いつものように午前4時に起き、ガラス戸越しに外の様子をうかがうと星が光っている。
昨日の午後は「曇り一時雨」の天気予報だったが3~4時間、晴れ間が広がり、4日ぶりに陽の光を浴びて生き返った気分になった。
星が光っているところを見ると、今朝は朝から晴れ間が広がる気配である♪
日の出までまだ少し時間のある午前4時という時刻の気温は一日の内でも最低気温が出る時間帯でもあり、今朝もそれなりの気温なのだろうが、実際にベランダに出てナマの空気に触れてみると、真冬に比べると「ん?」と思えるほど寒気は鋭さを欠いているように感じられた。
「ゆるみ」と言ってもいい。久しぶりに空気全体が「ゆるんで」いる。
全天に星が光ってはいるが、その光は小粒で、真冬の「舞い立つオリオン」や「さざめくスバル」のような「きらめき揺れる」(唱歌・冬の星座)姿とは程遠い。
それもそのはずで、地平線近くの低い山並みがうすいモヤに包まれたように霞んで見える。
雨上がりのせいだと思うが、その分冷え込みも少なく、そんなわずかな変化に過ぎないのに、なんとなく「あぁ、これをきっかけに春めいてくれると嬉しいな」と、今朝は少し気持ちも「ゆるむ」。
昨日の朝、関東各地で雪が積もったらしい。
ニュースやワイドショーはもっぱらその話題に時間を割いていたが、幸いにもわが海辺の町は雨だった。
3月も早、半ばに至る。
遅れに遅れてやっと4日に耳にした初音はあの日1日限りで、ウグイスはそれ以降、冷たい雨に降り込められ、歌う機会を奪われたままである。
ウグイスは恋の歌を歌うたうために生まれてくる。人間さまだってウグイスのきれいな歌声を聴きたい。
今日あたりから再び歌声を響かせてもらいたいものだ。
正岡子規のお母さんは「彼岸の入りに寒いのは毎年のことなのよ」と口癖のように言っていたそうで、子規はそのまま「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」という句にしてしまった。
ことしの彼岸の入りは17日である。
また寒さが戻るなら、せめてそれまで、暖かな日差しとウグイスの美声に包まれていたいじゃないか。
竹林に射す春の日差しが懐かしい
円覚寺の塔頭・如意庵
3月に入ったせいか玄関が開いていて花が飾られていた
この塔頭は非公開だが、山門のところまでは行ける
天上から吊り下げられた丸い花瓶は坐禅の大切な教えの「空」を示す「一円相」を表現しているのかも
白いツバキが活けてあった
山門に垂れかかるツバキ
手入れの行き届いた竹林は美しい
雨が降るなら暖かい雨にしてもらいたい