法華経 現代語訳 三枝充悳 第三文明社
第12章 提婆達多品参考(305ページ~311ページ)
人魚姫を読んでいて、ふと法華経の提婆達多品を思い出しました。
女性の身体は穢れていて、さらに5つの障害があって仏にはなれないという謂(いわ)れに対して、その場に集まっている菩薩や阿羅漢たちが問答を始めるのです。
問答の最後に、竜女が仏になるという事実を釈迦牟尼仏が認め、場に居合わせた一同が受け入れるという内容です。
野次馬的な見方ではありますが、この品の聞かせどころは、8歳になる竜王の娘が、多くの菩薩や阿羅漢の目の前で仏になる過程をみなが観察、共有するという場面だと思います。
しかし、なんという衝撃的で奇想天外な発想でしょうか。
本来は、その謂(いわ)れの根拠となる由来がしっかりしているものなのかもしれませんが、あっさりと表現されています。
この国に辿り着くまでに、広大な砂漠を渡り、幾多の山を越え、大河を越え、大海を渡り、危難に会い、それでもここまで辿り着いた仏典の数々です。
こんな未熟なわたしですが、こころが揺れないわけはありません。
敬虔なクリスチャンだとは思いますが、アンデルセンは、仏教の経典に触れたことがあるのでしょうか?
宮沢賢治は、法華経の信者とのことですが、キリスト教的な発想の作品もありますよね。
世界は、つながっているんですね。
そう感じることが、ときどきあります。
第12章 提婆達多品参考(305ページ~311ページ)
人魚姫を読んでいて、ふと法華経の提婆達多品を思い出しました。
女性の身体は穢れていて、さらに5つの障害があって仏にはなれないという謂(いわ)れに対して、その場に集まっている菩薩や阿羅漢たちが問答を始めるのです。
問答の最後に、竜女が仏になるという事実を釈迦牟尼仏が認め、場に居合わせた一同が受け入れるという内容です。
野次馬的な見方ではありますが、この品の聞かせどころは、8歳になる竜王の娘が、多くの菩薩や阿羅漢の目の前で仏になる過程をみなが観察、共有するという場面だと思います。
しかし、なんという衝撃的で奇想天外な発想でしょうか。
本来は、その謂(いわ)れの根拠となる由来がしっかりしているものなのかもしれませんが、あっさりと表現されています。
この国に辿り着くまでに、広大な砂漠を渡り、幾多の山を越え、大河を越え、大海を渡り、危難に会い、それでもここまで辿り着いた仏典の数々です。
こんな未熟なわたしですが、こころが揺れないわけはありません。
敬虔なクリスチャンだとは思いますが、アンデルセンは、仏教の経典に触れたことがあるのでしょうか?
宮沢賢治は、法華経の信者とのことですが、キリスト教的な発想の作品もありますよね。
世界は、つながっているんですね。
そう感じることが、ときどきあります。