こんばんは、半次郎です。
久し振りの投稿になります。
実は半次郎、先週の11日(月)から17日(日)までの丸一週間、とある病院に入院しておりました。
その病院とは、浦安にある東京ベイ・浦安市川医療センターというところです。
この病院の前身は、葛南病院と言っていた病院で、実は半次郎の長女が生まれた縁浅からぬ病院なのです。
その葛南病院が2009年4月1日に、東京ベイ浦安・市川医療センターとなって新しく生まれ変わったのだそうです。
病院のホームページは、こちらをご覧下さい。
さて、半次郎が入院することになったきっかけは、2年前の人間ドックで、聴診器で胸の音を拾っていた担当医師から、「心臓にノイズ(心雑音)があるようですから、様子を見て精密検査を受けて下さい。」と言われたのが切っ掛けです。
その時は、聴診器の聞き間違いではないのかいな~?などと自分に都合の良いように解釈していました。
特に自分の家系には心臓病を患った人は居ませんし、過去に発作や違和感など一度もありませんでしたから、いきなり「雑音がある」とそう言われても、「大したことはないでしょう」くらいにしか考えていませんでした。
極々、たま~に、不整脈が起こるくらいのもので、全く自覚症状がなかったのです。
この「心雑音」のことは、忙しさにかまけて忘れていましたが、昨年の人間ドックの時にも一昨年とは異なる医師から、同じことを指摘をされたのでした。
・・・と言うことは医者の聞き間違いではなさそうだなと思い、2ヶ月ほど経った今年の年明け早々に、地元の総合病院を受診しました。
心エコーを行った結果、血液の逆流がハッキリと確認出来るものでした。
逆流量は、中程度以上だそうです。
付いた病名は、『僧帽弁閉鎖不全症』。これが心雑音の原因だったのですね。
診察をして頂いた病院では手術が出来ないからと、専門の病院で手術の要否も含め、詳しく検査をしてもらって下さいと紹介されたのが、この病院でした。
そして、初めて受診したのが、3月のこと。
センター長の渡辺弘之先生によると、逆流の程度は重度で心肥大も確認出来るとのこと。なるべく早い内に手術をした方が良いとの診断でした。
それから、実際に手術を執刀されることになる心臓血管外科部長の田端実先生の外来を受診し、手術に向けた様々な検査をしていくことになるのですが、「経食道心エコー」などと言う、胃カメラのような機器を口から入れて撮影するものや、「造影剤を注入したCTスキャン」など、初めて体験する検査ばかりでした。
それでも、 「経食道心エコー」は眠っている間に済みますし、「造影剤を注入したCTスキャン」も身体が熱く感じることはあっても、痛みはありませんから、楽なものです。
様々な検査を終えて田端先生が仰るには、「手術にはリスクがありますが、そのリスクは、手術をしないことで心不全になるリスクよりも全然、小さいものだ。」ということでした。
そして、「手術は低侵襲(MICS)による弁形成術で行う」とのこと。
ただし、手術中の状況により、通常の胸骨を切るスタイルに変更することもあり、また弁形成ではなく人工弁や生体弁に置き換える弁置換術になる場合もあるとのこと。
それを訊いて少し悩みましたが、覚悟を決めていましたので、手術を決断しました。
それから手術当日に向けて、残りの検査を行ったり「貯血」を行ったりと、また職場や関係各所に事情を話して長期休暇を頂く必要もあり、毎日が慌ただしく過ぎていきました。
さて、入院は7月11日(月)であることは書きましたが、手術はその2日後の13日(水)9時から行われました。
迎えに来た看護師の案内で歩いて手術室に入り、 手術台に横になり、点滴のような針を左腕に刺され、「これから麻酔を入れますよ~」という声が聞こえたところまでは覚えています。
意識が戻ったのは、その日の16時頃です。付き添ってくれた家内から、手術は無事に終わり、ICUに居ることを告げられました。
でも、まだ人工呼吸器が着けられているので、話すことは出来ません。
家内の掌に字を書いて、 筆談(?)で質問したり、気持ちを伝えたりしました。
人工呼吸器が外せたのが、19時半頃。
後々、訊いたところによると、手術は12時半頃に終わり、田端先生から家内に細かく説明があったのだそうです。
その後、ICUからHCUに移され、長時間麻酔で寝ていたせいかなかなか眠れず、ボーッとしながらなんとか朝を迎えました。
手術翌日の朝です。
9時過ぎにはリハビリの先生が来られて、早速、リハビリ・メニューが遂行され、ベッドに起き上がりそのままベッド脇の体重計に乗るという動作を行いました。
まだ血圧が99mmHgと低かったのでめまいがして、ベッドに起き上がった状態でゆっくり休まないと立ち上がれない状態でした。
それでも、手術痕の痛みがないので、全然、楽なものでした。
この日の昼には、術後最初となる食事が出ました。
メニューは、普通のごはんに魚の照り焼き、がんもの煮物、モロヘイヤのお浸し、そして果物のスイカがでました。
半次郎、空腹は感じていませんでしたが、しっかり食べました。
スイカが殊更、美味しかったです。
そして、この日の昼過ぎには、ICUから一般病棟に移りました。
この日の夜中も目が冴え、朝まで起きていました。
術後2日目は、朝の内に身体に埋め込まれていたドレーンの管が抜けましたので、かなり楽になりました。
午前中にリハビリとして一般病棟の廊下(約120m)を約2周、歩きました。
血圧も上がって来ていましたので、軽い息切れはあったものの、問題なく歩けました。
この日は時折、咳が出るのですが、まだ咳をすると傷口が痛むので、恐怖でした。
傷を手で抑えて、咳をしていました。
本当は、咳と一緒に痰を出す必要があるのですが、怖くてなかなか出来ませんでした。
でも、昼過ぎには魚の内臓のような色の痰が出て、呼吸が楽になりました。
相変わらず、夜中に眠れず、全英オープンを観たり、大相撲のダイジェストを観たりして朝を迎えていました。
術後3日目は、朝方に前日と同じような痰が出て、すっかり楽になりました。
回診の際、翌日に退院となることが正式に告げられました。
術後4日目での退院です。
この日のリハビリは、階段を1階分とその半分ほど昇り降りしました。
血圧も血中酸素濃度も良く、息切れもありませんでした。
相変わらず夜中に眠れず、前日と同じようなテレビを観て朝を迎えました。
術後4日目。
カレンダーは7月17日(日)、三連休の中日です。
都知事選が賑わいを見せていますが、千葉県民の半次郎は客観的に騒動を垣間見るだけです。
そんな中、朝一番で心電図と心エコーの検査を行い、検査結果に異常がないことを先生が説明して下さり、無事、午前中に退院することができました。
家には12時過ぎに着きましたが、二人の孫と家族に迎えられ、笑顔で帰って来られました。
繰り返しますが、術後4日目での退院です。
手術の傷痕は約4cmと非常に小さいものです。
胸骨を切ることもなく、弁置換にもなりませんでした。
様々なリスクを難なく乗り越えて下さった田端先生をはじめとする医療チームの皆さんに、心より感謝いたします。
半次郎、来週の月曜日から仕事を再開致します。
今、満員電車が一番の懸念事項ですが、学生が夏休みに入る期間でもあり、若干、混雑が緩和されるものと期待しています。
最後に、「僧帽弁閉鎖不全症」は「大動脈弁狭窄症」と共に、年間7000人~1万人と言われている心臓弁膜症の代表的な症状で、手術を受けようか悩んでいる方も少なくないものと思われます。
この記事が、同じ病を持つ方々にとって、不安を打ち消す記事になることを願っております。
From 半次郎
※ ハートセンター長、渡辺弘之先生のごあいさつ
※ 心臓血管外科部長、田端実先生のごあいさつ
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