普段、小さないざこざがないということはありえない、人間関係というものにおいて、人は共通の目的を持つことでその脆い関係を維持することが可能となる場合があります。
具体的には、普段仲が良くない関係でも同じ仕事をともに進めていくためには団結せねばならないということや、仲の悪い夫婦関係であっても子供を育てるという共通の目的があれば別れることがないかもしれない、ということなど。
もちろん、本当の友情、愛情もあるでしょう。
しかし、それは少数の人間関係ならいざしらず、より多くの人間関係の維持には必ず共通の目的があることが重要になってくると思われます。
そして、もともと希薄であった関係性が、その目的を持つことによって強固なものになってゆく可能性もあります。(それは仕事上の関係だけに限定されることもあれば、プライベートな関係まで強固になる場合もあるでしょう。)
このように、共通の目的、というものは人間関係では非常に重要なものなのです。
特に、オトナの社会を円滑に回していくためには。
さて、この共通の目的というものは常にプラスの意味を持つとは限りません。
すでに敵がいなけりゃ ~「敵」の効用?~という過去の記事(この記事はパスワードを知っている人しか見られません)でも同じようなことを話題にしていますが、「共通の目的」が「共通の敵」であってもよいと思われます。
というか、むしろ「共通の敵」である方が集団の団結力を強めることにはより強く作用するのではないでしょうか。
みなさんも、嫌いな奴の悪口をお互いに言い合っているときなどはそれをいくら言っても尽きない、ということを一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
この悪口を言い合っている相手が本当の親友であることもあるでしょうが、普段多少の好き嫌いがあってもよく話す友達と、あるいは、たまに話すことのある少し個人的には好かないけれどもその集団の多くの人(マジョリティ)には嫌われているわけではない、という知り合いとみんな(=マジョリティ)に嫌われているA君の悪口を言い合うということは結構日常茶飯事なのではないかと思われます。
僕がこんな話題を出すのには少々理由があります。
その集団を円滑にしている「共通の〇〇」が、プラスのものであるならそれほど意識する必要はないかもしれないでしょうが、マイナスのものであるなら、少しそれは意識しておく必要がある、と考えられるからです。
その理由は、もしマイナスのものによってつながれている関係性ならばもし「敵」などの存在が消えてしまえばそれまで維持されていた関係性は崩れてしまう、もしくは新しい「敵」をいままでの「(表面上の)仲間」の中から無意識に選び出すことになる、という可能性がある、ということです。(悪い夫婦の関係などははじめから本人たちも自覚している可能性があるのでそこまで危険ではないと思われます。)
普段あなたが「仲間」と思っている人々は本当に仲間なのでしょうか?
それとも、単に「こちらの陣営の人」というだけの人…?
それにしても、「マイノリティ」の人々はたいてい力をもった人でなければつとまりません。
なぜなら、常に「マジョリティ」にとっては「敵」になってしまう可能性があるからです。
まあ、僕のようないわば「負のマイノリティ(=マジョリティに属したいのにそれがかなわなかったマイノリティ)」はそういうわけでもないでしょうが…。
読んで下さりありがとうございました。
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