母親が入院してしまった若を慰めようと、鉄道好きの若のために電車を乗り継ぐプチ旅に出た。
鉄道路線の集まるIR大船駅近くの駐車場に車を止めていざ出発。
まずは駅に発着する電車の動きを俯瞰できる駅前の大きな歩道橋にあがり、かぶりつきで次々に発着する電車を眺める。
眼下に近づいてくる電車を指さしてはE〇〇系だ、今度のはE□□系だよとやたら詳しい。
まぁぼくも4、5歳のころは当時珍しかった自動車、わけても進駐軍と呼ばれた米占領軍が乗りまわしていた大型の乗用車の数々にあこがれて名前を覚えたものだ。
スチュードベーカー、キャデラック、ダッジ、パッカード、オールズモビル、ビュックetc…
その覚えっぷりに両親は「これはもしや」と思ったらしいが、子どもというのは乾いた砂が水をどんどん吸い込むように、車の名前を覚えるなんてのは朝飯前のことで、何も特別な能力でも何でもなかったのだ。
その証拠が馬齢を重ねた今のボクなのだから。
最初に乗ったのは横須賀線。
これで3つ先の逗子まで行く。
車内はこの暑いのに鎌倉散策と若干の海水浴客が混じって大変な混雑だが、案の定鎌倉でどっと降りて行った。
まぁ、暑いといっても鎌倉の気温は都内と比べれば確実に1、2度は低いし、海岸に出れば都心が35~36度にうだっているような時でも30度前後にしかならない。
海風の威力は絶大なのだ。
そう言う意味ではわざわざ鎌倉まで足を運ぶのも一理ある。
逗子からは赤い車体に白い帯を巻いた京急逗子線。
京急本線と合流する4つ先の金沢八景まで行く。
金沢八景で乗り換えて新都市交通システムの金沢シーサイドラインに乗り換え。
横須賀線も京急も体験済みの若にとっては初体験の乗り物。
しかし、その前に駅前のレストランの2階で食事をする。
たまたまシーサイドライン高架のホームが良く見える位置で、出入りする車両が手に取るように見える。
「あれに乗るの」と目を輝かすが、どうやら燃料切れで「お腹空いたぁ~」とこの世の終わりが来たような情けない表情でべそさえ浮かべてぐったりする。
目の前に運ばれたお子様プレートにかぶりつくと一心不乱に揚げパンやウインナーを口に詰め込んでモグモグやり続けるが、一定量に達するとパタッと手を出さなくなってしまった。
子供というのは後ひと口、もうひと口…なんてことはなく、極めてあっさりとリミッターが働くようである。故に子供なのだが。
シーサイドラインは無人運転の新交通システムなのだが、6月1日にもう一方の新杉田駅で発車しようとして逆方向に暴走し、車止めに衝突して数十人がけがを負う事故を起こしている。
原因は突き止められたらしいが、抜本的な改善策を施すまでには至らず、友人運転で営業が再開されていた。
若とボクは先頭車両の運転手のすぐ後ろの前方展望の良い座席に座ったのだが、
肝心の運転士が駅に着くと運転台に突っ伏して大きなため息を漏らしたのにはびっくりした。
よっぽど「オイ、大丈夫か」と声を書けようかと思ったほどで、心配で横顔をじっと注視していたら隣駅で運転士が交代したのでホッとした。
自動運転で事故を起こして有人運転になったら今度は運転士の居眠りか体調不良で暴走事故何てシャレにもならない。
ヤレヤレな気持ちで新杉田に到着し、JR根岸線に乗り換えて出発地点の大船駅に戻った。
道中好きな電車に揺られたご満悦だったが、そこはやはりどこか寂しいのだろう。
帰りに病院に寄ったら母親の手の指を握りしめて少し半べそになった。
ぐっとこらえて涙をこぼさなかったのは状況を理解してのことだろうと思うと、4歳の健気な思いを感じないわけにはいかない。
見出し写真は金沢シーサイドラインの運転台のすぐ後ろの席から前方を眺める若
運転士は駅に着くと運転台に突っ伏して大きなため息をついた