Highway XXX

北方謙三「水滸伝」

今回は北方謙三の「水滸伝」について。

先週(12/25の記事)もお話した通り、登場人物は基本同じであるがキャラ設定も違うし筋書も異なるしで原作の水滸伝とは全く違う話となっている。

さてここで、北方謙三の水滸伝について語る前に、原作の水滸伝について簡単に触れておきたいと思う。
ご存知の方も多いと思うが、水滸伝とは中国では、日本でも有名な三国志・西遊記などとも並び称される中国四大奇書の一つであり、北宋末期に実際に中国で起こった反乱をもとにして、その反乱の指導者(これは実在の人物名=宋江)のもとに当時の腐敗しきった政府を斃すため、108人の英雄が集結したという設定で、反乱を国家に対して起こしてその後、最終的にそれが鎮圧されるまで、を語った物語である。
そして、反乱軍の集結した場所を、梁山湖という場所に砦を築いたので梁山泊と名付けている(これは宋江による反乱が実際に起こった場所である)。


このような背景から、現在でも梁山泊という言葉は転じて「有志の集まる場所」というようなニュアンスで使用されることもある。

以上が原作の水滸伝について現時点の僕が可能な一般的な説明である。

僕も原作の水滸伝を10年くらい前に途中まで読んだのだが結局諦めてしまっており、そして今でも全て読んではいない。(豪傑が梁山泊に集うまでは結構面白いのだがその後はあまり面白くないらしい。たしか僕が読んだのは集まる過程の最後のあたりまで。)
であるので、話の細かい具体的な内容については覚えていないのであるが、魯智深という登場人物が強烈に印象に残っている。

原作で魯智深は単なる暴れ者の怪僧であり、弱者には手を出さないのだが権力者やそれをかさに着る者などに対してはそれを許さず時に殺すこともある(というか、殺しまくり 笑)、という人物である。


この怪僧・魯智深のハチャメチャな言動が妙に印象的であったために覚えていた(原作に出てくる梁山泊に集結する108人の豪傑はこの魯智深だけにとどまらずどれもが強烈なキャラクターで中国ならではの設定も多々見受けられる)のであるが北方版の水滸伝ではそのようなキャラ設定ではない。

非常に思慮深い男であり、それでいて肉体的・精神的にも強く、反乱軍を組織する際に魅力的な人物などを各地で見つけ出しては梁山泊の反乱軍へと魅力的な勧誘を行ったりなどという役割を梁山泊(の初期)において担うという人物として描かれるのだ。

そしてこのようなキャラ設定の改変はおよそ全ての登場人物においてみられ、原作の、妙に良い意味でも悪い意味でも人間とは思えない登場人物たちを人間味のある、自分とある程度重ね合わせて読める、人物へと変えているのだ。

筋書についても同様で、善玉(梁山泊の豪傑達)が悪玉(政府の高官および軍人)に立ち向かって果てる、という単純な設定ではなくどちらのサイドにも裏・表があるような筋書をたどり、気持ち的には官軍の側にも共感できるようになっている。
個人的には「李冨」という敵側(?)の人物は非常に人間味があって好きである。
もちろんそれ以外の人物も。

そして、強さと弱さは表裏の関係にあるのだ…ということも感覚的に分かってくる本でもあると思う。
まあ、少年マンガのようなイメージで読める(そうでないと思う方、申し訳ありません)ところも楽しめるところだと思う。
これ以上ない、ってくらいに「強さ」、「弱さ」というフレーズが沢山出てくる本でもあるので 笑。

そのような読みやすさも含めつつ、水戸黄門などに代表的な、単なる勧善懲悪的な話になってはいないところがこの北方謙三の水滸伝の最も面白いところなのではないかと個人的には思う。



以上は私見であり他に色々な考え方が存在するものだと思う。
もし読んだ方で何かあれば、または読んでいない方でも何か意見を聞かせて貰えると嬉しいと思います。

結局「総評」を書くと言っておきながら紹介程度のものになってしまいましたが(それでも紹介としてはちょっと長いですが)、個別の巻に関しましていずれ感想のようなものを記事としてあげるつもりですので、また読んでいただければと思います。

読んでいただきありがとうございました。
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