幕末に活躍した大垣藩武士、小原鉄心の書です。
全体:43.0㎝x178.9㎝、本紙(紙本):30.2㎝x133.6㎝。幕末ー明治初。
【小原鉄心(こはらてっしん)】文化十四(1817)年 ~ 明治五( 1872)年。名は忠寛、字は栗卿。号は鉄心、是水、酔逸など。大垣藩の重臣。藩政の改革に尽力。幕末には、難しい立場に置かれていた大垣藩を新政府側へと導き、藩を救った。また、梁川星巌・紅蘭、江馬細香ら文人たちと交わり、詩、書画をよくした。酒豪として知られる。
治要在理財
恐他不堪苛
厳乎官貸法
其無如之何
鐵心生小原寛
治要は財を理するに在り。
恐らく他は苛に堪えざらん。
厳なるかな、官の貸法。
それ之を如何ともするなし。
治世の要は、財貨の運用(経済)である。
おそらく、他は、人を責めさいなむようなものにならざるを得ない。
なんと厳しい事か、官の貸法は。
これではどうにもならない。
官貸法:江戸時代、凶作時に、各藩は、農民に備蓄米を貸し付けた。しかし、利息が返せず、土地を手放さざるをえない農民も多くいた。
印、和楽
印、寛字栗卿 印、鐵心
今回の書『治要在理財』は、小原鉄心が遺した「論政十二首」とよばれる為政の道を詠んだ漢詩の一つです。このなかで彼は、政治で最も重要なのは財貨の運用、すなわち経済であると述べています。そして、そのやり方は寛大でなければならない。官の貸付のような方法は、人々にとって過酷なものとなってしまうだろうと。
現代にも通じる卓見ですね。
鉄心は、「論政十二首」のなかでも、『治要在理財』を一番気に入っていたようで、かなりの作品を残しています。
ほとんどは、次のような詩です。
治要在理財
宜簡不宜苛
厳乎官貸法
其無如之何
今回の品とは、赤の部分が異なっています。
「論政十二首」で元々詠われている『治要在理財』はそれらとは少し異なっています。
治要在理財
理財恐成苛
貧富各至極
狺狺民訴多
厳乎官貸法
其無如之何
論旨は同じですが、ニュアンスはかなり異なりますね。
はたして、小原鉄心は、どの『治要在理財』を一番と考えていたのでしょうか。私としては、今回の品であってほしいです(^.^)
酒が入るほどに、彼の筆はすすんだといいます。以前紹介した異端の書家、三輪田米山と同じですね。ただ、豪放磊落な三輪田米山の書とは異なり、小原鉄心の場合は、字がリズムにのって踊っています(^.^)
両者は、それまでの書法の殻を破ろうとしたという点から、近代の書の先駆けと言って良いでしょう。それどころか、近代を突きぬけ、現代書へも挑発を続けていると思えるのです。