
母と娘の独特のややこしくも根深い問題について、精神科医である著者(男性)が、それに苦しんだ当事者でもある作家や臨床現場の精神科医、学者などと対談しています。「毒母」というのが一種のブームみたいになって、映画とかドラマとか小説になったりしていますね。とにかく「この苦しみを表に出していいんだ」という認知が当事者たちを楽にしたという面があるみたいです。
やっぱり、角田光代と田房栄子、萩尾望都の章は、創作秘話みたいな側面が興味深かったですね。でも一番納得したのは、水無田気流(詩人・社会学者)さんの「母娘問題は時代の産物」という章です。
水無田さんはこう解説しています。
(日本の育児の社会化が進まない大きな要因として)
日本の「理想的な出産・育児」は、「母親が自分の身体と時間を子どもに全面的に差し出して、痛み、苦しみ、手間をかけること、子どもを愛し責任を持つこと」を要求している。しかし、それはよほど恵まれた人でないとできないので、多くの母親が自分の子育てをマイナス評価で考えがちになる。
一方、優等生のお母さんは、
「『これだけ痛み、苦しみ、自分の人生を差し出したのだから、お前は私を見捨てるな』と子どもに暗黙のプレッシャーを与えるようになったも無理からぬことです。」
とのこと。そして、父親は仕事づけで疎外されやすい構造(と斎藤氏が指摘)。
しかしそもそもこうなったのは歴史的にみてごく最近のこと。「良妻賢母」なる概念も、明治以降の植え付け。かつて、日本はほとんどが農漁業者で女も働くのが当たり前でした。そのころは、子守りは引退した祖母や一番年上の子どもの役目でした。
高度成長期に一気に社会構造が変わって、女性は体力仕事から解放された一方、育児という別の重い負担・責任(人格形成から勉強までみる)が増えたのです。
だから、母娘間の摩擦としては、「特に今の団塊世代の母親と、三十代、四十代ぐらいの娘さんとの葛藤が一番激しくて、世代がさらに下がってくる」といいます。団塊ジュニア世代が団塊世代の親とのギャップに苦しんでいると言ってもいい。
そういう話を読んで、いろんなことがすごく納得いったんですね。
私(娘として)にはあまり関係ないと思っていましたが、考えてみると思い当たるフシもあり、ドキっとした部分もありました。
角田光代さんと対談したの章の、「母性本能に対する疑問」という話も興味深かったですね。そんなもんはない(アカデミックなところでは否定されている)、とわかりました。情緒的な部分であると個人的に信じるのは勝手(分かる)けど、誰にでも押し付けちゃダメだぞと。