平方録

アメリカの大学生たちと坐禅をしてきた

円覚寺の日曜坐禅会で英語の提唱を聞いた。

正確に言うといつものように横田南嶺管長が盤珪禅師語録を解説(もちろん日本語で)するのだが、横田老師の脇に坐った外国人がそれを英語に訳していくのである。
アメリカのコーネル大学の大学生12、3人が坐禅研修のために円覚寺を訪れていて居士林で寝泊まりして禅寺での生活などを体験学習しているのだ。
円覚寺に4泊したあと建長寺でも何泊かするらしい。

女子学生の方が多かったようだが、あどけない顔の学生たちは母校でいつも坐禅をしているようで、みんな作務衣を着てモゾモゾすることもなくじっと坐禅を組んだまま老師の話に耳を傾けていたのには感心した。
わざわざ日本までやって来て1週間も禁欲的な体験に身を投じるというのは単なる興味本位ではなかなか踏み切れないことだと思うのだ。
第一、フカフカのベッドなど用意されていないし、寝る時は1枚の布団を2つに折りたたんだ間に挟まって寝るのである。
柏餅のあんこの状態になって寝るものだから柏布団というのだ。

50ウン年前のボクの経験では食事だって朝はおかゆと梅干1個とタクアン2切れのみ。
昼は忘れたが夜は麦飯と動物性たんぱく質が一切入っていないかわりに具だけは沢山入った味噌汁にタクアン2切れ。
音を出すことも隣の人と話をすることも禁じられているから、ひたすら感謝しながら黙々と噛むのである。
タクアンを音を出さずに食べるというのは、やってみればわかるがたやすいことではない。

そんなことを今時の大学生、それも西洋文明の最先端を行くアメリカの学生が挑戦するのだから生易しいことでゃないはずである。
ただ、こうした体験というものは必ずどこかで生きるものだと思うし、得るところは大きいと思うのだ。
何事も経験してみることである。

帰りしな、しつけ良くきちんと1列になって大方丈を出ていく学生たちを見送りながら、最後尾を歩いていた作務衣姿の外国人男性が手にしていた紙の束を見て納得した。
A4の用紙でそこには英文がびっしり並んでおり、どうやら事前に横田老師の解説を入手して訳したものを持っていたようである。
道理で間髪入れず、しかもよどみなく訳していくものだ、訳者も大したものだなぁと感心していたのだが、事前のたゆまぬ準備というものがあったのだ。

で、提唱の中身も語録に沿いつつ「禅とは何か」「仏教とは…」という深遠なるテーマを分かりやすく解説していたのは横田老師の大サービスだったと思う。
珍しい坐禅会になったものだが、このあともう一つの坐禅会に参加した。
つまりハシゴしてきたのだ。

何某かの寄付をしている人のところに手紙が届いて、横田老師が直々に坐禅を指導する時間を設けましたので是非ご参加ください、と誘われたのだ。
寄付と言ったって、ボクの場合は1年12か月毎週日曜日に円覚寺の坐禅会に参加するとして、毎回門をくぐる度に支払う300円の入山料をまとめて前払いするような程度のものなのだし、見返りに通行手形をくれるので、別にありがたがられるほどのことも無いのだが、お言葉に甘えてみた。

案内には誰でも1人連れてきてよいということが書かれていたので、友人の一人を誘ったら二つ返事で「行く、行く」という答えが返ってきた。
これが何と横田老師は坐り方からあるべき姿勢の保ち方、呼吸の仕方、視線の置所など、初歩から手ほどきをしてくれたので坐禅は初めての友人にはもちろん、ボクにとっても改めて居住まいを正すきっかけとなったくらいである。

で、修行僧がいつも口にしている食事が振る舞われたんである。
振る舞われたと言っても米と麦が半々づつの麦飯に具沢山の味噌汁。そしてタクアン2切れと細く刻んだ昆布の佃煮が絡んだ塩味のキュウリの副菜がほんの少々。
ただそれだけなのだが、お代わりはさせてもらえたので、みそ汁を足してもらった。
禅寺の食事は50ウン年振りで、手作りの豆腐やニンジン、カボチャ、大根、ワカメなどがごろごろ入った味噌汁もおいしかったが、よく噛んで食べる麦飯は本当においしかった。

感謝の心を持って食べるのだと説明されたが、いつもは忘れてしまっていることの数々を思い出させてくれ、その一つ一つが心にしみたのだ。



普段は非公開の舎利殿のある一角に案内され、修行僧が修行する僧堂などをじっくり見学させてもらった。これは舎利殿内部の「舎利」を入れた壺を安置している厨子


裏側から見る舎利殿と無学祖元を祀った開山堂(左)


歴代老師方のやぐら(墓)が並ぶ


池があった


シダや苔などに覆われた岸壁のくぼみに石仏が


僧堂内部。両端の一段高くなったところで坐禅を組み、柏布団にくるまって寝る






どこも整理整頓が行き届いていて清々しい




清潔なトイレ


井戸


カマドが並ぶ炊事場


洗濯のための金盥


カマド同様に風呂をたくのも薪である。風呂は4と9の付く日に焚かれる


囲炉裏にある部屋に掲げられた軸には横田老師の筆で「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」という山本五十六の言葉が書かれている


これも横田老師の筆で「男の修行」と題した山本五十六の言葉が…。老師は五十六ファンか。イヤ、ひょっとして最近の若い修行僧を相手に苦労させられているのかも…
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