以前、大津市歴史博物館の記事を書きました。
今回はその続きです。歴史博物館では、
~明智光秀ゆかりの下坂本の社寺~
聖衆来迎寺と盛安寺の文化財の展示でした。
この2つのお寺は、観光スポットとして、
注目されるお寺ではないようですが
明智光秀ゆかりのお寺として知られています。
実は、聖衆来迎寺、盛安寺は、歴史を語る
数多くの文化財が残されています。
今まで知らなかった…!本当に驚きでした。
そこで、午後からは、この2つのお寺を
訪ねてみることにしました…!
まず盛安寺から行ってみました。
そう、美しい観音さまで知られるお寺です。
”大津市役所前”から京阪電車で”穴太”駅へ。
駅から続く田舎道を5分ほど歩くいていくと、
お寺の門が見えてきました。
穴太積みと呼ばれる石垣に囲まれ、
どことなく歴史を感じさせる佇まいです。
天智天皇の勅願によって創建された
古い歴史を持つお寺でした。
お寺の内部は公開されていないので、
外から本堂の周囲をぐるっと回ります。
ここに博物館で見た”光秀の陣太鼓”と
伝えられる太鼓が残されています。
天正年間のある日のこと、
このお寺が夜明けを知らせる太鼓を打って
光秀に敵の急襲を知らせたとの話です。
お寺は恩賞として、庄田八石(太鼓田)を
光秀から賜ったとの記録が残されています。
明智光秀公の位牌、供養塔もあります。
桃山御殿を移したと伝えられる客殿は
残念ながら公開されていませんが、
襖絵やお庭が素晴らしいと聞いています。
次に聖衆来迎寺に行きました。京阪電車の
”坂本比叡山口”から20分ほど歩きました。
ここも風格ある佇まいです。
伝教大師が開いた歴史あるお寺です。
戦国時代、この近くに宇佐山城がありました。
ここで信長と対立していた浅井・朝倉軍との
戦い”志賀の陣”(坂本の戦い)がありました。
今夜の大河ドラマ”麒麟がくる”では、
ちょうど今、この時代なのですよね。
ドラマで”宇佐山城の戦い”のシーンは
描かれるのでしょうか…?
もしネタばれになっちゃたら、ごめんなさいね。
この戦いは膠着状態になり、
天皇が間に入って和睦したそうです。
この戦いでは、信長方の弓の名手、
関の戦国武将、大嶋雲八が大活躍した…!
…と、記録が残されています。でも…、
信長方は、失ったものも大きかったようです。
森蘭丸の父、可成はこの戦いで戦死しました。
亡くなった可成はこのお寺に葬られました。
そのため比叡山焼き討ちの時、信長は、
このお寺を攻撃しませんでした。
それで国宝の六道絵や驚くほどたくさんの
文化財が残されているようです。
お寺には焼き討ちに備えて、文化財を
事前に運び出したとの記録もあります。
このお寺の内部拝観は予約制のため、
訪れた日は外観を眺めるだけでした。
表門は、明智光秀が城主だった坂本城の
門を移したものと伝えられています。
坂本城は廃城になって、建物は
ほとんど残されていないので、
この門は坂本城を語る貴重な遺構です。
このお寺にも立派な桃山御殿があり、
素晴らしいお庭があるようです。
また日を改めて拝観予約をしてから
出かけることにしましょうか…。
坂本の駅に戻り、そば饅頭をお土産に買って
帰りました。もう一度行きたい坂本の街でした。