パソコンの脇に円覚寺の卓上カレンダーが置いてある。
ひと月分の数字が並んでいる脇に横田南嶺管長の揮毫が添えられているだけのシンプルなものだ。
今月添えられている言葉は「風調雨順民康楽」。
何か仏教の経典の言葉らしいが、はじめてお目にかかる言葉だ。
心地良く風が吹き、自然を潤すように雨が降り、人々は楽しく健康に暮らしている…というような意味だろうと思う。
しかし振り返ってみると、今のボクたちが置かれた生活環境というものは如何にこの言葉とかけ離れていることか。
コロナ禍はこれまでの自由で闊達な行動をすべて奪い、肺を犯し、呼吸を困難にして人間を死に至らしめる恐ろしい災厄として、日本のみならず世界中を襲っている。
コロナに罹った人々を救うのは第1義的には医療の仕事だが、その災厄そのものを人々から遠ざけ、国民を守るのは言うまでもなく政治の責任である。
しかし、日本政府がやっていることはと言えば、コロナ対策の切り札とされるワクチン開発の遅れにただただ指をくわえているばかりか、外国でいち早く完成したワクチンを手に入れてくるのにも失敗し、世界で最も接種の遅いレベルにまで落ち込む体たらくだ。
挙句は国民の8割が反対している五輪を強行開催する構えを崩していない。
まん延防止重点措置や緊急事態宣言は出されっ放しかと思えば、デパートの営業が認められたり、映画館や美術館博物館の類も規制の対象から外れるなど、じゃぁ今までは何だったのサと首を傾げたくなるくらい、中身はゆるゆるに換骨奪胎されてしまっている。
そんな具合だから卓上カレンダーを見るボクはつくづく横田管長は今の時勢を読み当てていて、皮肉を込めてこの言葉を選んだのではないかと勘繰りたくもなる。
まさか、そんな下世話で品のないことではなく、まさに「風調雨順民康楽」の世の中が現れて欲しいと願いつつ掲げたのだと思う。
そこは間違いないが、それにしても雨も風も災害をもたらすのではなく、人々を潤すものであってほしいし、そのためには指をくわえていればいいってものでもない。
コロ公より難敵かもしれない地球温暖化にも立ち向かわなくてはならないのだから…
ガースに、そして利己的なことしか考えない自民党にそれが出来るとは到底思えない。
してみると、この言葉は図らずも見果てぬ夢というか、ボクたちがどんなに歯噛みしても届くことのない現実を言い当てたものだということになりかねない。
残念なことだがガースをはじめ、今の与党の諸君にこの言葉を見せても何にも響かないだろうな。
ガースに至っちゃハトが豆鉄砲を食らったような真ん丸な目をしてポカンと口を開けるだけだろう。
何が悲しいって、こんな悲しく情けないことはないよな。
(見出し写真はわが庭のホタルブクロ 背後は八重のドクダミ)