こんばんは、半次郎です。
今日も雨。
桜が散ってしまいそうです。
もうちょっとだけ、待って欲しいなぁ。
さて、半次郎は何を隠そう隠れUFO信者です。
正確に言うと、『この広い宇宙に知的生命体が地球上にだけ“自然発生”したとは到底考えられない。』という考えを持っています。
まぁUFOはその彼らの乗り物として“考えられる”というだけにすぎません。
よくマスコミで取り上げられる円盤型や葉巻型に拘っている訳ではありません。
その昔、まだマヤ文明が栄えていた頃、宇宙に飛び出す生命体が彼らの近くにいたということを匂わすような遺跡が発見されています。
それは棺に描かれた(彫られた?)絵なのです。
何を描いた絵かと言うと、火を吹きながら飛んでいるロケットのような物体とそれを操縦する人間が描かれています。
その当時、全く機械的なものを見たことがなかったはずの人類に、今の宇宙ロケットの内部に似たような絵が描けるでしょうか?
想像すらできる訳がありません。
それが実際に出てきたということは、恐らく見たままを描いたに違いなく、信憑性が高いと思えます。
尤も、これが捏造であるとしたなら、全く意味を持たなくなってしまいますので、あくまでも仮定に過ぎません。
他にも、聖書の中にも空を飛ぶ物体や地を這う(車輪のようなもので走る)物体のことが書かれている部分があります。
『エゼキエル書』がそうですが、現代人がこの記述を目にしたらジェット機やロケット、そして地を這うものは自動車だと思うに違いありません。
半次郎もその1人です。
クリスチャンではないので、枠に縛られない自由な想像ができます。
もし、これらが事実を記したもので、遥かな知恵を持った生命体が地球に舞い降りていたとしたなら、彼らのモノマネで人間は知恵を高めてきたのだと言えます。
そして、愚かにも不完全なモノマネで得た知恵が全てだと思い込み、自惚れ、この地球をダメにした挙げ句、秘密裡に火星への移住の準備を始めているのだと思えてなりません。
怖がりな半次郎の杞憂であれば良いのですが…。
今日のニュースで、ロシアがそう受け取れる実験に入るとの報道がありました。
from 半次郎
今日も雨。
桜が散ってしまいそうです。
もうちょっとだけ、待って欲しいなぁ。
さて、半次郎は何を隠そう隠れUFO信者です。
正確に言うと、『この広い宇宙に知的生命体が地球上にだけ“自然発生”したとは到底考えられない。』という考えを持っています。
まぁUFOはその彼らの乗り物として“考えられる”というだけにすぎません。
よくマスコミで取り上げられる円盤型や葉巻型に拘っている訳ではありません。
その昔、まだマヤ文明が栄えていた頃、宇宙に飛び出す生命体が彼らの近くにいたということを匂わすような遺跡が発見されています。
それは棺に描かれた(彫られた?)絵なのです。
何を描いた絵かと言うと、火を吹きながら飛んでいるロケットのような物体とそれを操縦する人間が描かれています。
その当時、全く機械的なものを見たことがなかったはずの人類に、今の宇宙ロケットの内部に似たような絵が描けるでしょうか?
想像すらできる訳がありません。
それが実際に出てきたということは、恐らく見たままを描いたに違いなく、信憑性が高いと思えます。
尤も、これが捏造であるとしたなら、全く意味を持たなくなってしまいますので、あくまでも仮定に過ぎません。
他にも、聖書の中にも空を飛ぶ物体や地を這う(車輪のようなもので走る)物体のことが書かれている部分があります。
『エゼキエル書』がそうですが、現代人がこの記述を目にしたらジェット機やロケット、そして地を這うものは自動車だと思うに違いありません。
半次郎もその1人です。
クリスチャンではないので、枠に縛られない自由な想像ができます。
もし、これらが事実を記したもので、遥かな知恵を持った生命体が地球に舞い降りていたとしたなら、彼らのモノマネで人間は知恵を高めてきたのだと言えます。
そして、愚かにも不完全なモノマネで得た知恵が全てだと思い込み、自惚れ、この地球をダメにした挙げ句、秘密裡に火星への移住の準備を始めているのだと思えてなりません。
怖がりな半次郎の杞憂であれば良いのですが…。
今日のニュースで、ロシアがそう受け取れる実験に入るとの報道がありました。
from 半次郎
ところで、火星へ移住する準備をしたほうがいいのでしょうかねぇ。それだけの知恵や知識や金で、地球の手当てをしたらいいと思うけど。火星へは、遊びに行くことにして。なんでもありの
星ごと、まるごと、ラスベガス。
ロシア科学アカデミーと欧州宇宙機関(ESA)は将来の有人火星探査に備え、モスクワに建設された模擬火星居住棟に6人の模擬宇宙飛行士を約500日間滞在させる長期閉鎖環境実験を来年春から実施する。
・・・というニュースがありました。
怖がりな半次郎はちょっと余計な心配をしたようです。
しかし地球上で国同士の醜い争いに何億ものお金をかけるより、吾亦紅さんの仰るようにそのお金で“地球の手当て”をして欲しいものですね。
それにしても、吾亦紅さんの仰る“地球の手当て”という表現、気に入りました。
まだまだ手当てをすれば間に合いそうです。
大分、元気が出ました。