第1日曜日の4日は宝物の風入れのため休会、次の11日はボクが姫のところに泊りがけで出かけてしまって欠席。
という訳で11月に入って坐るのは初めてということになった。
坐禅会に参加できないときは家でもどこでも1人で坐ればいいのだが、そこは凡人の凡人たるゆえんで、雰囲気がどうの、気分がどうのとあれこれ理由をくっつけて漫然と時を過ごすのである。
奇数日曜日は2時間坐りっぱなしで横田南嶺老師の提唱を聞く日で、一体全体足が悲鳴を上げずに保つだろうかという不安がちらっと頭をよぎる。
幸い足の痛みは最初の内だけで、その後ほとんど気にならなくなってヤレヤレだったのだが…
午前8時の開始時間に合わせて7時35分に自転車で家を出たが、道すがら北風をもろに正面から受け続けることになってしまった。
それでも走っている間は体はポカポカしていたが、坐禅が始まればじっとしていなくてはならず、外気を隔てる障子は開け放たれたままで、身体はたちまち冷えてくる。
しかも、今秋一番に近い冷え込みの朝だったことに加えて、時々冷たい風が吹き込んできて思わず胴震いするほどで、さすがに老師が提唱を始めるころにはすべての障子が締められたが後の祭り。
すっかり体は冷え切って、前立腺の病気を患った身は寒くなるとトイレが近くなるのだが、この日もほぼ1時間の提唱の最後は尿意を感じ、我慢するのが精いっぱいのありさまとなってしまった。
老師が話をしている間に中座するのも気がひけるので、終わるのを待つ間の長いこと!
提唱の最後は結構大事な話をするのが常で、この日も一区切りの場面だったこともあって、なおさら老師の話にも力が入っていたのだが、それも上の空で聞く羽目になってしまったのが情けない。
こういう姿はどこから見ても正真正銘のジジイの姿で、それもかなりの老残の姿と言ってよい。
今朝家を出る時、チラッと頭の片隅に下腹辺りに使い捨てカイロでも張った方がいいかなという考えが浮かんだのだが、まだ11月だ、と思い直したのだった。
これから方丈内の床板が氷の板のように冷たく冷え切る厳冬期を迎える。
暖房ゼロの広々とした大方丈の空気はそれだけで痛いくらいの冷たさである。
去年その冷え切った厳冬期を何とか乗り切れたのは普段は履かない股引代わりのタイツをはいて、さらに使い捨てカイロを張り付けたお陰だったのだ。
ジジイになると変なところに注意を向けなければならず、はなはだうっとおしいことだが、歳をとるとはこういうことかと自らを納得させるしかない。
かくしていよいよ老残のわが身を確かめつつ生きるという時期に入ってきたようである。
先人たちはこれを「悲哀」と形容し、「老残」と「悲哀」は様々な文学作品のテーマにもなってきた。
今のところは寒いとトイレが近くなるという問題だけだが、やけに4つの文字がちらつき始めた気がする。
おそらくこれから先、この4文字とは長い付き合いになるのだろうが、笑いのめしながら暮らしてやろうと思う。
これから12月初旬にかけて鎌倉も紅葉の季節を迎えるが、毎年きれいに色づく円覚寺居士林のモミジは御覧の通り中途半端
南に開いた円覚寺境内には9月の台風24号のもたらした塩害が及んでいて、モミジの葉は半分枯れてしまっている
これで例年通りの紅葉を期待するのは無理というものだろう
垣根に干してある毛氈の上に赤とんぼが止まって弱い日を浴びていたが、お腹の赤が毛氈と同化してしまって…
=龍隠庵
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