半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

故、三遊亭円楽師を偲んで

2009年11月04日 13時21分08秒 | ★ 落語(・・・のようなもの含む) ★
こんにちは、半次郎です。

遠くから初雪の報せが届きました。
例年よりも大分早い報せに、思わず冬物を準備したのですが、その寒さも今朝で一段落つくそうです。
まだしばらくは“秋”でいられそうです。

さて、芸の実力もあり勢いのあった昭和の偉大なる名人三遊亭円生の総領弟子で、自らもマスコミの寵児として永らく活躍して来た三遊亭円楽師が亡くなって、一週間になろうとしています。

落語協会分裂騒動さえなければ、この人の芸を心底楽しめたのにと思うと残念でなりません。

分裂騒動の前まで、確かに、寄席で目にする若手の中では談志、志ん朝、柳朝、円鏡(現、橘家円蔵師)らと共に群を抜いた存在でした。
マスコミが放っておかないはずです。

俳優としても多くのファンを集めた志ん朝師匠、器用で軽妙洒脱に司会や漫談をこなす談志師匠、テレビのクイズ番組で当意即妙のウィットで楽しませてくれた円鏡師匠と比べると、やや不器用な感がありましたが、当時のメディアにおいては一際目立つ存在でした。

『藪入り』や『淀五郎』などの人情噺は勿論のこと、半次郎は、新宿末廣亭で聴いた『目黒の秋刀魚』や『短命』などの軽い噺も好きでした。

それが師匠円生の落語協会脱退に付き従う形で協会を去り、円生師匠亡き後も決して復帰することはありませんでした。
落語協会にも落語芸術協会にも属さないということは、都内の寄席には出られなくなると言うことに他なりません。

何があったのかは当事者にしか分かりませんが、円生師匠の信頼を得、一番身近にいた存在でありながら、何故、師匠を説得出来なかったのかと、悔しい思いで一杯です。

結局、この分裂騒動が円生師を奪い、それ以降の心労から志ん朝師が病に伏せったものと半次郎は思っています。

この分裂騒動以来、半次郎は円楽師の生の落語に触れたことはありません。
僅かにレコードやCDで耳にするだけでした。

確かにあの分裂騒動では、当事者でありましたが、一方で、あそこまで頑なな円生師匠の被害者でもありました。

円楽師を失った一門の今後の去就が気になりますが、なるようになるしかありません。
遺志を継ぐか、協会に復帰するか…。
非常に大きな問題に直面しました。

そんなこんなを思いつつ、今はただ故円楽師匠の安らかな旅立ちを祈るばかりです。

合掌

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