春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
わが身の回りの地域は、この有名な「早春賦」の歌詞の通りになっているようである。
昨日は18℃近くまで気温が上がるという予報だったが、青空が広がるのが遅く、気温もそこまでは上がらなかったみたい。
初音を求めて1時間ばかりそれらしきところを歩いてみたが「時にあらず」だったとみえて、ウンともスンともなかった。
氷融け去り 葦はつのぐむ
さては時とぞ 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
近所の池と森の公園にはアシの類が生えているが、芽吹きが始まっているかどうか確かめていない。
水辺にこの森で一番早く芽吹くジャヤナギの塊があるが、細い枝先が遠目に赤っぽくなっているだけで、まだ芽吹きは確認できていない。
アシとジャヤナギとどちらの芽吹きが早いんだろう。
雪空なんかとは無縁の土地だから、この歌詞の作者のように「春が来たと思ったが、生憎だった」などとガッカリもしないけれど、もどかしい気分は似たようなものか。
春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃か
この3番にはまったく同感で、春だと聞かなければ気付かなかったのに、聞いてしまったからにはそわそわして落ち着かない。この気持ちをどうしてくれるんだ…というもどかしい思いは日々募っていく。
まっ、こういう期待半分、失望半分の繰り返しが積み重なって本格的な春がやって来るのだから、今はその一里塚の一つ一つの通過を楽しんでいればいいと思う余裕がある。
ウメも満開に近づいているし、早咲きのカワヅザクラも咲き出した。自然は半分以上はすでに春になっていると思えば、春の足音の高まりだけに気楽に耳を傾けていればいいだけだ ♪
一雨ごとに春が…というほどの悠長さとは無縁の、今日は強風を伴う大荒れの大雨になりそうだからお預けだが、今や遅しと時を待つウグイスを思う。
「時は来たれり!」の澄みきった声を楽しみにしつつ…
見出し写真を含め、北鎌倉・浄智寺境内の書院前の庭に咲くサフラン