まだチラホラしか咲いていないが、中には満開になっている木もあって、まだ裸木ばかりの木立の中で花を咲かせるサクラは遠目からでもよく目立つ。
名所と呼ばれるところにサクラばかりが盛り上がるように咲き競っている光景も日本独特のもので、それはそれで見事な光景なのだが、山の中に点在して咲くヤマザクラの佇まいにも魅かれるのだ。
未だ目覚め切っていない木々の間で1人その存在を際立たせているところは、目立ちたがり屋というよりも、人間ならだれでも、人生の中であるひと時だけ光輝くようなことがあるのと同様、例え短い間でも生命の輝きを見せるけれど、あとはひっそりと目立たぬようにその他大勢に同化してしまうようなところが何やら象徴的なのである。
健気というか、救いというか、サクラという日本人好みの花が持つ一面がそこには存在するのだ。
散るばかり強調するのは好みではない。
縄跳びをしながらついてきた姫も「わーっ、きれい! 」と感嘆の声を上げるほどである。
彼女も光っているが、これから先はもっと光り輝くだろう。
元気いっぱいの姫は散歩くらいではあり余るエネルギーの燃焼が追いつかないと見え、サッカーをしようとねだる。
お陰でこちらも思いのほか良い運動になり、ダイエット効果にも期待がかかるというものだ。
最初は短パンの下にスパッツを履いていた姫は動き回って暑いものだから、公園の隅にいってスパッツを脱ぐほどである。
もうちょっと大人になって色気づくとこんな真似は出来ないだろうが、まだ屈託ないのである。
ところでこの公園は住宅地の中にあるから家々に囲まれているのだが、一部が平らなクレーのグラウンドになっていて、子どもたちがボール遊びをするには格好の広さも手伝って賑わっていたのだが、ある時期、こともあろうに市の公園緑地課の名前で「ボール遊び禁止」という看板が立てられた。
ボールが飛んできて窓ガラスが割れたりするというのだが、支柱を高くしてネットが張られているから、どれほど頻繁に被害が出るのか怪しいものである。
加えて子どもたちの歓声がうるさいというのも理由のようであった。
立て看板が立てられた直後は、おそらく「この看板が目に入らないのか! 注意を守れないなら学校の先生に言いつけるぞ ! 」などと脅かされたのだろう。
しばらく歓声が途絶えてしまったのだ。
こういう看板を立てさせるオトナというのは子供をどうさせたかったのだろう。
まさか、家の中でじっとしてテレビゲームでもしていろ、とでも思っているんじゃないだろうな。
遊び場を奪われた子供たちを巡るさまざまな弊害が言われ続け、心配されている昨今、周り近所の子どもたちがテレビゲームを捨てて、ほこりまみれ、泥だらけになって元気に歓声を上げているのを締め出すようなオトナにだけはなりたくないものである。
さすがに自治会でも問題になったと見え、今はその看板は消え、ボールを追う歓声は戻っているが、フェンスには「ここから少し離れているけれど、そっちに児童広場があって野球やサッカーができるので利用しましょう」と書かれている。何だ、厄介払いか?
思わず吹き出してしまった。何とも往生際の悪いことである。
第一、斜面の一部を使った児童広場には大きな段差があるうえ、草ぼうぼうでデコボコしていてサッカーはやりにくいし、野球だってゴロの処理なんてできっこないところなのだ。
こういうオトナには早く消えてもらった方が世のため、子どものためになるのだ。
近所の自然公園ではヤマザクラガ満開になっている
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