書棚の断捨離は随分前に一度やっているが、「あれは処分していないはずだ」と記憶をたどりつつ書斎の本棚を見渡してみたら、案の定、文庫本だけで20冊あまりがひと塊になって残っていたし、文庫になっていない単行本も5、6冊だが残っていた。
ノダトモスケの「のんびり行こうぜ」精神あふれる著作の数々である。
カヌーでのんびりと川を下りながら旅ばかりしているカヌーイストの先駆者で作家の野田知佑さんが84歳で亡くなった。
現役時代、マスコミ業界の端っこで休みもろくにとれず、朝から深夜まで長い拘束時間と緊張感の只中に身をさらし続けてきて、「社会正義の実現のため」と自らを鼓舞してはきたが、それでも時々はすべてをご破算にして「遊び惚けたい」と思うことがあった。
しかし、現実にはなかなか踏ん切りがつくわけでもなく、悶々とした日々を送る中で本屋でフト目にしたのがノダさんの「のんびり行こうぜ」という著作だった。
組み立て式のカヌーというものがあって、小さく折りたたんだカヌーを上流まで担いで行って河原で組み立て、テントなどのキャンピング道具を積み込んで、川の流れに身を任せてのんびりと下っていく…
ただそれだけのことだが、河原に張ったテントの脇で川風に吹かれながら本を読み、夜になれば焚火の横でハモニカを吹き、満天の星を眺めながら酒を飲む…
そこには細かな注文を付けてくるうるさいデスクもいなければ、締め切り時間も関係ない…
そんな夢みたいな生活が実際にあって、現実に「まるで遊んで暮らしているような」人がいるんだと、ほとほと感心すると同時に、羨ましくもあり、すごくあこがれを感じたのが30代後半の事だった。
そしてノダさんの体験を読むだけで、自分自身もノダさんになった気分になれて、気分が晴れ、気持ちが軽くなるように感じたものだった。
だからノダさんの著作はボクの苦闘時代の心の安定を支えてくれた精神安定剤であり、栄養にもなってくれたビタミン剤でもある。
野田さんの代表作に「日本の川を旅する」がある。
14本の川が登場するが、川下りなんか一度もしたことがなかったが、ひょんなことから折り畳み式カヌーを貸してもらえることになり、3泊4日で四国の四万十川を中流域から下ったことがある。
怒涛のような総選挙報道を終えた直後のエアポケットのような間隙を縫って出かけたのだった。
川のことなど、ましてや四万十川のことなど何も知らず、随分と無謀な行動だったが、そのことは自覚していて、同じ河原でキャンプしていた関東のグループに「初めてなんです。後ろからついて行っていいですか」と聞くと快く了解してくれ、あれこれ教えてもらいながら下れたのが荒瀬も無事に乗り切って目的地の赤鉄橋まで行けた理由である。
若かりし頃は無茶をしたものだ。
ノダさんには著作を通じていろいろ励まされた。
そしてボクも遂にカヤックを手に入れた。
ただ折りたたんで持ち運べるカヌーではなく、海で使う全長の長いシーカヤック。
何日もかけて川下りなんてそう簡単には出来ないし、たまの休みを何とか上手に過ごせないかと考えた挙句、目の前の海ならいつだってOKだし、というのがシーカヤックにした理由。
このシーカヤックで海が荒れてさえいなければ休みの度に相模湾に漕ぎだして、波や風を感じながら沖から陸地を眺めていた。もちろんたった一人で…
「男は群れるな」
それがノダさんの教えでもあり、ボクも大いに共感していた。
このことは何も遊びに限ったことだけでなく、社会におけるスタンスなどにも十分通用する。とても大事なことだ。
晩年は徳島の南で暮らし、子どもたちに川遊びの楽しみを教えて絶滅危惧種の「川ガキ」を増やす努力を続けていた。
ご冥福を祈りつつ、著作の何冊かを読み直したくなった。
茅ケ崎の里山公園