父が昨日の午前亡くなりました。
一時は昏睡状態になるものの持ち前の生命力で復活して重湯 水ようかんなどが食べられるようになり車いすで動けるようにもなり 私たちは「やっぱり爺ちゃんはすごいね~。」 「ここまで回復できたのだから 今年の104歳の誕生日は絶対迎えることが出来るね~。」などと話し合っていました。
「兄ちゃん・・80歳間近になっても親の面倒を見なければならないのも大変と思うけど・・・・」
「イヤ~ 気が付かないうちに昏睡状態になって そのまま逝かれてしまったら心残りだし・・・・とにかく復活してくれて安心したよ。」との長兄の言葉
先ずは一安心ということで そろそろ日帰りだったら少し遠出しても大丈夫かな? それでは 少し足慣らししておきましょう と長めの散歩に出かけたのは一昨日の暖かかった天皇誕生日。
畔にはオオイヌノフグリが咲き 遅咲きの梅もチラホラ咲いてまさに散歩日和でした。
空き地ではツグミが餌さがし?
そんな日の翌日に逝ってしまうとは思わず、呑気なものでした。
父の旅立ちの瞬間に立ち会えなかった私でしたが 様子を聞くと大きな呼吸を少しした後スーッと眠るように逝ったそうです。
春の息吹が感じられる頃に亡くなった父に実家で逢った瞬間 私は涙も出ません。
悲しいとも感じませんでした。
口からついて出た言葉は 「爺ちゃん 長い間お疲れ様でした。 これで本当にやっとゆっくり出来るね。 すっごく良い顔をしているよ ハンサムだよ」
自分の親が亡くなってもこんな言葉と感慨しか沸かない自分は親不孝なのだろうかと ふと 思ってしまいます。
母が90歳で亡くなったときは泣けてなけてしかたがなかったのに父の時はそうならないのは何故だろうと昨夜 父の遺影用の写真を探しながら考えました。
98歳ころまでは私たち子供と年に2回ほどお泊りで旅行に行っていました。
写真係の私のハードディスクには父や母の写真が沢山入っていますが「コレ!」と思うものがなかなか見つからず昨夜はほぼ徹夜で父の写真選びににと言うより 思い出に耽っていました。
そして思ったのです。 親孝行したよね。私たち。って
母が90歳で亡くなってから12年。それまで母を頼りにしていた父を私たち子供が支えたり時には支えられたり。
母の時は元気なまま あまりにもポックリ逝ってしまったのでもっと親孝行しておけば良かったなどと悔いが残ったような気持でした。
今は父が 枯れるようにすーっと逝ってくれたのが私には慰めになっているような気がします。
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