有朋自遠方来 不亦楽乎――ってやつである。
去年の上京時は事情があってとんぼ返りするので時間がない、ということだったので2年ぶりである。
待ち合わせの場所には東京で働いている娘さんを伴って現れた。
聞けば朝から2人で新宿の末広亭に出かけ、夕方まで落語を聞いていたんだそうである。
父親に感化されたのか、何と娘さんは末広亭の友の会に入るほどの落語好きであるらしい。
今時の若い娘が寄席に引かれる魅力を問うと「あの話術ってすごいですよ」「すごい伝統芸ですよね」と「すごい」を連発する。
古典芸能に興味を持つ若い人はそれなりに存在するのだろうが、休みの日に父親と連れ立って寄席通いというのは超の付く珍しさではないか。
古典芸能級の父娘である。
太陽暦を何の躊躇もなく捨て去って、自分だけだが旧暦で暮らしている男である。
と言ったって他人様に迷惑がかかるわけでもなく、昨日のように待ち合わせの日時を決める場合、「6月18日の何時何分」と決めても、これは太陽暦の6月18日のことだというのは暗黙の了解であるから特段不都合はないのだ。
「時間は巳の刻二つ時」などと言われては友達をなくすだけである。
リタイア後の年賀状が立春に届くのは、せめてもの自己主張だと理解してあげているが、現役時代は太陽暦の元旦に届いていたから可愛いものである。
地元の公営テニス場に通ってくる仲間たちでサークルを作って毎日試合をしているそうで、顔は陽に焼けててかてか光っている。
フットワークの軽さは40人くらいのメンバー中1、2番だとうそぶくので、どうせ年寄りの集まりだろう? と冷やかしたら図星で、60代から80代のグループだそうである。
それにしたって間もなく古希を迎えるのだから大したものである。素直に脱帽する。
「ダブルスばかりだけど、組む相手によっては目の前に来るボールしか処理しないような人もいるから、前後左右に走らされて大変なんだ」と言う。
それがまた自慢のようでもあった。
こういう場合、ふ~ん、そうですかい、と相槌を打つしかないんである。
冷房の効いた地下の店で生ビールの中を5杯もお替りしていた。もともとビール好きなのは知っていたが、ぐびぐびとビールばかりどこに入っていくのか不思議である。
ボクは赤ワインを1本とって手酌で飲んでいたが、娘さんがビールの後なにも飲まないのでワインを分けてあげたら嬉しそうにしていた。
娘も父親に似て呑兵衛らしい。
3時間も話し込んでしまったが、久しぶりの父娘の団らんのオジャマ虫をしてしまったようである。
円覚寺に隣接する崖の中ほどにヤマユリが1輪咲いていた。もうそんな季節である。
少し離れたところでは蕾が…
円覚寺には午前8時の開門を待つ人で列ができていた。日曜坐禅会に参加する人々である。手前は高校生の剣道部員たちだろうか。同じポロシャツに同じ短パン姿である。
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