腹をたるませたくないなら、PCやるときは座椅子でやるべし!!!

これ、無料で聞けて締まった身体になるんだから…

巷のダイエット食品、せんべいやら、お茶、あげくはゼリィ―――???

そりゃあ飯食わないでジェリー食べてれば痩せますわ!

金儲けなら何でもありのダイエット業界。うける。

太る人は水飲んでも太る?  太るかっ、それなら食料いらんわ。

一生水飲んどけって話。(_ _;)

さて何故、パソコン時、座椅子なのか? に戻るが、 座椅子が楽だから

普通に使ってきたわけだが、PCを使うときは座椅子に座ってあぐらをかいて

やるのではなく背もたれを45度ほどにして寝そべって

ブログやメール、閲覧などをやるようにする。その角度でやると

キーを打つ時に打ちにくいし、キーボードも見えにくいので、

上半身をやや起こす。距離もできるし、腕も伸びきる。

上半身、首を起こしてやるとおのずと、腹筋が使われ、

贅肉がつきにくくなる。これはPCに集中するのでそれほど腹筋を使っている

意識がなくできる。ちなみにこのブログもこの方法で打っている。疲れたら

座椅子に背中、首をおろし、時々休憩するから余計苦も無くできる。

ただこのやり方は太っている方にはかなりきついかもしれない。

が、それだけ脂肪も燃焼できるということ。

これはある程度体重を落としてからやったほうがいいかもしれない。

簡単に長期で痩せるのはやはり休日2食! これだけでも半年で顕著に減量が

確認できる。

太っている人はとにかく食に我慢ができない。自分の健康を損なうのも自分、

健康を維持できるのも自分しかいないということ。

私はおかげで人生で健康診断で引っかかったのは胃炎だけ。ほっといたら治ると

医師に言われ

癌かと思い不安の時を過ごした記憶がある。(^^;)

紫外線にも浴びるのもいいと言うのは本当らしいし、汗をかくのも勿論必要なこと。

といって日焼けは身体にとっていいことではないらしいことはなんとなくわかる。

あれは低温火傷状態なのだからほどほどがよろしい。


どうして男なのにブログにダイエット載せたのか?

なんのことはない、閲覧数に興味があったからである。

毎回違うテーマで載せているので興味はある。

次回はなんにしよう?高齢者はネタてんこもりなので、載せようか?

高齢者はへたな芸人より面白い!素朴で純粋である。

先生~   さようなら~









■やくざに追われ、1時間 ★壮絶カーチェイス 昭和編

2012-08-06 07:56:20 | 日記
■誰しも、人生何事もなく順風満帆とはいかないだろうが、私にも苦い経験は

たくさんあった。

極道に追われるというのは普通の人はまず、経験しないと思う。

私も一応、堅気な、サラリーマンだった。(^^;)

数十年前の22歳の頃、家から1時間の新潟市まで遊びにいっていた。バブルまっただ中の時期、今でいうクラブのディスコへ行き、

遊んだ帰り道の0時頃のことだった。友人と車で帰路中、

一台のロングワゴン(ハイエース?)にピッタリとつけられ、完全にしばらく

煽られていた。これが読者の想像通りのチェイスで、のちに1時間の壮絶カーチェイスを展開することになる

とは夢にも思わず、友人と笑いながら、会話しての帰路だった。


若くて短気な私は、あおられて頭にきて何回かブレーキを踏んで

仕返しのような危険な行為をやっていた。

半笑いでブレーキ踏んで、ルームミラーを眺めては相手の動向をみていた。

若気のいたりと言うか、バカというか… 単線を走行中、いくつかの赤信号で停まった時、

いきなりスライドドアの開く音が聞こえルームミラーとドアミラーに目をやると

信じられない人がダッシュで飛び降り、助手席側からも飛び降りて2人が走って

こちらに向かってくる。急ブレーキ踏まされその同乗者が前に飛んだのだろう。かなり切れてるらしかった。

確認して判断するまで、2秒くらいだったと思うが

同時に私は赤信号もかまわず、アクセル踏んでダッシュしていた。

その信じられない人というのはスキンヘッドに上半身裸で腹巻、下は覚えてないが一目でその筋の連中と

わかった。(TT) 「まじか?」と思いながら、アクセルをベタ踏した記憶がある。

いくつ信号無視をしたのかわからない、といってもスピードは落として左右確認はしていた。


必死だったからルールを守れるわけもなかった。とにかく捕まったら、

ただじゃ済まないことは2人とも理解していた。車が廃車にされるか、金を請求されるか、

ボコボコはもちろんあるだろう。遊んできて汗も引いたころにまたドッと汗が噴き出てきて

生きた心地がしなかった。誰も助けてはくれない。この時代、携帯があったら、また状況も変わっていたんだろうが、

まぁ、通報はできなかったかもしれない。なぜなら、こちらも違反していたわけだし、パトカーが来るまで

交通ルールを守れるはずもなかった。


時間帯が真夜中ということもあって、周りには車や、歩行者はなく、交番も探しながら

走っていたが、ダッシュしてから5分後にみつかるわけもなく、仕方なくワゴンが

通れないであろう全く知らない脇道へ突っ込んだ。



【私は元来車好きで速い車の愛車歴が多かったのだが、この時期だけはなんとダイハツの1000㏄ターボ

(終わった…)とは言え、ディーゼルのワゴンよりは速かったのだが、当時はかったるい印象だった。

というのも市内の国道は知っているが、ちょっとそれるともう、わからない。

すぐにピッタリと追いつかれる。】


この突っ込んだ細い脇道は案の定ワゴンは入れず通過していった。ちょっとホッとする。

ここは彼らのおそらく地元、地理に長けている、と理解していたので気はゆるめなかった。

そろそろと走り、住宅密集地で道は車1台がやっとの幅で、なんとカーブというカーブは全て

直角で、まるでリアル迷路だった。

傾斜に立ち並ぶ住宅密集地を3分ほど走り、下まで下り広い道に出たのだが、左から1台の車のライトが

低速でせまってきていた。この時、確認できたわけではないが、直感で「あいつらだ!」

と感じ、右折でアクセル全開にした。先読みして下までまわってきたのだ。この時、

完全に地元の奴らだと確信し、知らない夜道をスピードを出して走る不安感たるや、半端じゃなく

パワーが落ちるエアコンを消し、窓全開で逃げていた。知らない道なので、

非力なワゴンでも奴らはピッタリつけてきていた。地の利である。せめてもの救いは追い越され、車を

止められることだけはなくピッタリのランデブーが新潟市内で続いた。

一番怖れたのは、行き止まりだった。スピードを出したり、信号無視したり、一通逆走行もしたような

気がするが、交通ルールを全く無視しての夜間走行で、警察に逮捕されかねなかった。

自分にしてみれば完全に「身を守る、緊急回避行為」だった。今だからこんなブログを書けているが、

あの時は絶命まではない!とは言い切れない状況だった。数パーセントはあったように思う。

最初に奴らが車から飛び降り走ってくるとき、無言ではなかった。

スキンヘッドが「くぉらああああぁぁぁ」と、まるで咆哮だった。

こっちが車ダッシュした時の奴らの戻り、乗り込みも

早かった。この時みた運転手はわれわれくらいの若造で

スキンヘッドは40すぎでスライドドアの方に乗っていた。人間凶器そのものだった。

 今、年齢も重ね、そんな親父みてもどうってことないが、

当時は若いし喧嘩したこともなかった。

ミラーで確認したところ、車内には人影で4人は乗っていたようだった。

この時、喧嘩もしたことなかったのだが、20代後半に向かい、かなりな喧嘩トラブルに巻き込まれていく。

それはのちのち載せるが、この「事件」のあと某空手道場に入門、1年だが通った。


さすがに30分も走り続けていると、新潟市から外れてきてどこを走っているのかわからず、

広い道、細い道、と走っていた。細い道ばかり走ったら?と、思いそうだが、行き止まりの可能性や

事故の確率が高いから避けた。

再び、繁華街から住宅街へと迷い込んだが、振り切れていない、 奴らは真後ろにいた。

ミラーで確認し、前に目をやると、10tトラックが停まっていた。通れるか通れないかの微妙な幅が右に空いている。

普段なら徐行で通るのだが、ノンブレーキで脇を通り過ぎた。幸い擦ることはなかった。

後ろを確認すると奴らは通らず停まっていた。またどこかから出てくるだろうことはわかっていた。数分後、

広い道に出てさすがにもう赤信号では止まっていた。心臓はバクバクで、辺りをきょろきょろと見廻して落ち着かなかった。

急にミラーが明るくなる。エライスピードでぐんぐんせまって来る車がいた。

青になるのも待たずに発進していた。

再び、ランデブーが続く。今にも追い越して前に出そうな勢いがあった。

しかしさすがに4人乗りディーゼルでは難しかったのだろう。

追い越しはできなかったようだった。

逃げている間、数台の車とすれ違ったのだが、深夜だからか、パトカーとすれ違うことはなかった。

夜間もいないこともないのだが、出会えなかった。まぁ、出会えても停まれるかはどうかは疑問だった。


逃げ切れることはあるのだろうか?身体や車も無傷で帰れるのだろうか?と頭をよぎった。

どこを走ってもピタリとついてくる。

知っている道ならとっくにぶっちぎっているのだが、知らない道は80㎞以上は出せなかった。

それも県道や、農道、1本道ならパワーの差で離せるのだが、なかなか長い直線には出会えなかった。

全く、安全が確保できない状況で、先が見えない走りを強いられていた。


しかし、それは意外なことで解決し無事に帰宅できるのだが、まさか??? というようなことで彼らは諦めることになる。

「殺してやる!」ぐらいの勢いで追い回していたのに… 

いまだに思い返しても、毎回、苦笑いしている。やれやれ…(^^;)


■カーチェイスも実際の話これだけではない。 暴走族とのバトルも待っていた。

1年後のこの時はバリバリの走り屋だったのだが… といっても240ZLのタコ足、マフラー、電気系統、足回りチューンという

マイルドなものだったが当時はそこそこ速い方だった。


――追いかけられて、そろそろ時計の長針が一周廻ろうかという時に【その時】は訪れる。

70㎞で走行中、前の信号は赤、 しかし私はT字路の信号を←この方向で来たので左のみ確認し、あまりスピードは

落とさず通過。

ワゴン車はどんどん離れていく。なんとそのT字路信号で停まっていたのだ!  ???????なんで?…

ハトが豆鉄砲くらうというのはこの時の顔だろう。散々2台で信号無視してきて、今???

すぐに理解した。その信号を通り過ぎる時、右側には、交番があった。 えっ?あの交番があったからか?

よほど警察に関わりたくなかったのだろう。私にしてみれば、交番なんてあろうとなかろうと、関係なく、

命がけで逃げてるのだから信号無視は必然だった。

おそらく私が停車したとしても彼らは出てこなかっただろう。 

交番前が広く車も置けたならそこに停めたかもしれないが、完全に対向車の邪魔になる道幅だった。

しかし、たまたまあの道を通ったから解放されたが、もし違う道だったら、結果はどうなっていたんだろうか?

もし途中でガス欠してたらどうなっていたんだろうか?とか 考えると恐ろしくなる。(><;)

――その後は高速に乗り、家路を急いだが、まだ50%の不安はあった。途中、高速を降り信号で停まったのだが、

まだ、先ほどのトラウマがあり、青になるまでこんなに時間がかかるものか?と常にルームミラーを

睨んでいた。その信号は国道に出る信号なので他よりは確かに待ちは長いのだが、

感覚的にはおそらく人生で一番長い信号待ちだったと思う。 その後は無事、友人を送り届け、

私も帰宅できた。時計を見たら、2時になろうとしていた。



行ったことを後悔したのは言うまでもない。

あれで車もわれわれも無傷で帰れたのだから、運もいいような、悪いような…



この物語が創作物か実話かは、判断にゆだねます。              


先生~ さようならぁ m(_ _)m